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出雲の阿国は銀盤に舞う

つるみ犬丸

二章(2)

「ね。話、なんかホントっぽいでしょ?」

 愛姉がフフンとドヤる。別にこのネコが出雲の阿国なの、愛姉の手柄じゃないだろ。そもそも手柄と評していいのかも分からない。

「――で、お前、阿国だっけ?」

 俺はベッドの上のネコに目を移す。彼女はチーズ鱈を嚙み千切りながら、偉そうな目で俺を見返した。

「事情は分かったよ。お前が阿国だってのも、まあ信じていい」

『うむ』

「でもさ、ネコに取り憑いて、なにがしたいわけ? 願いは叶えてやりたいけど、さすがに俺、ネコと結婚はできねえし。まあ、こうなった以上、害もなさそうだからさ、飼うまでなら母さんに頼んでやるけど」

『いや。お前と結婚など御免こうむるし、それに家を覗いたが狭い。あたえはこちらで暮らす。うるさい娘がおるがチーズ鱈もたらふく買うてもらえるしの』

「ちょっと、うるさい娘って誰?」

 その前に狭い家って誰ん家だ。

『ただ、この世でなにがしたいか。それはもう分かっておる。しかしそれを告げる時節はしばらく待ちたい』

「ナイショっかよ。お前、立場分かってる?」

『いま話しても詮のないこと。まあ、朋時。お前にさんざ様と似た気配を感じ取れたのは、なにも血筋によるものだけではあるまいよ。いまはそれを確かめたい』

「言ってる意味がさっぱり分かんねえ。協力してやろうって言ってんだからさ、なにをしたいかってくらい言ったら?」

 俺は質す口調で阿国を見る。すると彼女はチーズ鱈を飲み込み、ふてぶてしい面構えで答えた。

『ま、傾きに来た、と、言っておこうか』

 夢を見た。

 と言っても、それは自分の視点で展開していく普通なものではなく、とても幼い頃……、八歳か九歳くらいの自分がいて、それを映画のように俯瞰して見るような、変わったタイプの夢。

 でも、この光景はよく覚えている。舞台は雨上がりの、よく晴れた昼下がり。家は建て替える前のもの。

 庭に面した畳敷きの和室で、俺と愛姉が苺大福を食べながらテレビを見ている光景。軒先にそびえる二本の木が日差しから部屋を遮蔽していて、その影はテレビ画面をちょうど見やすい明るさにしてくれていた。

 俺と愛姉が見ているのは、父さんが現役のフィギュアスケーターだった時代のDVDだった。詳しい経緯は忘れたが、母さんに頼んでよく見せてもらっていたもの。

 愛姉は俺の分の苺大福までモグモグ食べながら、食い入るようにテレビのモニターに魅入っていた。その映像の中では、ドレッシーなブルーの衣装を纏う若い頃の父さんがいる。いつか俺が勝手にクローゼットから引っ張り出し着ようとしたら、「まだ早い」と、ひどく叱られたもの。憧れでもあった衣装。

 父さんは満員になったアリーナの中央でそれを着て、知らない女の人とそっと手を繫いだ。するとそれが合図になったように観客たちは静まり返り、やがてその白く静謐なリンクには音楽が流れてきた。

 曲は覚えていないが、とても優雅なものだったように思う。

 父さんたちはまるで人形の体に魂が入ったように柔らかく動き始め、鮮やかな身のこなしで自分たちの世界を築き上げていった。キラキラしたリンクに、キラキラした二人。アリーナは完全にこのカップルに支配されていて、その一挙手一投足に、俺たちはもう片時も目が離せないでいた。膝を上手く使い音楽に乗って、力強く美しく、まるで白いリンクに芸術を描いていくよう。

 ――俺の父さんだぜ、これ。

 俺はいつもそう思い、誇るような気持ちでこのDVDを見ていた。でも俺一人なのは面白くなくて、このときは確か愛姉にそれを自慢したかったんだ。だから俺はテレビ画面に目を置きながらも、愛姉をチラチラ確認していた。

