信長の弟 織田信行として生きて候
第二章 那古野城 (1)
第二章 那古野城
土田御前には必要最小限の供回りのみで清洲城に向かってもらった。無論、供回りとして付き添う者達には清洲城の門を跨がずに、帰るように申し付けている。下手したら、下人などは問答無用に殺されてしまうからな。
でだ、どういう訳だか織田信行になったと思われる俺はというと、一旦は那古野城に向かう事にした。母である土田御前曰く、那古野城の城主である林秀貞が俺を助けてくれるらしいのだ。
ちなみにだがこの林秀貞、昨年八月にも柴田勝家や彼の弟の林通具と共に、織田信行を担ぎ上げて謀反を起こしたらしい。
正確に言うと、彼の兄弟と柴田勝家が俺を担いで謀反。林秀貞は傍観していただけらしいがな。そして、半分にも満たない戦力しか率いてこなかった信長に完敗を喫した、との事。
……もうね、俺はそれを聞いて信長相手に勝てる気がしなくなったよ。いや、端から勝てるとは思ってはいなかったよ? 一戦するも痛み分けを、いやさ引き分けを狙っていたのだ。
それならば、信長も俺を、信行を許し易かろうと考えて。
でもね、まさか倍の戦力を擁してコテンパンに負けているとは……
そういうところが、信長が信長たる所以なのかもしれないがな! もう城に篭って、なるべく穏便な条件を出してもらえるよう、願うしかないのかもしれない……
その篭る那古野城なんだが……
「城下が、町が……ない?」
「はっ! 昨年、信長様による焼き討ちに遭いましたゆえ、未だこの有様。そも、那古野城は……」
殆ど裸城……いや廃城であった。堀が結構埋め立てられているし、聞くところによると塀の中の……屋敷? もいい感じに壊されているとの事。
要するに、絶賛解体中だな。昨年の戦いの後、信長から城を壊すように、と命じられたんだとか。
正直ここでは、篭れないんじゃなかろうか? 塀や蔵、屋敷の母屋? が残っているだけと聞くし……
そんな心配をおくびにも出さず、俺は那古野城の門を潜った。すると、先触れを出していたからだろう、
「信行様、お待ち申し上げておりました」
初老の男性を中心とした、数名の侍達が待ち受けていた。
(真ん中の、ダンディーな男が林秀貞なのだろうな)
俺はそう見当を付けた。
「林秀貞、世話になるぞ」
「はっ! 信行様の城だと思い、存分にお使い下され!」
(良かった、合ってた!)
「うむ!」
威勢良く返したはいいが、本当は間違ってたらどうしようかと、俺は内心ドキドキしていた。
それにしても、ここに来たのは失敗したかなぁ、と思わずにはいられない。何故ならば、攻めるには易く、守るには難そうなのだから。
かつては駿河今川家と尾張織田家の境界を守っていた城、と聞いたから来たのになぁ……
城というか、館なのだろうか? その中に入ると最初に足を洗われた。
その際、飲み水を貰い手洗いと、口に水を含んでガラガラとうがいをした。すると、周囲の者に怪訝な顔をされてしまった。
その後、俺主観で広めの部屋に案内された。一人ではない、四名の若い少年? 達と共にだ。
多分だが、彼らは信行の小姓なのだろう。時折、部屋の上座に座る俺に対し、チラチラと目線を寄越してくる。
心配そうにしている奴、妙にうるうるした瞳で見てくる奴、中にはジト目でガン見してくる奴もいた。見るだけでなく、話し掛けたがっている奴もいた。
が、俺は目を閉じ、眉間に深い谷間を形作り、如何にも気難しげな顔を作って寄せ付けない。無論、こちらからも話し掛けたりはしない。
何故ならば、彼らの名前を誰一人として知らないからだ。今更だが、土田御前からそれとなく聞き出しておけば良かった。
もっとも、あの時はあまり悠長な事をしている暇がなかったがな。
やがて、
「信行様、ご準備が整いましてございまする」
と声がした。
俺は取り敢えず、
「うむ!」
と答え、部屋を出る。勿論、何の準備が出来たかは知らない。
飯であったら嬉しい、がそんな訳はあるはずもない。分かってはいても、そう願いたい今日この頃であった。
案内された部屋は大広間であった。所謂、上の間とか、評定の間、と呼ばれる所なのだろう。
そこに、侍達が平伏して並んでいた。俺はそんな中、時代劇の将軍様よろしく上座に座る。
すると、俺の後からカルガモの雛の如く連なっていた小姓らも腰を下ろした。俺の背後に、二人ずつ左右に分かれて。
そこで俺は、
「苦しゅうない、面を上げよ」
と落ち着いた感じで口にした。多少、声が震えてしまったのはご愛嬌、である。
直後、十数名の侍達が、
「はっ!」
と一斉に答えた。
しかし、彼らが顔を上げたのはほんの少しだけ。
(……あれぇ?)
俺は困惑した。テレビで見た通りに、上手く言えたと確信していたからだ。それなのに……
はっ! あれか? お武家様の特有のご作法か?
武家の作法だろうが何だろうが、こんな状態で俺の行く末……、いや〝織田信行とその郎党〟が歩むべき道を論じるなど不可能だろ?
そして、何よりも、
「時間が惜しい! 構わぬからしっかと面を上げよ!」
切迫していた。
これが本当に〝評定〟と言うやつなのだろうか?
俺がおおよその状況を説明した後に、
「忌憚なく、存念を述べよ」
と言ってみたのだが、多くの者が「ぽっかーん」としたままだ。
いや、驚いたのかな? それは……俺が変な事を口走ったからか? つまりは、信行が普段口にしない台詞を言ってしまった、と言う事か?
……むぅ、困った。
それならばと、誰かを指名して意見を聞きたいのだが……林秀貞以外の名前が分からない。どうしたものやら。今更ながら、自身のコミュニケーション能力の低さが恨まれる。
……万年平社員だったからな。
やがて、一人の若武者が堪らず声を発した。彼は俺が清洲城に向かっていた隊列にもいた、優しげな視線を俺に向ける若者だった。歳は同年代か……やや上か?
それなのに、宿老しか座れぬであろう最前列の一席を占めている。
そんな彼が口にした言葉は、
「お、恐れながら信行様。我らは如何なる下知にも従う所存です。されど、まずは信行様の御存念をお話し頂けますでしょうか?」
であった。