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溺愛ハラスメント

栢野すばる

第一章 王様リターンズ。 (1)



   第一章 王様リターンズ。



 麻子の朝は、たいていトラブルから始まる。

 別に望んでトラブルから始めているわけではないのだが、最近多すぎる。

 会社が上手くいっていないうえ、従業員が人のいいおじいさんばかりだと、どうしても、こう、無理難題が持ち込まれがちなのだ。

「鮎原デパートから、注文しすぎたって突っ返されちゃって……」

「えっ、それ鮎原デパートの専売品なのに。困ったな」

 麻子はリストを一瞥いちべつし、眉をひそめる。

 鮎原デパートは、『雄一郎から離れる代わり』に、麻子の会社の商品を少量ではあるが扱ってくれることになった、瑞穂の父の会社だ。

 麻子の会社……神崎玩具販売が絶対に強く出られないのをいいことに、時々とんでもないミスを押し付けてくる。

『鮎原デパート限定色』と書かれたウマの人形を思い浮かべ、麻子はこめかみを押さえた。

 頭が痛い。

 これは、麻子の会社で一番売れている商品だ。

 社長だった母が倒れる前から交渉を重ね、ようやくライセンス契約に結びつけた北欧の玩具ブランドの特注品である。

 限定色は、メーカーに特別ロットで作ってもらうので、他の色よりも原価が高い。

 ――だから何回も確認したのに! こんなに数が必要なんですか、って。

 怒りに拳を握りつつ、困り果てた顔の事務員さんに麻子は微笑みかけた。

「とりあえず、追加納品させてもらえないか交渉しますね」

 鮎原デパートは、本気で麻子を軽んじている。

 経営者のお嬢様が麻子に対して無礼な言動を繰り返し、担当者との交渉の場にまでやってきて麻子を侮辱したせいか、最近は担当者まで麻子を軽んじるようになった。

 ミスなんて出入りの零細企業に押し付ければいい。そんな態度が垣間見える。

『うちはいつお宅を切ってもいいんだけど。なんなら俺とHしてくれる? そのエロいおっぱい揉ませてくれたらちょっとは考えてもいいよ』

 セクハラで訴えますよ、と言っても、相手はやめない。

『お宅がトラブルを起こしたって俺が言えば、取引なんて即停止に出来るんだからな』

 電話口でわめき散らされて、何度心折れたことだろう。

 この担当者……風間かざまは、鮎原デパートのコネ採用者で、他でも問題を起こしているけれど、絶対にクビにならないらしい。

 そもそも電話口で、取引先の女性社員に対して『Hさせろ』なんて口走っている同僚を誰も止めないのだ。

 そういう風土の職場なのだろう。自浄作用は見込めない。

 ――私の周囲、変な人が集まりすぎ……。あとこの風間って担当者、既婚者のくせに気持ち悪すぎる!

 吐き捨てるような言葉にももう慣れたが、ストレスがたまる一方だ。

 ――とにかく、あれは鮎原デパートさんの限定色だから、うちが独自にネットで売るわけにもいかないし。いや、ここはごり押しで『通販でも扱いを開始しました!』って売らせてもらうしかない。この在庫抱えたら、完全に足が出る。

