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ジャナ研の憂鬱な事件簿

酒井田寛太郎

第1話 ノート消失事件 (2)

「事情がのみ込めませんけど……手伝ったら迷惑ですか?」

 そう尋ねると、彼女は首を横にぶんぶん振った。

「いえ、そんなことは! 決して!」

「じゃ、手伝います」

 小学生じゃあるまいし、アホらしい。それに、いまさら周囲にどう思われようが、知ったことではないと思った。

 D校舎の方面に向かって歩き出すと、彼女は小走りで追ってきた。

「あの、ありがとうございます!」

 今度はずいぶんうれしそうだ。

 先ほどから表情がころころと変わっている。言葉遣いはていねいだが、感情はすぐ顔に出るタイプのようだった。

「……もう帰るだけでしたから」

 一方の啓介は、視線をそらす。人の目を見て話すのは得意ではなかった。初対面であれば、なおさら。

 いったん中庭に出ると、発声練習をしている放送部の目の前を横切った。所在なげに立っているのは仮入部の一年生だろう。グラウンドの順番待ちをしている野球部がユニフォームに着替えて腕立て伏せをしていた。いくら敷地が広いとはいえ、グラウンドや体育館、音楽室などは一つだから、部活はおのおの工夫して活動している。筋トレをしている野球部員たちがこちらをじっと見ているのは、ノートを運んでいる男女二人連れが物珍しいからではなく、他に見るものが無いからだろう。その証拠に、チアリーディング部がストレッチを始めるとまるで磁石に吸い寄せられるように、全員の視線が一斉に流れた。中庭は風が強く、前を歩くしらとりふゆの黒髪がゆるやかな渦を巻いている。

 中庭を歩いていると、ベンチに座ってギターの音合わせをしている金髪の軽音部員を見かけた。全校でたった二人しかいないけいすけの友人のうちの一人、きようもとりようろうだ。両側に女子生徒をはべらせていて、相変わらずバカみたいにモテるやつだと思った。そして啓介と女子生徒が並んで歩いているのを認めたとたん、放課後の淡い恋を歌った十年ぐらい前のバラードの弾き語りを始める。

「あの方、お友達ですか?」

 真冬が興味深そうに尋ねてくる。

「まぁ……一応」

 相変わらず余計なことをするやつだと、啓介は思った。

 しかし中庭に響き渡る良太郎の歌声は、無類である。乱れた女性関係や校則など意に介さない髪型など、いい加減極まりない性格の男だが、音楽をはじめ芸術方面への才能は尋常ではなかった。

 にぎやかな中庭を抜けると、真冬はC校舎の昇降口に入った。真冬はこまめに後ろを歩く啓介を振り返り、「そこは段差がありますよ」「もう階段は終わりですよ」と忙しく気遣う。

「そういえば……」彼女は廊下を歩きながら、思い出したように言った。

「まだ、お名前も伺っていませんでした」

「……」

 お互いの名前を知るというのは、つまり、知人になるということだ。知人を増やすということに、啓介は強い抵抗感を持っている。

 しかし、まさか「名乗るほどの者ではありません」とか、「通りすがりの者です」と答える茶目っ気も、啓介には無かった。それに真冬は先ほどから、甘いはく色のひとみで、じっと啓介の顔をのぞきこんでいる。最初は聞こえないふりをして、頑張ってあさっての方向を向くことで対抗していたが、さすがに首の付け根のあたりが痛くなってきた。

「……どう啓介、です」啓介はあきらめて名乗った。

 しかし真冬は、まだ視線をそらさない。もっとプロフィールを教えろ、ということだろうか。

「……」

 見つめられていると、なんだかほおのあたりが温度を持ってきた気がして、結局啓介は根負けした。

「二年A組で、部活はジャナ研……ジャーナリズム研究会に入っています」

 部活の名前を出すと、ふゆはなぜか、とてもうれしそうな顔をした。

「『波のこえ』、いつも楽しみにしています」

 突然自分のつくっている新聞の話題が出て、けいすけは少し驚いた。

「『波のこえ』を知ってるんですか?」

 真冬は、もちろん、と言わんばかりに大きくうなずく。

「毎週読んでいます。今週号も読みました」

 今までの販売会で、真冬を見かけた覚えはない。『波のこえ』は校内の売店でも委託販売しているから、おそらくそちらで買ったのだろう。

「……どうですか?」少し迷ったが、いてみることにした。「その……つまらないとか、おもしろいとか」

 渋々活動しているとはいえ、現金という対価を得ている以上は、評価は気になるところだった。

「おもしろい記事ばかりです。みずむらさんの記事にはいつもびっくりさせられますし、どうさんの記事を読むと、ユーモアのある文章にくすりと笑ってしまいます」

 真冬は手放しにめる。しかし、単なるおべっかという感じはしなかった。

「工藤さんは、文才があるのですね」

「……どうも」

 悪くない評価をもらい、多少ほっとした。まぁ、さすがに書いた本人を前にして「ゴミのような記事でした。お金を返してください」とは言わないだろうが。

「ただ──」真冬は続ける。

「来週号からは、水村さんの記事がなくなるんですよね?」

「ええ、あの人は卒業しましたから」

「すると、来週号からは、今までの『波のこえ』に比べて、紙面の雰囲気がだいぶ穏やかになりますね」

 その予想を聞いて、啓介は深く頷く。

『波のこえ』はもともと、政治的な議論の場として創刊された。たとえば六〇年代の紙面を見ると、ベトナム戦争や安保条約について多様な意見が述べられている。

 もちろん、その編集方針が現在まで一切変わらずにきたわけではない。近年ではより幅広い読者を獲得するため、「編集部が選ぶ新入生向けのおすすめ参考書」や「市内ラーメンマップ クロスレビュー付き」といった、高校生向けの一般情報誌としての要素を多分に含むようになった。逆に政治色については、十年ほど前からほぼ消えている。

 では、時代の流れの中で『波のこえ』がただのタウン情報誌になったのかと言えば、そうでもない。九〇年代以降の編集方針は、「校内で発生した事件・疑義・騒動について、教師におもねらず真実を明らかにする」という、ただ一点に尽きる。その熱意と行動力たるや尋常ではなく、明らかに高校生の部活のはんちゆうを超えていた。三年前のバックナンバーでは、ある数学教師に内申点の操作疑惑が持ち上がった際、その教師が担当した生徒二百人分の定期テストの点数と最終評定の相関関係を調査して、一部の生徒が不当に内申点を下げられているという論拠を示した。その結果──かどうかは分からないが──不正を看破された数学教師は三か月後に依願退職したという。

 そして、来週号。すなわちけいすけが編集長となって作成した四月第二週号からは、その反骨の気概すら紙面から失われ、本当にただの、毒にも薬にもならないメディアになってしまうのだと、啓介自身が一番よく分かっていた。

「俺にああいうのは、無理です。……素養が無いので」

 そのことについて、ふゆは一瞬何か言いたそうな顔をしたが、結局するりと話題を変えた。

「放課後は毎日、原稿を執筆したり、取材に行っているんですか?」

「いつも、ってわけじゃありません」

「では、部活以外にも何かやっていらっしゃるんですか?」

 真冬は再び、啓介の顔をのぞきこむ。口調こそ年下の啓介に対してもていねいだが……わりと遠慮なく、ぐいぐい距離を縮めてくる人だと思った。

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