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恋の手習い始めます 初心な堅物書道家は奥手な彼女を溺愛する

西條六花

プロローグ (1)

プロローグ



 よく晴れた日曜の昼時、街中のビル内にある大型書店は客入りが盛況で、たくさんの人でにぎわっている。

「すみません、本を探しているんですけど」

「はい。タイトルをお伺いしてもよろしいですか?」

 ちょうど休憩に入ろうとしていたところを呼び止められた書店員のはるは、問い合わせに笑顔で応える。

 五十代くらいのおっとりとした女性は、「ええとね」と言って考え込む様子を見せた。

「昨日、テレビに出てきた本を探してるの。ほら、タオルを使ってダイエットするってやつ。かなり売れている本だって言ってたんだけど」

 店内にはさまざまなジャンルの書籍があり、その中からタイトルがわからない本を探し出すのは難しい。

 しかし女性客の言葉には、いくつかヒントがある。晴香は「お調べいたしますね」と言ってカウンター内に入り、パソコンで検索を始めた。

(昨日放送の番組に出てきたもので、タオルを使ったダイエット……。あ、これかな)

「お客さま、こちらでしょうか。『タオルエクササイズで、毎日五分間ダイエット』──他にも類似したものが何点かございますが」

「そうそう、それよ。在庫はある?」

「はい。売り場までご案内いたします」

 人の間を縫って客を目的の書架へと案内し終えたあと、目に付いた陳列の乱れを直す。朝に平積みした新刊の文庫がだいぶ減っているのを見て、棚下のストックを開けて補充した。

(この新刊、意外に動いてるな。ラノベ担当のなかむらさんは今日休みだけど、在庫の残りがわずかだし、取次に少し発注かけておいたほうがいいかも)

 だが他の書店でも売れている場合、取次に発注をかけても減数されることが日常的にある。在庫切れにならないよう、最初の入荷の段階で数を押さえておきたいのは山々だが、次々と新刊が出てくるために余分な在庫は持ちたくない。

 そもそも再入荷しても長く売れるという確証がなく、陳列するスペース自体が限られているという現状は、書店員としてよくあるジレンマだ。

 晴香はT書店の正社員で、二週間前に他店から異動してきたばかりだった。街の中心部にあるこの店は、店長の他は主婦と学生を中心としたアルバイトが多く、社員である晴香は彼らより立場は上になる。早く店舗に慣れなければ的確な指示ができないため、最近は異動直後ならではの気を張って肩に力が入る毎日が続いていた。

 今日は早番で、午後五時半までの勤務になる。午後の勤務を終えて退勤した晴香は、独り暮らしの自宅アパートではなく、実家に向かった。地下鉄を終点で降りてバスに乗り換え、降り立った住宅街には、あちこちから夕餉の匂いが漂っている。

 一日を通してよく晴れた今日は空が澄み渡り、細切れになった雲を夕焼けが茜色に染めているのがきれいだった。それを眺めて歩きつつ、晴香は考える。

せいちゃん、用事って何だろ。「直接会って話したいから」って言って、詳しくは教えてくれなかったけど……)

 仕事終わりにわざわざ実家に向かっているのは、幼馴染のみずしませいに呼び出されたからだ。

 晴香の実家の向かいに住む彼は四歳年上で、生まれたときからのつきあいになる。優しく穏やかな性格の水嶋は昔から晴香を妹のように可愛がってくれていて、互いに社会人となった今も通話アプリなどで頻繁に連絡を取り合っていた。

 彼の面影を思い浮かべ、晴香は頬を緩める。水嶋とは、幼い頃から将来を約束した間柄だ。「いつか晴香をお嫁さんにしてあげるよ」と言われた幼稚園のとき以来、自分はいつか彼と結婚するのだと思いながら生きてきた。

 水嶋とは年齢差があるために同じ高校に通うことはできなかったものの、週末などには一緒に映画に行ったり、買い物に出掛けたりと、学生らしいつきあいをしてきた。途中で彼が留学して離れたことがあったが、晴香にとって水嶋はずっと大好きで大切な存在だった。

(でも……)

 ──ここ最近、「自分たちは、ちゃんと〝つきあっている〟といえるのだろうか」と思うときが多々ある。

 なぜなら晴香はこの歳まで、彼と身体の関係がないからだ。

(誠ちゃんの中で、わたしはまだ子ども扱いなのかな。……もう二十三歳なのに)

 互いに社会人になったあとも、水嶋は手を出してこない。学生の頃は「大事にしてくれているんだ」と自分を納得させていた晴香だったが、去年大学を卒業し、就職をしてからも、関係は何ひとつ変わらなかった。

 それどころか仕事の忙しさもあり、最近は以前より会う頻度が減ってしまっている。

(年齢から考えると、こんなにプラトニックなほうがおかしいよね。わたしだって、普通のカップルみたいに誠ちゃんといちゃいちゃしたいのに)

 今日は彼から「話したいことがあるから、仕事のあとに実家まで来れる?」と呼び出されていた。どうせなら実家ではなく、外で二人きりで会いたいと思ったが、水嶋の目的は一体何なのだろう。

(ま、ついでに実家で晩ご飯を食べていけるからいいけど。今日のおかずは何かなー)

 バスを降りて二分ほど歩き、実家に到着する。

 玄関に入ると、水嶋のものとわかる男物の革靴の横に、オフホワイトの女性物のパンプスがきれいに揃えられていた。

(誠ちゃんだけじゃない……? 誰だろう)

「ただいまー」

 ドアを開けてリビングに足を踏み入れると、ソファに座っていた水嶋がこちらを見る。彼は晴香に向かって微笑んで言った。

「おかえり。お邪魔してます」

「あっ、うん」

 応えながらも、晴香は水嶋の隣に座る女性が気になって仕方がない。

 清楚なワンピース姿の彼女は、二十代後半だろうか。セミロングの髪には艶があり、顔立ちはきれいに整っている。ピンと伸びた背すじや膝の上で揃えられた手は育ちの良さを感じさせ、ふんわりと優しげな雰囲気の持ち主だった。

「えっと……そちらの方は?」

 すると台所から現れた晴香の母親が、笑顔で言った。

「おかえり、晴香。聞いてちょうだい、誠也くん、こちらのお嬢さんと結婚するんですって」

「えっ?」

「今日はわざわざ報告に来てくれたのよ。うちは昔から、家族同然につきあってきたからって」

 あまりに思いがけない展開に、晴香は咄嗟に言葉が出てこない。水嶋は、自分と婚約していたのではなかったか。

(どうして……)

 そんな晴香を見つめ、女性が微笑んで挨拶してくる。

「初めまして、のうです」

「同じ会社で働いててね。結婚するに当たって、家族ぐるみで仲良くしているこの家には直接報告しなきゃと思って、彼女を連れてきたんだ」

 にこやかな水嶋には、こちらに対する良心の呵責などは微塵も感じられない。晴香は内心、ひどく混乱していた。

(結婚の報告って……誠ちゃんはわたしには何も言わずに、この人とつきあってたってこと? えっ、じゃあ今までわたしと会ってたのは、一体何だったの?)

 食い入るように彼を見つめるが、水嶋はどこ吹く風だ。加納里佳子と名乗った女性が、晴香に向かって言った。

「晴香さんとは昔から兄妹のように仲良くしてるって、誠也さんのお母さまから聞いています。私ともぜひ仲良くしてくださいね」

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