「とりあえず、今日は鮎原デパートの担当者さんが不在なので、月曜に調整しま……あっ」

 電話が叩き切られてしまった。麻子はため息をついて、一度事務室を出た。

 ――顔洗ってこよう。頭、冷やそう……。

 そのまま、女子トイレに向かった。

 麻子はすっぴん同然の顔で会社に来ている。

 昔から化粧気なしだ。何もしなくても変わらない顔だと言われる。

 長い髪は一つにひっつめ、高校の頃から愛用している伊達だて眼鏡めがねを装着しているだけだ。

 口にも目にも頬にも一切色はのせていない。

 誰から見ても、胸回りだけあるモッサリした顔色の悪い女にしか見えない。


『他の男と会話以上のことをせず俺を待っていろ』

 雄一郎の言葉を思い出し、麻子は目を瞑って、彼の思い出を頭の片隅に押しやる。

 ――べ、別に、雄一郎に義理立てしてるわけじゃないんだから。

 古びた洗面台でバシャバシャと顔を洗い、家から持参しているタオルで顔を拭って、前髪を留めていたピンを外す。

 ――よし、今日も無茶ぶりやゴリ押しと戦うぞ……。

 全く盛り上がらない。テンション最悪なまま、麻子は鏡の向こうの自分に向けて、気合いを入れる。そうやって、気の重い交渉を覚悟したときだった。

「社長さん!」

 父が存命の頃から勤めてくれている専務の中山なかやまが、事務室に駆け込んできた。

 祖父、父、母、麻子と、四代の社長を知っている中山は、この会社の生き字引だ。

「あ、あの、お客さんが来て、俳優さんかと思ったけど、あの」

 中山も相当疲れているようだ。俳優など玩具会社に来るわけがない。

「どうしたんですか、中山さん……」

 普段落ち着いた白髪の紳士が、いつになく焦っている。

 またもや問題が起きたのかと思った刹那せつな、胃が痛くなった。神経性の胃痛だ。

「お客さんの予定はなかったと思いますけど……どなたでしょうか?」

「えっと、あっ、いただいた名刺置いてきちゃった! うちの会社のことで話があるって。そうそう、東尋貿易の名刺頂きましたよ?」

 東尋貿易は、雄一郎の実家の会社だ。日本でも指折りの商社で、麻子の『神崎玩具販売』とは縁のない超一流企業である。

 ――どういうことかしら……うちの資本金じゃ、東尋貿易と取引なんて出来ないのに。

 頭から湯気が出るほど動揺している中山に休んでいるように言い、麻子は応接室へ向かった。

 ふと、懐かしい香りが漂った気がする。こわばっていた身体が一瞬和らいだ。

 ――あれ、どこで嗅いだのかな、この匂い。

 何故懐かしく感じたのだろう。不思議に思いつつ、麻子は応接室の扉をノックする。

「失礼します」

 扉を開けた麻子の目に、スーツ姿の男の姿が飛び込んできた。

 ひと言で言えば、男らしく、光り輝くように華やかな印象の男だ。

 光の加減で栗色に見えるつややかな髪を撫でつけ、引き締まった見事な体躯たいくを上質なスーツに包んだ姿は、映画のスクリーンから抜け出してきたかのように美しい。

 こんな男が歩いていたら、誰もが足を止めて振り返るに違いない。

 王者のようなオーラが、彼の全身を包んでいるのが分かる。

 その男の姿を見た瞬間、麻子はかすかに口を開けた。

「雄……一郎……」

 記憶よりもはるかに男らしさを増した雄一郎の姿がそこにはあった。

 なるほど、中山が動転するのも無理はない。突然こんな華やかな美青年が超一流企業の名刺を持って訪れてきたら、いったい何事だと思うだろう。

 優雅な仕草で立ち上がった雄一郎が、麻子に向かって片手を差し出す。

「久しぶり、麻子」

「え、ええ……お久しぶり……です……諫早さん……」

 大きな掌の感触に、一瞬だけ身体が震える。意外と忘れないものだ、好きだった男の手触りは。

「あの、今日はどのようなご用件で」

 何故か握手のあと、手を離してもらえない。ぎゅっと手を握られたまま、戸惑いつつ麻子は尋ねた。

「十億貯めて帰ってきた」

「えっ、何の話でしょうか……?」



 聞き間違い……だろうか。話についていけず、麻子は反射的に尋ね返す。

 やや色の薄い瞳で麻子を見据え、雄一郎が繰り返す。

「あの日の約束通り、アメリカで鬼のように働いて、個人財産を十億貯めてきた。新卒のガキがここまで来るのに、どれだけ苦労したと思う?」

「え、と、約束なんて……しましたか?」

 本気で覚えがなく、麻子は小声で問い返す。

「したはずだ」

 低く艶のある声で、雄一郎が断言した。

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