転生伯爵令嬢は王子様から逃げ出したい
序章 思い出したらTL小説 (3)
「良いことだと思います。後でお茶をお持ちいたしますよ」
そんなやりとりを交わして通りかかったのは父の執務室の前。中から声が聞こえてくる。
父と……これは母の声だ。廊下まで声が聞こえたのが不思議だと思ったが、どうやら扉が少しばかり開いていたようだ。
「……必ず儲かると……」
「ん?」
なんの話だ。聞き耳を立てるのは良くないと分かってはいたが、妙に嫌な予感がした私はつい耳を澄ませてしまった。
父の声がはっきりと聞こえてくる。
「最近よく来るようになった行商人から聞いたのだ。うちの財政は厳しいとまでは言わないが、裕福な方でもない。後々行き詰まることも考えて、何か策を打たねばと思っていたのだが……これなら必ず儲かると言われてな」
「まあ。でも、心配です。その方を信用しても大丈夫なのでしょうか……」
「その男なのだが一代でかなりの富を得た行商人でな。今までこういったものを外したことがないと言っていた。このままジリ貧になり、お前たちに苦労をかけるような真似はしたくない。一か八かの賭けに出てみようと思うのだが……」
そう言って父が母に見せたものはなんの用途に使うのかも分からない不格好な壺のようなものだった。
母も半信半疑の顔をしていたが、父が大丈夫だと自信たっぷりに頷くのでなんとか納得したようだ。だが話を聞いてしまった私は、それどころではなかった。さあっと顔を青ざめさせた。
──これ、これが例の没落フラグじゃないの!?
間違いない。父が言っているのは、つまりは商品先物取引だ。父はなんという恐ろしいものに手を出そうとしているのか。前世でもこれに失敗して人生を棒に振った人はたくさんいた。海千山千の行商人なら手を出して、よしんば失敗しても良いタイミングで売り逃げすることもできるのだろうが、父にそんな才覚はない。素晴らしい、私には勿体ないくらいの父だとは思っているが、如何せんその点においては全く信用できなかった。
私が驚き、扉の前で立ち竦んでいるうちに、父と母の間では商品先物取引に手を出すということで話がまとまっていた。
駄目だ、絶対にやらせるわけにはいかない。
「お父様!」
とにかく商品先物取引になど手を出されてはたまらないと思った私は、礼儀作法など知るものかとばかりに少し開いていた扉をばんっと盛大に開け放った。父と母がぎょっとした顔でこちらに振り向く。父が何か言おうとしたが、口を開いたのは私の方が先だった。
「お父様! 怪しげな行商人の言うことなど鵜呑みになさらないで下さい! 私は今の生活で十分に満足しております。これ以上など望んでおりません。ですからどうか、そのようなものに手を出すのはお止め下さい!」
「シェラ……」
いつも大人しかった娘が大声を出したことに驚いたのだろう。父も母も目を丸くしていた。
私は父の持つ壺に視線を移し、はっきりと言った。
「大体、こんな変な壺。買い取ったところでたくさん売れるとはとても信じられません。少なくとも私は欲しいとは思いませんもの。お父様、お父様は本当にこの怪しげな壺が売れると……良いものだとお考えなのですか?」
「そ……それは」
私が問い詰めると、父は気まずげにさっと視線を逸らした。
やっぱり思った通りだ。父はこの壺を良いものだとは思っていない。その道のプロが言うのだからと鵜呑みにしているだけなのだ。
良いものだと確信を持てない父。それに反して、駄目だと確信している私。
勝敗は呆気なく決まった。
絶対に引かないと睨みつける私に向かい、父は俯きながらもぼそぼそと言った。
「……分かった。今回は見送ろう。実を言えば私も……少々懐疑的ではあったのだ。お前が断言してくれたお蔭で目が覚めたような気がする。申し訳ないが、あの男には断りの返事を入れることにしよう。これでいいか?」
「良かった! 是非そうなさって下さい!」
父からの確約を得て、私はほっと胸を撫で下ろした。
先ほど思い出したのだが、確か小説内でヒロインがヒーローに「父が怪しげな行商人に騙された」的なことを言っていた気がする。
ということは間違いない。この商品先物取引は必ず失敗する。単に売れなくて負債を抱えたのか、それともヒロインの言った通り行商人に騙されたのかは分からないが、どちらでも構うものか。
手を出さなければいいだけの話なのだから。
なんとか回避できたとにこにこしていると、父が不思議そうな顔で言った。
「シェラ? しかしどうしたのだ? お前は声を荒らげたり、自分の意見を主張したりするような子ではなかっただろう? いきなり大声を張り上げて……何より私はそれに驚いたぞ」
母も父の言葉に同意するように頷いた。
「ええ……。大人しい子だとばかり思っていたのに。一瞬別人かと思いました。……シェラ。……あなたは私たちのシェラよね?」
「もちろんです。お父様、お母様」
納得しかねるという風に首を傾げる二人に、笑顔のまま告げる。
実際私は前世の記憶を取り戻しただけで、別人になったわけではない。今までの記憶だってきっちりと持っている。多少勝ち気だった前世の頃の性格が強く出ただけなのだ。
だから自信を持って二人に言った。
「私も思うところがありまして、もう少し積極的に物事に取り組んでいこうと決めましたの。……おかしい、ですか?」
ちらりと上目遣いで二人を見つめると、父も母も首を横に振っていた。
「以前から、もう少し自分を出した方がいいと思っていたのだ。おかしいだなんてとんでもない。その方が好ましいぞ」
「ええ。ちょっとしたことで居竦んでしまう子だから心配していたもの。自分から変わろうと思うのならそれはとても良い傾向だと思うわ」
「……お父様。お母様。ありがとうございます」
今の自分をあっさりと認めてくれた優しい二人の言葉に胸の奥がじんと温かくなったのが分かった。格好悪くも涙腺が緩む。私は必死で泣きそうになるのを堪えた。そんな私を見た父が、小さく笑う。
「ともかく、今回の話は先ほどお前に言った通りなかったことにしよう。シェラ、それでいいのだな?」
「はい。一攫千金なんて要りません。地道にやっていった方がきっと良い結果になると思います」
「娘に諭されるとはな。だが、その通りだ。心配をかけて悪かったな」
頷くと、母も安堵したように息を吐いていた。
商品先物取引になど手を出して欲しくなかったというのが本音だったのだろう。
ああ、良かった。もしかしたら、これで没落は免れるかもしれない。
でもまだ油断は禁物だ。何処に落とし穴があるか分からない。
そう思った私は、父の言葉に頷きながらもまだまだ油断するなと自らを再度戒めた。
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