精霊幻想記

北山結莉

プロローグ / 第一章 前世 (1)

プロローグ



 地球ではない何処どこか遠い世界で。


 少年は知っていた。

 くさりきったこの世に救いなどない。

 強い者がさくしゆし、弱い者が搾取される。

 それがこの世界の不条理なルールだと。

 残飯をあさり、ものいをして、暴力をるわれ、犯罪のかたぼうかつがされる毎日。

 れいのようにこく使され続け、少年の精神はとっくにすり減っていた。

 だが、それでも少年はかつぼうせずにはいられなかった。生きたい。生きて殺さなければならない男がいる。そのためならどろみずだってすすってみせる。

 そんな願いにすがって――。


 うすぐらい小屋の中。

 窓から入り込む朝日がっすらと室内を照らしている。

 小屋の中にはびた鉄のようなにおいがじゆうまんしていた。

 死体が転がり、血でれているゆか、部屋のすみに一つのふくろが置かれている。

 そう、ちょうど小さな子供が入りそうな――。

「んー! ん、んんー!」

 袋がもぞもぞと動いて、中からくぐもった声が聞こえてきた。

 胸のどうが治まらない。

 身体をふるわせてじっと息を殺すと、少年は袋に近づいておそるおそるひもをほどいた。

 するすると音をたてて袋の口が開放される。果たして、そこにいたのは神官服に似た美しいドレスを着た実に可愛かわいらしい女の子だった。

 うすむらさきいろのゆるやかな長いかみに、紫のひとみをした幼い少女。

 ――ああ、やっぱり。

 少年は知っていたのだ。

 こんな世界に――。

 救いはないと。

第一章 前世



 場所は日本。それはもう何年も昔の話だ。

 さんさんと降り注ぐ夏の日差しが、じりじりとアスファルトを照らす日のこと。

 とある住宅街で、少年と少女が悲しい別れをむかえた。

「ハルくん、行っちゃやだよぉ!」

 一台の引っし用トラックが止まっているかたわらで、一人の少女が泣きながら少年にすがっていた。かのじよの名前はあやはる。このころはまだ七さいの少女であった。

「みーちゃん、泣くなよ。きっとまた会えるから、な?」

 まない少女に抱き着かれ、少年がじように語りかける。

 少年の名はあまかわはるかれも当時はまだ七歳の子供だった。

 これから春人は父と二人で遠い田舎いなかに行かなければならない。

 次に美春といつ会えるかは不明だ。当面この地に帰ってくる予定はないのだから。

 春人の両親はこんするのだ。母と妹はいつしよにこの街に残って暮らすようだが、すでに春人たちが暮らしていたちんたいマンションは引き払ってある。

 春人の父と美春の両親がいたたまれない表情で遠くから二人をながめていた。

「やだよ、行かないでよ。ハルくん!」

 泣きながら行かないでとこんがんする美春に、思わず春人も泣きたくなってしまう。だが、泣くわけにはいかなかった。美春の前で弱いところは絶対に見せたくないから。

 だから、「だいじようだよ」とか、「また会えるから」とか、何のこんきよもなく必死に強がり、美春を泣き止ませようとした。本当はくやしくてむなしくて、自分も泣きわめきたかったのに。

 春人は美春が大好きだ。美春も春人が大好きだ。

 二人の出会いは運命かぐうぜんか。おたがいの両親がとある新築の賃貸マンションに引っ越し、たまたま部屋がとなりどうで、たまたま同じ年の春に生まれた子供がいたおかげで、何となく家族ぐるみの付き合いに発展したことがきっかけだった。

 春に生まれたから春人、春に生まれたから美春。春人の両親は共働きだったから、春人は美春の家に預けられることが多かった。

 そんな二人は赤んぼうのころからずっと一緒に育ってきた。二人の関係を言い表すのならばまさに『おさなじみ』という言葉が相応ふさわしいだろう。

 だから、物心がついたころには、二人がかれあっていたのは必然だったのかもしれない。

 当時はこいとか愛なんて言葉の意味は知らなかったけれど、二人にとってお互いは本当に特別な存在だった。好きになった理由とか、きっかけとか、そんなものは存在しても、しなくても、どっちでもよかった。

 ただただ相手のことが大好きだったから、夢中だったから。

「ハルくん、ハルくん。一緒にいてよぉ」

 何とかして美春を泣き止ませたい。美春が悲しくなると自分も悲しくなってしまうから。

 だが、いっこうに泣き止まず、わんわんとさけびながらしがみついてくる美春に、春人はどうしたらいいのかわからなくなってしまった。

 無力な今の自分にいったい何ができるのだろうか。最愛の幼馴染との別れすら防げない自分に――、そう考え、春人はぎゅっと手をにぎりしめた。

 春人は美春と一緒にいられればそれだけで幸せなのだ。

 しかし、今の春人ではそれをかなえることはできない。まだ子供だから。

 なら、いつかそれを叶えてみせよう。美春とずっと一緒にいて、ずっと美春の隣を歩きたい。だから、そのおもいを伝えよう。それが今の自分にできるゆいいつの事だ。

おれ、大きくなったら迎えに行くから! だから、だからその時はけつこんしよう!」

 春人はせいいつぱいの勇気を振りしぼって、美春に一世一代の告白をした。

「そしたらずっと一緒にいて、ずっとそばにいて、死んでもみーちゃんのことを守るから!」

 続けて、春人が叫んだ。どくん、どくん、と心臓の高鳴るどうが聞こえる。

「……、かな?」

 声を震わせて、春人がたずねる。

 美春はいつの間にか泣き止んでいて、春人の顔をぼーっと見上げていた。

「する。する。ハルくんと結婚する!」

 ややあってそう答えると、美春はまぶしいくらいにれんみをかべた。

 それがうれしくて、絶対にこの約束を叶えよう、と春人は思った。

 どんなにさいげつが流れたってかまいやしない。守ろう。このがおを守ろう。そうちかって、別れぎわに小さくキスをして、春人は美春と別れた。


 それは、何のこうそくりよくもない、幼い日のあわはかない約束だ。

 まだ先の未来がどうなるかなんて、まったく知らなかった頃の約束――。

 だが、その約束は確かに春人の胸のおくふかくにきざまれて、その後の彼の人生をちよくなまでに大きく支えた続けた。


 それから、幼い春人は美春と再会することを夢見て、ひたすら前へ前へと努力し続けることを決めた。美春に会いたい。美春に会うためなら立ち止まってなどいられない。何でもいいから努力して、成長すればするだけ再会の時は早まるんだと、そう信じて。

 だから、春人はいつしようけんめいに勉学にはげみ、実家の家事や農業を手伝い、昨今ではめずらしく厳格な祖父から精神をきたえろと古流の武術を教わった。

 そのおかげか春人は実直でな人間に成長していくことになる。

 らぐことなく努力し続ける春人の想いが届いたのか、春人はかつて美春と共に暮らしていた街にある有名な進学校に入学することを父に認められた。

 結果、春人は入学先の高校で美春としようげきてきな再会を果たすことになる。運命のいたずらか、ただの偶然か、美春も春人と同じ高校に進学していたのだ。別のクラスではあったが、クラス分けのめい簿に美春の名があった時はおどろきで思わず固まってしまった。

 そして、成長した美春の制服姿を見た時は目をうばわれて固まった。大きくなってもちがえるはずがない。遠く、だけど、とっても身近で、ずっと大切な人だったのだから。

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