老いた剣聖は若返り、そして騎士養成学校の教官となる

文字書男

序章 老いた剣聖は若返り (2)

しつけですが、もしよろしければ、今のお力というものをお見せいただけませんか?」

 それは、老いたアランの実力である。

「構わないが、どう見せれば良いかな?」

「私と試合をしましょう。こう見えて剣の実力は、管理局の中でもトップクラスなんですよ」

「それはそれは。ではどうか、お手柔らかに頼もうか」

 成り行きにまかせ、表に出る。

 アランが小屋のわきから持ち出した二振りの木剣のうち、ネネは片方を与えられた。命を奪いあうための勝負でないため、自前の剣をもちいないこの得物での決着に、彼女はすぐ納得した。

 また、あくまでも試合として扱うため、ルールを決めて立ちあうことで合意した。

「時間無制限の一本勝負でいきましょう。寸止めはできますか?」

「……だいぶ勘が鈍っておるようだ。うまくできるか保証はない。何、九十にもなった爺が振るう剣だから、あなたの腕が確かなら当たらんだろうさ」

 正午近くになった晴天からは、あたたかな日光が小屋のわきの広場に差している。

 この場所に適当な距離をおき、ささやかな挑発を交わして、合図もなく始めた。

 先に仕掛けるネネは、一足飛びにアランの懐まで飛び込み、木剣を横になぎつける。

 神速という異名を持つ彼女の、踏み込みから斬り込みまでは、ほんのまばたきをする間でこと足りた。人間の体内を流れる生命エネルギーの緻密なコントロールによって、一時的に身体能力を飛躍させたからこそできる芸当だった。

 対して、アランには少しも動く気配が見受けられない。ただ木剣をゆるく構えたままであるのは、自分の動きに対応できていないからなのか、それというものが彼女にはわからない。

 無抵抗? 反応できていない? わからない、止めるべきか……。

 予感がして、やむを得ず寸止めをしようかと考えた時に、彼女は見た。

 自分のそれの何倍も速い体さばきで、アランが斬撃の届く範囲から逃れたのである。

 正面にいた相手を見失い、気がつけば背後もとられて、圧倒的かつ得体の知れない、強大な気配を当てられていた。彼女は背筋を凍らせたまま、もう動けなくなった。

「ほれ、一本かな?」

 力の大きさと不釣り合いな、気の抜けた声とあわせ、木剣の腹でこつんと、頭を優しくたたかれる。冷や汗を流すネネは、この結果に伝説の実在を確信すると、小さく笑うのだった。



「まさかあれほどとは……おれしました」

 掘っ建て小屋の中で頭を下げるネネは、アランに素直に敬服していた。

 老いにより力を失っているにもかかわらず、相手は自分のそれを優に上回っていたのだ。これが僅差なら、くやしい思いをしていただろう。しかし、実際は言葉にしがたいほどの大差があった。

 彼女は完膚なきまでの大敗に、むしろすがすがしい気分になっていた。

「いや、そうでもないさ。あれが今の私の限界だ。あなたの剣筋と体捌きを見たが、数年もすれば、あなたもあのくらいは容易たやすくできるようになるだろう」

「伝説の剣聖にそのようなお言葉をいただけるとは、うれしい限りです。私は確信しました。この大役をお任せできるのは、きっとアランさんだけだと」

「どうしてもやれと言われれば、お引き受けはする。だが老い先短い私の身体では、できることにも限りがある……あまり大きな期待はしない方がいい」

 アランが遠回しに難色を示すが、彼の実力を十分に知ったネネには考えがあった。

 彼がまったく予想していなかったもの──極めて珍しい手段だった。

「もしも私が、そのご老体を若返らせるものを持っているとしたら、いかがでしょうか?」

「私を若返らせる、とな?」

 ネネは手荷物の中に手を入れ、小瓶を一つ取り出した。

 アイゼオンの『神樹』と呼ばれる大樹の葉より、三百年に一度だけ採れるしずくが入ったもの。非常に高価で貴重な代物であるが、くだんの世界情勢をかんがみた国の最高権力者から『開戦をまぬがれるためならば』と託されていた。

