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ウォルテニア戦記

保利亮太

第一章 召喚 (2)

 少しずつ青年の力に押し込まれ、老人の首筋へ刃が近づいて行く。

 しかし、後少しで首筋がかれるというところになって、とつぜん老人が力をゆるめた。そして、急に圧力が消えた事でバランスをくずしかけた青年の目に老人の親指が突き出される。

 力での勝負が不利と判断したのだろう。老人は両手で握り締めていたつかから左手を離すと、青年のひとみに指を差し込もうとしたのだ。

 さすがにこの不意打ちで青年は体を大きく引いて間合いをとる。

「糞ったれが! 稽古できたないまねをしてるんじゃねえよ! いい歳こいて!」

 そろそろ青年の我慢も限界に近いのだろう。老人に対する口調が汚くなってきた。

「フン。実戦を想定しない稽古に意味などないわ! 汚いも糞もあるか!」

 老人にとっての実戦とはほど汚いものなのだろう。けんじゆつの稽古中にこうげきをしてもまったく悪びれた様子がない。もっともその不意打ちを無事にかいする事が出来る青年もまた、本人が思っているほどつうとは言えないのかもしれないが……。


 彼らの稽古は常にや最悪の場合は死に至る危険をはらんだものだ。しかし彼らはおたがいの技量を理解し、共にギリギリの状態でとどめている。殺気は込めても殺意を纏わせているわけではない。二人が行っているのはあくまで実戦にそくした稽古なのだから。

 老人は後ろへ飛び下がると刀をさやに納め、近くの竹に立て掛ける。そして、ゆっくりと青年の方へ向き直った。

 全身の筋肉はだつりよくされ、りよううでがだらりと下がっている。それはまさにかんぺきな自然体。無構えこそ最高の構えというやつなのだろう。

「素手で来い! お前のその鹿ぢからが何の役にも立たない事を教えてやろう!」

「いいぜ? お望みどおり相手してやるよ! だが、刀で勝てない俺に徒手で仕掛けて勝てるのかね?」

 青年の口にちようしようが浮かぶ。

 だが、老人は何も言わずあごで刀を納めろと合図をした。

 青年は言われるまま刀を納め竹に立て掛けると、老人の方を向く。

 左手の拳を顎の近くにえ、右手は正中線を隠すように下げる。左足に重心をかけ、右足は内側につま先を向ける。りも拳も使用できる構えでありながら、人体の急所を隠すこうぼう一体の構えだ。

 この二人にとって、素手であってもその危険度は何も変わらない。息の詰まるような緊張感。

 しかし、とうとつせいじやくは破られる。突然、青年の腹がごうかいに鳴ったのだ。

 夜も明けきらぬ早朝に起き出し、稽古を始めて既に一時間が過ぎようとしている。空腹で腹が鳴るのも当然だろう。しかし、彼の師匠である祖父は孫が空腹だからと稽古を中断してくれるほど甘くない。

(クソ! 腹減ったなぁ……爺め、いい加減終わりにしねぇかな?)

