その若き皇帝は雇われ皇妃を溺愛する

奥透湖

幼き皇帝と年上の皇妃のそれまで (2)

「いや、ここで待たせてもらう。突然に訪問したのは私の方なのだから」

「いいえ! いいえ! すぐに呼んで参りますので中で……。あの、お役人さまのお名前を……」

 使用人はクラウスを中央の役人と思っているようだ。知らないのだから当然だ。何かヘルツォーク家に咎めることがあってやって来たと思ったのかもしれない。クラウスは使用人に笑みを見せる。

「私はクラウス・フォン・バッツドルフという。急ぐ用事で来たのではないが、ご当主とシュザンナ嬢にお会いしたい。取り次ぎ願えるだろうか」

 使用人は目を剝いた。クラウス・フォン・バッツドルフの名前を聞いて更に震える。

「た、大公殿下……!」

「まあ、そうだな。取り次ぎ願えるだろうか。私はここで待っている」

 ヘルツォーク家の使用人は「はい、ただいま!」と叫ぶと弾かれるように駆け出した。

 畑は屋敷の裏側にあるらしく、ヘルツォーク家の当主はすぐにやってくる。

「バッツドルフ大公殿下! ようこそお越しくださいました。こんな所でお待たせをして申し訳ございません。さあ、どうぞ中へ」

「突然の訪問、申し訳ない。できれば直接お話しをと思って参ったのだ。シュザンナ嬢は?」

 当主は苦笑した。会わせる気がないのだとクラウスは思う。当主は深く頭を下げて「どうぞ中へお入りくださいませ。狭い所で恐縮でございますが……」と言った。クラウスはひとつ息を落として、彼に従う。

 ヘルツォーク邸は中も古い。きれいに保ってはいるが、建物自体が経年劣化を隠せていなかった。ヘルツォーク家の当主は、クラウスのために自ら茶をれた。この地で採れる茶葉は上質なのだと説明する。以前、彼がハミンギヤの城に参内したとき、皇帝カスパルに献上したことがあった。クラウスは兄からその茶葉を分けてもらっている。出されたカップに口をつけて、懐かしい味を思い出した。

 カップを置くと、クラウスは再びシュザンナについて尋ねる。

「大公殿下……」

「ご当家からの断りの便りは確かに受け取った。しかし、それで《そうか》と諦めることはできない。こちらはアルフレート陛下の幸福を任されているのだから」

「殿下、シュザンナは陛下よりも七歳も年上。とてもではございませんが、皇妃に相応しくはございません」

「皇妃に相応しいかどうかは、こちらが決めること。とにかく、シュザンナ嬢とお話しをさせていただけないだろうか。ご本人のお気持ちを窺いたいのだ」

 ヘルツォークの当主は困惑の表情を見せた。言葉を探して、それを言うべきか逡巡する。

「殿下……。アルフレート陛下が男性としてシュザンナを妻とできる日、娘はいくつになっているのでしょうか。それが十年後に訪れるとして、シュザンナはその十年間をどうすればよいのですか。十年後の陛下は七歳も年上のシュザンナを女として愛してくださるのでしょうか。私は娘に人並みの幸福を得て欲しいのです」

 聞きながら父親としてのヘルツォークは正しいとクラウスは思った。そして、兄の顔を思い出す。シュザンナをアルフレートの正妃にすることは、シュザンナのこれから先の女性としての年月を相当期間、犠牲にさせるということだ。一番美しい日々を、子どもと過ごさせることになるのだから。分かってはいたことだが、こうもはっきりと突きつけられては、そこを見ない振りができない。

 ──諦める他ないか。

 クラウスがそう思ったときだった。密談ではないという意思表示のために、開いたままにしていたドアから、長く伸ばした黒い髪に緑の目を持つ、肌の色が白いエプロン姿の少女が入ってくる。クラウスは目を見開いた。

「シュザンナ、あちらに行っていなさい」

 シュザンナと呼ばれた少女はクラウスを見る。クラウスは立ち上がると彼女に深く頭を下げた。

「カッシーラ帝国大公クラウス・フォン・バッツドルフと申します。フロイライン・ヘルツォーク」

「シュザンナ・フォン・ヘルツォークです。バッツドルフ大公殿下」

 シュザンナは名乗るとクラウスに近づき、クルミが入ったかごを差し出した。

「これを、どうかアルフレート陛下に」

「……ありがとうございます。フロイライン」

 笑みを浮かべてかごを受け取る。シュザンナは一度、父親を見た。それから視線をクラウスに向ける。

「立ち聞きをしてしまいました。お叱りは後ほどお受けします。私の疑問にお応えくださいませ。先ほどのお話ですが、なぜアルフレート陛下はお年ごろになってから、ご自身で皇妃さまをお選びになることができないのですか」

 シュザンナの目がクラウスを責めている。自分のことではなく、幼いアルフレートのために周囲の大人への怒りを感じている。やはり、優しい娘だ。

「フロイライン。アルフレート陛下が独身でおられる限り、ハミンギヤでは娘を持つ貴族たちが娘を皇妃にするために争うことになります。それは国の不安を増大させ、安定を揺るがすことになります。陛下には、早く皇妃を娶っていただかなければなりません」

「まだ八歳でいらっしゃいます」

「それでも、陛下はカッシーラ帝国の皇帝であらせられます。陛下のご意思とは離れたところで臣下が利己のために醜く争うのです。私はアルフレートの叔父です。甥には幸せになってもらいたい。そのために、あなたを必要としています」

 クラウスの言葉にシュザンナは俯いた。年齢の割に落ち着いた少女だと思う。それに、ものを考えることを習慣としている娘だ。自己の意思を持ち、それを言葉にする能力もある。

 シュザンナは視線を上げた。

「私を雇ってはいただけないでしょうか」

 クラウスはシュザンナの言葉の意味をつかみ損ねる。

「はい?」

「おそらく、アルフレート陛下は私を妻として愛してはくださらないでしょう。それでも、私でカッシーラ帝国の安寧のお手伝いができるのであれば、それは神さまが私に与えてくださった役目であると思うのです。でも、私にも自尊心というものがあります。私のそれを金銭にかえていただきたいのです。バッツドルフ大公殿下がそれでもよいと仰せならば、私はアルフレート陛下の皇妃になります。陛下が未来、他の女性を側に置かれて愛されても、文句は言いません」

「フロイライン」

 クラウスはシュザンナを見て眉をひそめる。隣で父親が彼女の名を叫んだ。

 試されていると彼は思った。この少女は、ひとりの子どもの人生を己の都合で好きにしようとする愚かな大人を試している。自身の都合を押しつけながら、幼い皇帝の幸せを願うと言うクラウスを試している。受けられない愛情を金銭にかえろと言う娘でも、皇帝の正妃に欲しいのかと。

 クラウスは口元を緩めた。

「分かりましたフロイライン。あなたと雇用契約を結びましょう。あなたを皇妃として雇います」

 シュザンナは表情を固めてクラウスを見た。ヘルツォークの当主がクラウスを呼ぶ。

「お許しください、バッツドルフ大公殿下! 娘は……!」

「いいえ。私はたった今、シュザンナ嬢と契約をしました。あなたの家に、侯爵の地位を与えましょう。それが最初の報酬です」

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