「これは、私の祖国で国宝とされる『神樹の雫』です。神樹は無限の生命エネルギーを宿す大樹……言い伝えによると、人が飲めば、肉体はもっとも充実していた時まで若返るとされています」

「これを飲み、全盛期の肉体を手に入れたならば、騎士養成学校で教官として勤めよと。つまりは、そういうことなのだな?」

「はい。引き受けて、いただけますね?」

 アランが目を閉じて考え込む。

 返事を渋るというよりも、誰かに思いをせるように優しげな、今ばかりはこの場から心が離れたような、曖昧な態度であるだろうか。

 そう察したネネは、かさずに待った。

「……いいでしょう。どうせこのまま朽ちるだけの命だ。今度は違う道を歩んでみようか」

 やがて意を決したアランに、ネネは表情を明るくして小瓶を差し出した。彼がそのふたを開けて、一息に飲み干すさまにくぎけとなり、その変化をうかがう。

 穏やかに変わるのかしら、それとも一気にしわが消えたりして……。

 若干わくわくとしていたが、彼女はそれから顔を曇らせることになった。

 途端にアランの身体が発熱を始めたのだ。彼が喉や胸を押さえて苦しみもだえるさまは、まるで毒を盛られたように、あまりにも、むごたらしいものに見えた。

「アランさん!? 大丈夫ですか!?

 神樹の雫がもつ実際の効能を知らないネネは、これに戸惑いを隠せなかった。もしかすると、このまま絶命してしまうのではないかと、不安さえも抱いていた。

 黙ってほうけてはいられない、私がなんとかしなきゃ……。

 気を持ちなおした彼女は、屋内のすみに畳まれていた布団を敷き、アランをそこに寝かせた。

「しっかりしてください……まさか、こんなことになるなんて」

 少しでも熱を冷ますため、ネネは外にあった水瓶から、おけに水をんで用意する。

 自前の手拭いをらしてアランの額においた。手拭いが熱を吸ってぬるくなるたび、冷たいものに替えることを繰り返した。また、彼の身体がひどく汗をかけば、それをこまめに拭き取った。

 そうしたことを、翌日の明け方まで続けたのだった。


 ネネはうたた寝から目を覚ました。

 日の昇り具合から昼近いこと、目の前にある布団が空であることを知った。昨晩、覚えがある限りうなされていたアランの体調が気にかかり、彼女は小屋を出て、辺りを調べた。

 起きて水をかぶったのか、水瓶のそばにはみずたまりが一つ。これに連なって水のしたたった跡があるなら、そちらへ向かったに違いない。その先である小屋の裏手では、絶えず滝の音がしていた。

 跡をたどってたきつぼに行きついた彼女は、岩礁の上に青年を見つけた。

 白い髪と着物の染め具合には、見覚えがある。だから、彼を呼ぶ名前も、自然とそうなる。

「アランさん?」

 聞こえていないのか、ごうごうと鳴っているばくを見据えた青年からは、返事がない。今にも引き抜かんと、手はつかに構えられている。そんな青年が精神統一を思わせる沈黙と深呼吸を繰り返すほど、異様なまでに生命エネルギーの高まる気配が感じられた。

 そして一瞬の抜刀から、続けざまに振りきられた。

 一閃する刀身から放たれた衝撃波が、瀑布を逆流させる。影響して巻きあがっただろう水飛沫しぶきが、数秒してどっと降りそそいだ。この場の天気が、たちまち一風変わったにわか雨となる。

 これをかぶってぜんとなるネネをよそに、青年がほほみと一緒に振り返った。

 遅れて返事をした青年の声音は、聞くにやわらかく穏やかなものだ。

「おはようだ、ネネ殿」

 東の国の人知れない山奥。かつて歴代最強と謳われる剣聖だった老人と、世界の平和を願って働く女が出会う。この出会いが後の世に何をもたらすか、今はまだ誰も知らない。



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