その若き皇帝は雇われ皇妃を溺愛する

奥透湖

幼き皇帝と年上の皇妃のそれまで (3)

 大公クラウスはそう言った。



「なんという馬鹿なことを!」

 ヘルツォークの当主は三女を叱る。三女シュザンナは平然として茶の入ったカップに口をつけた。

「いいえ、お父さま。馬鹿なことをしているつもりはありません。私は真面目にやっています」

「何を言う。皇妃として雇えとは、一体どういうことだ!」

「そのままです。アルフレート陛下は八歳といえど独身でいられない身の上であらせられます。形式的にでも皇妃が必要で、そのためにわざわざ摂政であるバッツドルフ大公殿下が自らおいでになりました。しかも、一度お断りをしているものを。それはヘルツォーク家が認められているということです。子どもでも分かる名誉です」

「シュザンナ……」

「大丈夫です。アルフレート陛下の人生を縛ったりはいたしません。私は皇妃になります。お父さまは、お変わりにならないでね。私を通しても、陛下を操ったりはできませんから」

 ヘルツォークの当主は深く息を吐いた。娘は宮廷小説の読みすぎだと思う。上の娘二人が置いて行った本に契約結婚の皇帝と皇妃の話もあったし、正妃の実家が皇帝をかいらいにする話もあった気がする。《皇妃》という言葉にも憧れがあっただろう。だが、子どもの憧れで就いていい立場ではない。まして、現在の皇帝は八歳。夫婦にすらなることができないではないか。シュザンナは、ハミンギヤの貴族たちを黙らせる道具として求められただけだ。父は止めたかった。

 クラウスがシュザンナを皇妃として雇うにあたっての契約は、ヘルツォーク家に侯爵の爵位を与えることと、月に六万フォーラの給料を支払うというものだ。これは、皇帝に仕える侍女の給料の二倍なのだという。いささかもらいすぎかもしれないとシュザンナは思うが、くれるという給料を被雇用者が「高いので安くしていい」と言うのも変なので、そのまま受け取ることにした。

 クラウス・フォン・バッツドルフ大公というのは変わった人だ。シュザンナは自身がとても無礼な振る舞いをしたという自覚があった。ああ言えば、彼は気を悪くして二度とこの家に接触してこないかもしれないと思った。皇帝アルフレートの意思を無視して、無理やり結婚させようとしているクラウスに怒りも覚えた。何か言ってやらないと気が済まないと思って、叱られるのを覚悟でああ言った。しかし、実際はどうだ。予想に反して、彼は彼女を甥の妻として雇うと言った。すぐさま書類を二部作って、互いにサインを入れる。父親が止めようとしたが、クラウスはそれを認めなかった。一部を自分が取って、もう一部をシュザンナに渡す。

『これで結構です。来月、お迎えに参ります』

 そのように言い置いて、クラウスは屋敷を去って行った。

 とんでもないことになったと思いながら、シュザンナの気持ちは高揚している。田舎の貴族。姉たちは隣近所の領地へ嫁いだ。幸せと言えないことはないのかもしれないが、極めて平坦だ。そんな結婚をいやだと思っているわけではないが、シュザンナは内心で首都に行けるということに胸がときめいている。姉たちとは違う結婚をする。皇帝アルフレートがどのような子どもなのかは知らないが、領地に住む八歳児とそんなに違っているはずがない。アルフレートがどのような子どもであったとしても、シュザンナは遊び相手にくらいにはなれるだろうと思った。

 あのとき、クラウスに語った父親の心配も理解できないわけではないが、愛されなければ愛されないで、どうにかやっていけるのではないだろうか。

 シュザンナは楽観的だった。

 それに、十五歳の少女はこのとき、カッシーラ帝国のために身を捧げるという、ある種の自己犠牲精神にも酔っている。

 こうなってしまっては、ヘルツォークの当主もあらがうことはできなくなった。

 翌週には領内全てにシュザンナが皇妃となるため、ヘルツォーク領を去る旨が伝えられる。ヘルツォーク領の人々は祝いの言葉を口にしながら、シュザンナを哀れむ。十五歳のシュザンナは、現在八歳である皇帝アルフレートの成長を待つ間、自身も年を取っていく。身分が皇妃となるだけで、実際は《妻》とはならない。幼帝が幼帝でなくなるころ、シュザンナは二十代の半ば。十代後半になる皇帝は、若く美しい娘がたくさんいる首都に住んでいる皇帝は、そんな年上の妻を愛するのだろうか。この少女は愛される幸せを、先の人生で感じることがあるのだろうか。

 領民は、それでもシュザンナの幸福を願った。


 翌月になって、再びクラウスがヘルツォーク領にやってくる。

 二十頭を越す馬に乗る騎士と、五台の大きな馬車。古い建物の前に並ぶと、中から十人の男女が降りてきた。最後尾から来た馬車に載せていた荷物を女性が下ろす。出迎えの使用人に来訪の目的を告げて、彼らはヘルツォーク邸に入った。

 応接室で待っていたシュザンナが、城から来た客に頭を下げる。

 クラウスが彼女に言った。

「お迎えに上がりました。シュザンナさま」

「バッツドルフ大公殿下、おんみずからありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします」

 大公の背後に控える男女も、シュザンナにこうべを垂れた。それから、シュザンナはクラウスが用意した服に着替える。

「何か心残りはありませんか、シュザンナさま。城に入れば、しばらくはヘルツォーク領にお帰りになることはできません」

 クラウスの言葉に、シュザンナは軽く視線を下げて母親の墓参りをしたいと言った。母親の墓は、屋敷から西に少し歩いた場所にある。そう言うと、クラウスはそれを許す。

「私もご一緒して構いませんでしょうか。お母上にも、ご挨拶を申し上げたい。他の者はここで待機させます」

「……構いません。ご案内します」

 シュザンナは父親たちにも家に残るように頼み、クラウスと二人で屋敷を出た。無言で当主の家系が眠る墓地に着く。ひときわ新しく見える墓石を見た。表にシュザンナの母親の名が彫ってある。シュザンナは腰を落として、墓石に触れた。

「二年前に亡くなりました」

「そうですか」

「私が嫁ぐまでは、と申しておりましたけれど。でも、よかったのかもしれません」

「なぜですか」

「十五の子どもが、八歳の子どもに嫁ぐなんて。しかも、その十五の子どもは、使者に向かって自分を皇妃として雇えだなんて……。そんな失礼なことを言うなんてと、叱られてしまいます」

 クラウスはシュザンナを見る。シュザンナは俯いていた。白い墓石に水滴が落ちる。空を仰ぐと澄んだ青が広がっていた。

 少女の強がりは、強がりになっていない。

「シュザンナさま。幸せをお約束することはできません」

「はい」

「ただし、契約は必ずお守りいたします」

 緑色の瞳がクラウスを見る。クラウスもまた、彼女の瞳を見た。

「雇用の契約とは関係ありませんが、お願いがあります。アルフレートを愛してください。お願いします」

 皇帝の叔父は少女に頭を下げた。少女は立ち上がって、クラウスに頭を下げる。

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