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仮面伯爵は黒水晶の花嫁に恋をする

小桜けい

プロローグ / 1 全て奪われた (1)

   プロローグ


 秋の川原に、一粒の宝石が転がっている。

 小指の爪ほどの大きさをしたそれが、秋の陽光を反射してきらめく。青に、深紅に、紫に、緑に……これ程までに美しいものが、世界中に幾つあろうか。

 ──だが。

 石のかたわらには、三人の人間が倒れていた。この美しい宝石が、一瞬で巻き起こした惨劇の結末だ。

 首を細身のダガーに刺し貫かれた大柄な男の死体と、額から血を流して呻く少年……それから、手足を縛られて口に布を嚙ませられた幼い男の子だ。

 縛られた男の子の額には、傍らに転がる宝石と寸分たがわぬものが、さんぜんと輝いていた。飾りではなく、まるで美しく小さな角のように、その肌から浮き出ているのだ。

『ジェラルド様……早く、仮面を……』

 重傷の少年が、よろめきながら身を起こした。少年もまだ幼く、十歳に満たないだろう。割れた額からはドクドクと血が流れ、上等のシャツを真っ赤に染めている。

 少年が動くたび、川原の石に鮮血が点々と滴り落ちた。

 苦痛に顔を歪めつつ、少年はそばに落ちていた銀の仮面を拾い上げると、男の子の顔へ被せた。

 美しく忌まわしい宝石の燿きが、銀の仮面にしっかりと覆い隠される。

 仮面の留め金が小さな金属音をたてて閉じると、真っ赤な少年は安堵するように微笑み──そのまま倒れた。

   1 全て奪われた


 ──未婚の異母妹が、身篭った。

 フェルミ子爵家の長女クリスタは、自宅の応接間にて、渡された医師の診断書を凝視した。

 内心はともかく、感情を押し殺すことに慣れたクリスタは、細面のれいな顔を大きく歪めはしなかった。軽く眉をひそめただけで、診断書をローテーブルに戻す。

 それでも良く見れば、黒水晶のような瞳はいつになく揺れ動き、動揺を完全に隠しきれていない。

 長い真っ直ぐな黒髪に着けた飾りも、僅かに震えていた。

 日頃は忙しく働き詰めで、お洒落をする余裕もないクリスタだが、今日は精一杯の範囲でれいにしている。着ているデイドレスも、手持ちで状態が一番良い物だ。

 ただ、髪飾りもドレスも上質だが、亡き母の遺品なので、流行遅れなのは否めない。

 クリスタが自分の身を飾る品を買うなど、今はとても出来なかった。

 無言のまま、クリスタはテーブルを挟んだ向かいの長椅子へと視線を移す。

 そこへ腰をかけている二人のうち、少女の方は、異母妹であるステファニアだ。

 年齢は、クリスタより二つ年下の十九歳。手入れを欠かさぬ蜂蜜色の髪は艶やかに輝き、ぱっちりした瞳は大粒のサファイアのように美しい。長いまつにふっくらした唇と、文句の付けようのない美少女だ。

