その若き皇帝は雇われ皇妃を溺愛する

奥透湖

幼き皇帝と年上の皇妃のそれまで (1)


幼き皇帝と年上の皇妃のそれまで


 カッシーラ帝国の首都ハミンギヤにある城で、若き皇帝が崩御する。

 臨終に立ち会ったのは皇妃と皇帝の実弟、そして八歳の皇子であった。

 侍医が静かに崩御を告げると、彼らは声もなく泣いた。皇子は、父親が死んだことを少しの時間理解しなかった。



 国葬の後、その玉座に就いたのは、その八歳の男児である。名前をアルフレートという。カッシーラ帝国第二十八代皇帝、アルフレート・フォン・エッフェンベルグ。父の名はカスパル、母の名はアマーリエ。父は三十歳の若さでこの世を去った。

 八歳の皇帝には摂政がつけられた。これの名をクラウス・フォン・バッツドルフ。歳は二十八歳。先の皇帝カスパルの実弟にして、カッシーラ帝国大公である。彼が摂政となるに至ったのは、皇帝カスパルの遺言による。

 そのクラウスが摂政になって最初にやろうとしたことは、幼帝アルフレートを妻帯させることであった。

「は……八歳の陛下にご結婚をと!?

 侍従長ベルンハルト・ビュッサーは、そう言ったあとにクラウスを信じられないものを見る目で眺める。

「そのとおりだ。八歳の子どもであろうとなんだろうと、アルフレート陛下はカッシーラ帝国の皇帝。皇帝をいつまでも独身で置いておくわけにはいかない。娘を持つ貴族間の争いの種にしかならないからな」

「しかし、八歳の陛下にご結婚とは……。ご婚約とか、そういうところではいけないのですかな」

「いけない。皇妃が必要なのだ。公務があるからな」

「公務?」

 ビュッサーは怪訝な顔をした。八歳の男児の妻になる女児に公務を強いる気なのか? 不可能だろう。ビュッサーはクラウスの考えを読み切ってはいなかった。当然、歳の釣り合う皇妃を立てることになると思ったのだ。

 宮廷は保育所じゃないんだぞ。侍従長は唇の内側に、その言葉を隠していた。

「皇妃はもう決まっている」

 今日の食事の話でもするようにクラウスは言った。

「は?」

「これから本人に交渉に行くつもりだ」

「お待ちください! 議会にもかけずに勝手に、皇妃を立てられるのは困ります。大公殿下! しかも、これから交渉とは!?

「まだ本人に言っていないからな。いくら皇妃にしてやるぞといっても、黙って勝手に結婚させるわけにはいかない」

「当然でございます! 大体、アルフレート陛下ご自身のお気持ちはどうなるのです」

 侍従長は言う。クラウスはつまらなそうな顔と声で応えた。

「おかしなことを言う。兄カスパルも義姉アマーリエも、遡っては私の両親も祖父母も、誰ひとりとして自らの意思で婚姻した者などいない。いずれも《初夜の床が互いに直接顔を見た最初》という結婚だった。幸い、兄夫婦は仲睦まじく暮らしていたが、両親と祖父母の夫婦仲はひどかった。これまで皇帝の家系にそのような結婚を強いてきておいて、アルフレートには自由恋愛で妻帯させよと言うのか? その血統故に散々人生の自由を縛りつけておきながら、こんな時ばかり皇帝の意思を尊重すると言うのか? それに議会と言うが、そんなところで決められた皇妃がアルフレートを幸せにしてくれるとは到底思えんよ」

「議会を軽視なさいますか!」

「政に関して議会を重んじることは当然としても、甥の幸福を他人に預けるわけにはいかない。どうせ自分の娘をと引かない連中ばかりだ。皇妃については、亡き先帝の生前の希望に従いシュザンナ・フォン・ヘルツォーク嬢に立っていただく。重ねて言っておくぞ。先帝のご希望なのだ」


 シュザンナ・フォン・ヘルツォークは十五歳。下級貴族の三女である。二人の姉はとっくに嫁いで、ヘルツォーク家には当主である父と跡継ぎの兄とその妻、そしてこのシュザンナがいるだけだ。兄にはまだ子どもはない。爵位はなく、七代前の皇帝の弟の血統ということになっている。一応ヘルツォーク領の主であり、一万世帯ほどの領民を支配する家であった。代々、地方行政の傍ら農業の真似事をやっている。

 広がる畑の間を縫う道で、クラウス・フォン・バッツドルフは馬車に揺られていた。

「……本当に田舎だな」

 窓からヘルツォーク領を見る大公は、ここまでの四日間の旅に少々疲れを感じていた。今、アルフレートは母親のアマーリエと城にいる。

 シュザンナがあっさりと正妃になることを引き受けてくれれば良いが、適齢期直前になって斡旋される夫が八歳の男児なのだから、喜びなどなくても当然だ。一応、先立って手紙で知らせてはいるが、第一の返答は断りの文章だった。下級貴族の当家から皇妃を出すなど恐れ多い。そういう返事だったのだが、言葉の端々に《面倒事に巻き込まないでくれ!》というのが滲み出ていて興味深い。クラウスが求めるのは、そんな家に育った娘だ。ヘルツォーク家というのは、昔から権力とか出世欲というものとは縁を切って暮らしている家である。娘を使って城に入り込み、皇帝を意のままにしようという意識から最も遠い家だ。実際に娘が皇妃になった途端に欲が出てくることもあるのかもしれないが、何度か会ったことのあるヘルツォーク家の現当主を見れば、そのようなこともないのではないかと思うのだ。

 ──これでも、人を見る目には自信があるからな。

 兄も生前、ヘルツォーク家の当主と話して娘がいることを知ると、その年齢を聞いて残念がった。もう少し幼ければアルフレートの妻にしたかったのに。こんな父親に育てられた令嬢ならば、優しく温厚だろうとそのときは笑ったのだ。病を得て伏したとき、兄はアルフレートの先々を心配した。

『クラウス。アルフレートには将来アマーリエのような優しい妻を与えて欲しい。……ヘルツォーク家の令嬢は今いくつかな』

 田舎の下級貴族の当主の人柄を好ましく思ったままだった皇帝カスパルは、見たこともない娘を想像していた。クラウスがシュザンナの年齢を答えると、カスパルは吐息する。

『シュザンナ嬢は、七歳も年下の夫を嫌がるかな……』

 カスパルはアルフレートの頭を撫でながら言った。

 クラウスは兄の願いを叶えたい。アルフレートが心穏やかに暮らせる妻を。

 シュザンナが父親の血を色濃く引いて、その人柄を継承していればいい。兄が好ましく思った、あのヘルツォーク家の気質そのままの娘であってくれたらいい。クラウスは強く願った。

 馬車は領の中ほどに位置するヘルツォーク邸に着く。想像していたより小さな屋敷だ。それに随分古い。ひとつの家が持つ領地としては小さくはないはずなのだが、裕福ではないのだろうか。

 門をくぐると、中から使用人が慌ててやって来た。馬車を見て出てきたのだろう。来客に慣れていないのが分かる。帝国の紋がついた馬車を見ながら、使用人はカタカタと震えていた。

「よ、ようこそ……お越しください、ました……」

「ああ、出迎えご苦労。連絡もせず唐突に伺って申し訳ないのだが、ご当主とご令嬢にお会いしたい。ご在宅か」

「い、いいいいい今、畑に行っておりますので……よ、呼んで参ります。な、中でお待ちくださいませ……」

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