 赤いワンピースを着た愛姉は、苺大福を手に持ったまま、恍惚とした表情で映像の中に引き込まれていた。それで俺はますますいい気になっていたんだ。すると、

「また、それを見ているのか」

 そのタイミングで父さんが帰ってきて、上着を母さんに渡していた。いつもは厳しい父さんだけど、このDVDを見ている間は俺を怒ったりしない。

「うん。愛花お姉ちゃん呼んだんだ。一緒に見てるの」

「そうか」

 父さんは無表情でシャツのボタンを外した。そしてそのまま足をリビングの方に向ける彼に、俺は、「ねえ」と、声をかけて呼び止めた。自分でも理由は分からないけど、たぶんもう少し父さんと話したかったんだと思う。

「俺もこれ、やってみたい」

 深く考えず、俺は父さんにそう言った。それまでは俺がなにかやりたいと言っても、いつも冷たい口調で「そうか」としか言われないから、このときもどうせそう返ってくるだろうと思っていた。

 でも、違ったんだ。

「お前もやるのか?」

 いつも表情を欠いた父さんの顔だけど、このときは微かに口角が上がっていた。それはたぶん俺が見た彼の表情の中で、一番嬉しそうな顔だった。俺は父さんに認められた気がして喜びが走り、

「うん!」

 と、思い切り返事をした。当時の俺はあがり症でもなんでもなく、割と積極的な性格をしていたから、新しいチャレンジにとても胸が躍ったのを覚えている。もしかしたら父さんの反応が嬉しかっただけかもしれないが。

 でも、きっかけはなんでもよかった。これでアイスダンスを始めたら、俺もあのDVDのように、父さんと同じ舞台に立てるかもしれない。立ったら父さんがもっと喜ぶかもしれない。だから……。

「お前には失望した」

 期待を嚙み締めていると、世界は暗転する。

 窓の外は大雨で、軒先にあるはずの二本の木は消えていた。隣には愛姉もいない。部屋は夜のように暗くなっていた。

 ――いや。

 いつの間にか場所が移動している。ここは家じゃない。リンク? ペンギンさんスケートアリーナとはまた違って……。緑地スケートセンター? ああ、どうしてここに……。ここだけは……。

 頭を抱えるような気持ちでいると、音もなく父さんが俺の前に立ちはだかった。

「父さん……?」

 呟くように口にすると、彼はものも言わず、俺の頰を平手打ちにした。パンと音が鳴った瞬間に表ではカミナリが閃き、父さんの表情を冷たい色で照らし出した。

 その顔は昔の父さんではなく、俺を見放したあのときの彼だった。俺のことごとくを否定し続け恐怖を植え付けた、ひどく酷薄な視線だった。

 見つめられると竦むような思いが駆け巡り、体が硬直する。

 震えてその場に立っていると世界がそこで途切れ、次の瞬間には視界に暗い天井が飛び込んできた。五感には現実的な感覚が宿っている。

 短い息を吐き出し、俺の頭は現実と夢とを区別した。そしていまこの瞬間を現実と認識すると、重く苦しい心配事が気のせいだったときのような、救われた安心感が心を包んだ。それにしても……。

 俺はふうと息をつく。

 それにしても、悪い夢を見た。最悪だ。

 起きて上体を起こしてみると、シャツがべっとりと気持ち悪く湿って、冷たく体にまとわり付いた。俺は頭をくしゃくしゃとかいて、気怠くそのシャツを脱ぐ。

 窓の外を見ると、世界はまだまっ暗だった。体にはとろんとした眠気も残っているし、ひどい熱が出たときのような寝覚めの感覚だ。

 俺は手探りでクローゼットを開け、そのまま寝間着を取り出して着替えた。そしてシーツを整え再びベッドに潜り目を閉じると、思索にふけった。

 考えるのは、やはり記憶に棲み着いたあのとき。

 いまはこうしてアイスダンスをやってるけど、もし俺があのタイミングで父さんを呼び止めなければ、また違った未来が待っていただろうか。あがり症でもなんでもない、違うスポーツや文化系の部活をやっている俺。

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