 だが青年のいのりもむなしく老人の構えにすきはない。やる気満々のようだ。もし青年がけいかいに緊張を解けば、そのしゆんかんに襲い掛かってくる事が目に見えている。

 朝早くから叩き起こされ、命の危険を孕んだ稽古に空腹でのぞむ青年。彼を不幸だと思う人間は多いだろう。

 しかし、神はそんなさちうすい青年にあわれみをあたえた。ようやく救いの天使がりたのだ。

「いいかげんにしなさ~~~い! せっかく作った朝ご飯が冷めるでしょうが! まったく。二人とも朝から何をじゃれついているのよ?」

 青年の視線の先には、くろかみを後ろでポニーテールにしたエプロン姿の少女がいた。

 背は百七十センチ半ばにやや足りない位だろうか。意志の強そうな黒い瞳がりよくてきな少女。

 桐生きりゆう飛鳥あすか。それがかのじよの名前だった。

「じゃれる? この爺と? 冗談はやめてくれよ……」

 少なくとも青年には、朝早くからしやや冗談で真剣を振り回し、素手で相手の目を抉ろうとする様なしゆはない。

 さも心外だと首を振る青年の態度に、飛鳥は目を細めて尋ねる。

「じゃあ、何をやっていたのよ?」

 改めて問いかけられ、青年は思わず首をかしげた。そして、稽古というにはあまりにも危険なこの日常を最も正しく表すであろう言葉を口にする。

「殺し合いかな?」

 その言葉を口にした瞬間、竹林に鈍いげきおんが響き渡った。そして、それに合わせて、てのひらを打ち合わせたような音が混じる。

「痛っ……」

「何を鹿な事言ってるのよ!」

 飛鳥がれいに整えられた形の良いまゆを吊り上げ、手にしたオタマを振り上げてかくする。

 どこから取り出してきたのか?

 青年の頭に一撃を加えたのは、今、飛鳥が振り上げているオタマであろう。それはまさに電光石火のはやわざと言えた。青年の身体能力は非常にすぐれているはずなのに、彼の頭へつうれつな一撃を加えたのだから。

 そのしように、オタマでなぐられうずくまりかけた瞬間に繰り出された老人の拳を、青年は掌で受け止めている。中指の第二関節を角の様に突き出した拳。中高一本拳と呼ばれる拳だ。

 せいけんの様なかいりよくはないが、その代わり急所を打ち抜くには最適な攻撃。これで、青年のこめかみを狙ってきたのを防いだのだ。

 まさに野生動物の様なかんと厳しい修練のたまものといえる反応だろう。

 ところが少女の攻撃だけはけられない。もっとも、それはまだマシといえる。

 昔のまんでも同じような物がある。主人公が他の女へ手を出すたびにハンマーで殴られるという漫画が。

 その作品もまた、普段はじゆうだんすらも避けられる主人公がヒロインのハンマーだけは避けられないという不思議な現象が書かれていた。それに比べればまだましといえるだろう。どれほど青年の肉体ががんきようであろうとも、ハンマーのちよくげきを頭に食らえば死ぬだろうから……。

「飛鳥ちゃんよ。おとまんざいは楽しいかね?」

 青年がオタマで殴られる事になったげんきようが、したり顔で飛鳥に話しかける。

 既に、稽古時に纏っているはくや威圧感はかけらも残ってはいない。どこにでもいるこうこうでしかない。

(避けられたとはいえ、俺に不意打ちを食らわせておきながら平然と笑ってやがる。だからきらいなんだよ……この爺は)

 正直言って、青年は自分の祖父でありながら、老人のこのギャップにはついて行けなかった。

「お爺ちゃん! 何を言ってるのよ。私にはかれいるしぃ……大体、りようじゃねぇ?」

 そう言うと飛鳥は意味ありげな視線を青年へと向けた。

 ねこねずみをいたぶるのにも似た状況。どう答えようと青年にはごく行きの道しかない。

(冗談じゃない。俺だってゴメンだ)

 青年は大きくため息をつくと、心の中で呟いた。

 一人の女性として見た時、確かに桐生飛鳥は魅力的な女性だと言えるだろうし、その事を青年も否定するつもりはない。しかし、同時に幼い頃から共に過ごした年月が男女の関係に発展する何かをうばった事も事実だ。青年にとって桐生飛鳥とは姉や妹といった存在に近いのだ。

 もっとも、その心情を言葉として出す勇気は青年にはなかった。従兄妹いとこの性格を、彼はイヤと言うほど理解していたから。

 ちんもく。それこそが青年のとるべきゆいいつせんたくだ。誰も傷つかない為の。

 しかし、そんな空気を読まない存在がいる。

「そうは言うが飛鳥ちゃんよ。こうやって毎朝食事の準備をしてくれるではないか。ただのおさなじみならせんだろ?」

 老人がしつこく飛鳥にからむ。単純なこうしんなのか、はたまた何かおもわくがあっての問いかけなのか。どちらにせよ青年にはありがたくない流れだ。

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