 王都の有名店で仕立てた、最新流行の型のドレスと、それに相応しい華やかで高価なアクセサリー類が、彼女の美貌をいっそう引き立てていた。

 社交界でも評判の美少女である異母妹は、恋人も多く奔放で享楽的な性格だ。正直に言えば、いつこんな事になっても驚くまいと思っていた。

 異母妹の妊娠に、内心では激しく動揺したのは、別の理由。

 先月に二十一歳となったクリスタ自身も、未婚ではあるものの、幼い頃から決められた婚約者がいた。

 ミケーレという、コスタッツォ伯爵家の次男だ。彼は見目麗しく物腰も紳士的で、優しい誠実な人だと思っていた。

 ──しかし、大間違いだったようだ。

 異母妹を孕ませたのは、彼女の隣に座っている青年……自分の婚約者ミケーレだったからだ。


 フェルミ子爵家は、王都に近い農牧領地を有する田舎貴族だ。

 敷地には領主の住居である城館を中心に、物置や穀物倉など、幾つかの離れがある。

 大きな機織小屋と脱穀小屋もあり、領民達が共有で使いに来る。こうしてフェルミ家は、古くから領民達と苦楽を共にしてきたのだ。

 クリスタはフェルミ家の長女であり、次期領主の継承権を持っている。そして現在は病床の父に代わり、若いながら領主代理を務めていた。

 妊娠の診断書がテーブルに置かれると、応接間にしばし沈黙が流れた。

「──ごめんなさい、お姉様」

 その静寂を打ち破ったのは、ステファニアだ。

「でも、お姉様がいつまでも領地経営に夢中で、ちっとも結婚する気がないから。ミケーレ様はすごく寂しかったのよ。だから、私がお話し相手になっているうちに、つい……」

 ステファニアはいつになく殊勝な態度でうなれるが、つまり事態の原因は、クリスタが婚約期間を引き延ばしたからだと言っている。

「ねぇ、ミケーレ様だって、そうでしょう? お姉様が予定通りに結婚されていたら、こんな事には決してならなかったわよね?」

 隣で気まずそうに視線を泳がせているもう一人の当事者へ、ステファニアが上目遣いで同意を求める。

「うん、まぁ……」

 ミケーレはためらいがちに頷いた。

「クリスタにはすまないが、何年も放っておかれているうちに、僕と本当は結婚したくないのかと……自信がなくなってしまったんだ」

 二人の主張を、クリスタは無表情のまま黙って聞いていた。

 今日はよく晴れていて、初夏なのに真夏なみの気温だ。それでもこの城館は、風通しの良い造りになっているので、普段なら暑さにまいってしまうことはない。

 しかし、応接間の扉を閉めているせいか、やけに暑いような気がする。クリスタの背や手の平に、じっとりと嫌な汗が滲む。

 そのくせ、ひどく寒いような気もして、気を抜けば震えそうになる両手を、しっかりと膝の上で握り込んだ。

 本来ならクリスタは、十八歳の誕生日と共にミケーレと結婚するはずだった。

 次男である彼は家督を継げないので、二人が幼い頃に両家の親が話し合い、フェルミ子爵家を継ぐクリスタのもとへ、婿入りする予定だったのだ。

 ──しかし、クリスタが婚姻を延ばさざるを得なかったのは、当時のフェルミ家が破産寸前だったからだ。

 その原因は、父の後妻であるデボラと、その娘ステファニアの散財である。

 クリスタの父は子沢山な貴族の末子で、フェルミ子爵家の一人娘であった母のもとへ、やはり婿入りに来た。

 病弱だった母を良く支え、領地を滞りなく管理した。少なくとも母の前では、最後まで良き夫だったと思う。

 クリスタが十歳の時に、母は持病の悪化で亡くなった。

 すると、妻から爵位を継いだ父は、喪が明けるやいな、デボラを後妻に迎え入れたのだ。

 二つしか歳が離れていないステファニアは、母が違ってもお前の妹だと父から言われた。父が随分と前から、密かにデボラを愛人として囲っていたのが明らかだった。

 何年も日陰の身にしていたという負い目もあったのだろうか。父は後妻のいいなりだった。

 デボラが自分の娘だけを可愛がり、何かにつけクリスタを虐げても、強くは止められず見て見ぬふりだ。

 彼女が毎日のように、新しいドレスや宝石を買っては王都で豪遊するのも、黙って許容する。

 フェルミ家は歴史こそ古いが、領地も狭く過去に目立った功績もない小貴族。そこまでの浪費をする余裕はないのに。

 そして次第に父は、増え続ける借金という現実から逃避するように、酒へ溺れるようになっていった。

 領地の管理も怠るようになった。以前ならこまめに領地を回っては、困っていないかと民へきさくに声をかけていたのに、農地が水害にやられても見舞うことすらしない。

 それどころか、金が足りなければ税を上げれば良いとデボラに言われるがまま、領民から税を搾り取るようになった。

 自分達の贅沢のために領民から過度な搾取など、とんでもない話だ。

 過度な重税に苦しむ領民の心は、フェルミ家からどんどん離れていく。耕地や牧場を捨てて夜逃げをする農家も出てきた。

 放置された土地は荒れ、税を納める領民は減る。減った金額を補うために、残った領民にはさらに重税が課せられていく……悪循環だ。

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