出雲の阿国は銀盤に舞う
二章(1)
二章
季節は六月の半ば過ぎ。
広島と島根を回る、いまどき地味な修学旅行の行程を終えて俺は帰ってきた。
夜の六時に学校に着き、校長先生のありがたいお説教を聞いて解散したあと、俺は一直線に愛姉の家に向かう。さすがに愛姉とは言え女子の部屋に単独突入するのは抵抗があったが、季節柄、外はあいにくの雨。
しかしまた後日にしようか、とはならなかった。気になって仕方がないことがある。
「待ってたよ、入って」
インターホンを鳴らすと、ジャージ姿にメガネの愛姉が、ドアを開けて迎えてくれた。
「家、オバさんいないの?」
「うん。いつも通り」
「じゃ……、お邪魔しまーす」
と、誰に言うでもなく呟き、俺は久しぶりの森家に足を踏み入れた。
中を覗くと昔とレイアウトが変わった調度もあったが、光景はほとんど記憶にあるままだ。週に何度か家政婦さんが掃除していくらしく、広い家ながらも清潔感が保たれていた。
清潔な場所は好感が持てる。俺は懐かしさに首を左右させつつ、案内されるまま二階に上がった。
中学時代の、あの飾り気のない愛姉の部屋。しばらく見ない間に少しは女の子っぽくなったのかと中を覗いてみるが、相変わらず雑然と散らかっていて印象はあまり変わらない。昔はこれが気に入らなくて、俺がよく片付けていたっけ。ものはあるべき場所にないと気が済まない。
「これでも、トモちゃんが来るから片付けたんだよ」
愛姉がケラケラ笑う。普段はコンタクトの彼女だが、俺としてはメガネのこっちの方が好きだったりする。
『やはり、気配が同じじゃのう』
本題を忘れて愛姉を眺めていると、濁りがなくて力強い響きが聞こえてきた。出雲大社のときと同じもので、今日、俺はこの声の主に会いに来たのだ。ちょっと気圧されてしまう声だが……。
「あんときのネコかよ。どこだ?」
『ここじゃえ』
そう言いながら、その白いデブネコは開いていたドアからゆっくりと登場した。丸型自動お掃除ロボに乗って。
『ふ。顔は違えど、雰囲気だけはさんざ様と瓜二つじゃな』
「知らねえよ。キリッとした顔でそれに乗んな」
俺が突っ込むと、
「その子、もうすっかりそれ乗りこなしてるよ」
愛姉が呆れた声で言う。見ていると、なるほど。肉球をセンサーにかざし、右へ左へ自由自在。デブネコにこき使われるとはお掃除ロボも無念だろう。悲鳴が聞こえるようだ。
「で、ネコ」
俺は呼びかけ、ベッドの前に座る。するとネコもベッドにピョンと飛び乗り、俺と目線を合わせた。
「やっぱこれ、お前が喋ってんのか? 未だに信じられねえんだけど」
『杵築の大社でも申したじゃろ。あたえとて信じられぬ』
「杵築?」
「トモちゃん。それ出雲大社のことみたい。昔はそう呼ばれてたんだって」
俺は「へーえ」と返事をしながら、ネコに目を移す。肥満のデブネコは澄ました顔で尻尾を立て、自分の背を打つようにそれを左右に動かした。
うーむ。見れば見るほど御利益なさそうなツラで、信じがたい気持ちがまだ強いが……。
『朋時よ』
ネコは俺を見つめると、表情を少し柔らかくして言葉を続けた。
『あたえがこのネコに取り憑けたわけは、自分でも皆目分からぬ。じゃが恐らく、お前に会い我が望みを叶えたいがため、なにかの力が働いて魂がこの体へ宿ったのだろう。無下には扱うまいぞ。入魂のほど、宜しく頼むえ』
「お前、出雲大社でもそんな話してよな。だからこそ愛姉に連れて帰ってもらったんだけど」
俺はあぐらをかいて姿勢を崩し、こめかみを指でかいた。
「で、俺に会いたいと願ったわけは、さっき言ってた、そのさんざさん、――別れた亭主が、俺と似てたってことでいいんだよな?」
『似ているなどというものではない。恐らくお前は血筋の者じゃ』
「聞いた覚えねえけど」
『さんざ様、名古屋山三郎というのは通名でな。本名を織田九右衛門という。生粋の傾奇者であった。織田家の血縁であるらしい。あたえたちはみな、「さんざ様」と呼んだものじゃが、それで心覚えはあるえ?』
