出雲の阿国は銀盤に舞う

つるみ犬丸

一章(3)

 すっかりテンパった俺は、いつも以上にミスを連発。点数はボロボロ。愛姉は「しょうがないよ」と、笑ってくれたが……。

「朋時」

 競技終了後、俺はコーチでもある父さんにロビーへ呼び出され、頰を平手打ちにされた。

「トモちゃん!」

 白む通路には風船が破裂するような音が響き耳目を集め、俺は痛みよりも羞恥に顔が赤くなった。隣で並んでいた愛姉は俺の顔をかばうように抱え込むと、キッと父さんを睨み付けた。

「ノミの心臓もいい加減にしろ」

 父さんは愛姉の視線を完全に無視し、俺を正視した。いつもは表情を欠く父さんの目だけど、それだけにいま、そこへ宿っている炎は正直に言って恐ろしかった。

「お前には失望した」

 父さんは抑揚のない口調でそう吐き捨てると、振り返ってそのまま去って行った。こちらには一瞥もくれず、俺はそのときになって、ようやく頰にビリビリと震えるような痛みを感じていた。なにが起こっているのか理解はできなかったが、

 見放された。

 それだけは、はっきり分かった。俺は抱えられた愛姉の腕の中、くちびるを嚙み締めた。

 叩かれたのは、二度目。緑地スケートセンター以来……。

 でもこの日のこれは、たぶん戦力外通告の意味が込められていただろう。

 俺は割と神経質な質で、たぶんそれが上手く作用し、パートナーと動きをほぼ完全にユニゾンさせる能力を本能的に身に着けていた。それはアイスダンスをする上で大きな武器になり、俺は息子ではなく選手として、父さんから期待を受けることができていた。だからこそ大会で結果を出せなくても、これまで彼は俺を見てくれていたわけだが……。

 この件以来だ。

 騙し騙し付き合ってきたこの厄介な体質が、いよいよ本格的に俺の心で暴れ出す。競技中は力が入らず集中力もなくなり、終始愛姉に迷惑をかけた。絶体絶命の大スランプ。堪りかねて心療内科に通っても、大した効果は得られなかった。

 だから、分かっている。厄落としが必要な不運なんて言い訳だ。全て自分で蒔いたタネ。

 それでも俺はここに来た。どうしても区切りが欲しかったから。

 あがり症なんて気のせいだった。それが治ったら愛姉の心配性もどうにかなった。そしてアイスダンスで良い成績を残したら、父さんも俺を認めてくれた。

 そんなビフォーアフターを手にして、俺は明るい未来に向かいたい。

 名高い神社に責任を押し付けてその区切りにできるなら、それは願ってもないチャンスだ。できれば一人で行いたかったけど、これも巡り合わせだろう。

 まあ、きっかけはなんだっていい。今日で俺は生まれ変わる。

 時間が早かったためか平日のためか今日がたまたまなのかは分からないが、道を行き出雲大社が近付いてきても、通りに参拝客は少なかった。

 石の鳥居を潜るとすぐに道路は石畳に変わって、両脇には土産物店も現れ出した。道路は車もよく通る。そのまま進むと今度は信号を挟んで木製の鳥居が石段の先に立っており、その傍らには出雲大社と彫られた石碑が建立されてあった。

 これが勢溜の鳥居。いよいよ正門前だ。

「トモちゃん、段差気を付けてね」

 愛姉は土産物店で飛び付くように買ったローカロリーストロベリーアイスをコーンまで食べ切りながら、幼児に注意するように俺へ言った。完全な子供扱いにムカついたので、鼻の頭に付いたアイスは黙っておく。って言うか、洗っていない手で握ったアイスのコーンなんかよく食えるな。

「えーっとねぇ。まずは境内入って、百メートルくらいのとこにあるお社行くらしいよ。そこで身を清めてもらって、また真っ直ぐ」

 愛姉はガイドブックに掲載されている参拝方法を確認するが、俺は既に学習済み。鳥居を潜り下り坂を行くと、右手にある祓社に手を合わせ、次は本殿目指して歩いていく。

 そうしてやがて小さな橋(祓橋というらしい)を渡ったら、今度は砂利の敷かれた松並木の参道が俺たちを迎えてくれた。ただし真ん中は神様の通り道らしいので、俺たちは石畳で舗装された端を歩かなければいけない。

 そして正面に細かい漢字がぎっしり刻まれた銅鳥居が見えると、すぐに拝殿。その奥が八足門で、更に奥に鎮座しているのが御本殿等である。

「おお〜。これが噂の」

 愛姉はそう言って、スマホを取り出しパチリ。しかし、誰がいつどういう噂をしていたんだろう。

「さ、行くぜ」

 俺は愛姉にかまわず先を急ぐ。かまってやれずに申し訳ないが、これから俺の修学旅行におけるハイライトが開始されるのだから仕方ない。

 青春の象徴である修学旅行がこんな形になって寂しいったらないが、こっちは観光目的の生半可な気持ちではないのだ。はしゃいで油断が生じたら取り返しがつかない事態になりかねない。愛姉はその飛び入り参加という自覚を持つべきだ。

 さて、銅鳥居をくぐり拝殿を前にしても、周りに人はまばらだった。

 まあ、空いている状況は俺にとって好都合だ。どこから迷いこんだのか丸々とメタボった白ネコが一匹いて、デカいしめ縄の下で昼寝していたが、警備の係員からも死角になっているようで、騒がれもせず誰も気に留めていなかった。これなら気兼ねなく、ゆっくり厚かましく神様に願いを送れるだろう。

 ちなみに出雲大社の参拝は、他の神社と違い、拝殿の前に立って二礼四拍手一礼をするのが作法らしい。もっとも他でほぼお参りの経験がない俺には、なにがどう違っているのかよく分からない。とにかく二礼四拍手一礼なのだ。大事な日の大事な儀式に間違いがあってはいけない。

 俺と愛姉は、ガイドブックに掲載されている挿絵の通りに参拝を行う。

 まずは賽銭を四十五円。三つある賽銭箱の真ん中にそっと入れる。そして心の中で、神様に自己紹介。

 えっと、俺は名越朋時と言います。高校二年です。アイスダンスをやっています。競技歴は八年です。パッとしない成績ですけど、パートナーとのユニゾンはけっこう自信があります。競技は続けたいです。でも近頃は母さんの勉強しなさい圧が凄くて、それをどうやってかわすか、ちょっと悩んでます。

 そしてたぶん粗相があると思うので隣の女の子のフォローもしておきます。彼女は森愛花と言います。同じ高校でアイスダンスのパートナーです。ケガで辞めてしまいましたけど、あれでも昔はシングルの選手で、相当な成績を収めていました。ちょっと小柄だけどバイタリティあってタフな、俺の姉ちゃんみたいな幼馴染みです。二人ともペンギンさんフィギュアスケートクラブに属しています。ちょっとアレですが基本良いヤツです。

 で、わけあって俺は愛姉に競技中にケガをさせてしまって、それをきっかけにコーチである父さんに見放されました。父さんは今後、関西でコーチを行うと言って、いまは家にもいません。大阪に有望株がいたようです。

 父さんはシングルからアイスダンスに転向した競技者で、どちらも教えられる名コーチとして有名です。それにいまはシニアで活躍している人気アイスダンス選手が彼の元教え子で、それが最近のアイスダンス競技者増加の一翼を担ったとか言われ、業界じゃ功労者扱いされています。

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