「やっぱり知らねえ」
知らないけど、母さんに聞けば分かるかもしれない。まあ、それはひとまず置いておく。
「でね、トモちゃん。あたし帰ってこの子からさ、時代とか出身とか職業とか色々聞いて、ネットで調べたんだ」
愛姉がデスクチェアに座り、話に入ってきた。
「なにか分かった?」
「んー。この子の言ってるのが、もし全部本当だったら、の話なんだけど……」
愛姉はここで一呼吸を置いて白ネコを一瞥する。そしてまた俺に目を戻すと、
「出雲の阿国みたい」
と、言った。
「出雲の阿国?」
聞いた覚えがあるような、ないような。
「知らない? 歌舞伎の創始者」
「ああ」
そう言えばそんな人だったっけ。いつの時代のどんな人物かってとこまでは、全然分からないけど……、
「このネコが、そうなの?」
俺はネコを指さし、愛姉に尋ねる。すると彼女はゆっくりと首を縦に振った。
うーむ……。
俺は顎を指でつまみ、じっくりとネコを凝視する。出雲の阿国か……。
詳しい経歴は見当付かないけど、俺が名前を知ってるくらいだからたぶん有名人だ。
でも出雲大社にいたネコに、その出雲にゆかりのある有名人が乗り移るって、ちょっと胡散臭過ぎない? 名もなき農家の娘って言われた方が、可能性の問題としてマジっぽいと思う。まあ彼女の威容に満ちた口調とか声からは、ただ者じゃないなにかを感じるけど。
『噓を言うてはおらぬぞ』
ネコは俺の疑いを先回りし、きっぱりとそう口にした。
「ならさ、言ってみろよ。お前の生きてた頃の話」
『言ったら信じるのかえ?』
「内容で判断する。現代文明を甘く見んなよ」
『ま、よかろ』
ネコはフンと鼻を鳴らすと、俺と愛姉を見ながら自分のこれまでを語り始めた。
それをまとめると、こういうことだ。
時代は『天下様』と呼ばれる存在が豊臣秀吉から徳川へ移った頃。彼女は京都で小さな劇団のような一座を開いていたらしい。
最初こそ五条河原で念仏踊り(それがなにかは知らないが)を披露していたが、客足は一向に伸びない。そこで彼女は男装し、当時流行していた傾奇者(ヤンキー?)の真似をして踊ったところ、それが阿国歌舞伎と呼ばれ大流行した。
やがて当時の権力者の前で踊り許しを得られたため、一座は名前を天下一と改称。江戸に移ったり四条河原に舞台を建てたりとしながら営業を続け、その内に彼女は件の名古屋山三郎氏と出会う。そして彼も加わった天下一一座は人気に拍車がかかり、やがて芸術家肌の山三郎と阿国は夫婦となった。
『だがのう』
ネコはここで一拍置いて、寂しそうに遠くを見つめる。妙齢の女性なら哀愁漂う絵になる仕草だろうけど、肥満体のネコでは笑いを誘うだけだ。しかも座る位置的な問題でいま分かってしまったが、阿国が宿るネコの体はオスだった。
『「国、国」と呼び可愛がってくださったさんざ様だが、長くあたえの許にはおられなかった。自ら決めた志のため、去状も寄越さず美作の地に赴かれ殺されてしもうた。勇み肌が災いしたのじゃろうて』
「そりゃお気の毒に」
とは言うものの、何百年も前の殺人事件ではピンとこない。俺は適当な相づちを打ちながらスマホを忙しくタップしていたが……。しかし、これは……。
『どうじゃ。信じる気になったかえ?』
「ああ、うん……」
信じられないが、信じざるを得ないというのが心境だ。
このネコ、阿国の言っている話は要所要所で、破綻もなくピッタリと史実に符合していた。資料にないところもたくさんあったが、だけど普通に考えてネコが歴史を知っているとは思えないし、知っていたとしてもここで身分を偽るメリットがない。なら噓を言っていないと考えるのが妥当だろう。まあネコが喋るだけでも異常事態だし、いまさらなにが起こっても不思議じゃないんだけど。
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