第六皇女殿下は黒騎士様の花嫁様

翠川稜

一話 隣国からの逃亡 (2)

「しかし、こんな夜更けに来られても困ります! 学生だっていま各部屋にいるのに、普通は不在の時に……」

 寮監とおぼしき女性の困惑した声がする。

 その困惑にねじ込むように、強気で業者がまくしたてる。

「普通だったら、こんな時間になんか来やしねーよ、商売だから仕方ないけどさあ、何しろリーデルシュタイン製の商品なんだぜ? これから先、そんなもん取り扱ってたら明日あす明後日あさってにでもこっちが疑われちまうだろうが! そしたらアンタが責任とってくれるのかよ?」

 ヴィクトリアも、ドアの外から漏れ聞こえる話の内容に耳を傾ける。

 リーデルシュタイン製の、トイレや浴槽など水回りの設備や家具、最新の機械仕掛けなどの製品は、周辺諸国から一目置かれている。

 他国からも多くの留学生を預かるこのアルデリア王国魔法学院の寮でも、それを採用していたのだろう。

 いま取り扱っている製品はリーデルシュタイン製のもの。商売であるといってもそんな物を持っていれば、帝国と何かつながりがあるのではないかと疑われるかもしれない。それを避けたい雰囲気が、業者の口ぶりから感じ取れる。

 やはり世情はリーデルシュタイン帝国と、このアルデリア王国の戦争の気配を感じ取っているようだ。

 アメリアがそっとドアを閉じようとすると、ガタッと窓の方から音がした。

 その音にヴィクトリアはアメリアよりも素早く反応する。

 窓が開かれ、夜風にカーテンが舞う。月光を背に、黒い軍服とマントをまとった大きなたいいかつい顔をした男が、窓枠のさんに膝をつき、深いあおい瞳でヴィクトリアを見つめている。

 アメリアがそれを見て叫び声を上げそうになるが、ヴィクトリアは素早く彼女の口を小さな手でふさいだ。

 彼が身に着けている軍服とマントには見覚えがある。

 ヴィクトリアの故国、いま、このアルデリア王国と戦争が始まろうとしているリーデルシュタイン帝国の軍服。帝国の軍服は師団によって色分けされている。そしていま目の前にいる男が纏っている軍服の色は黒。

 その男は窓枠から窓のそばの床に音もなく移る。

 その大きな体躯にもかかわらず、体重を感じさせないしなやかさと俊敏な動作。その風貌は、大型のネコ科の肉食獣のようだ。

 床に降り立った男は片膝をつき、ヴィクトリアに騎士の礼をする。

 そしてこう告げた。

じかに発言する無礼をゆるされよ。私はリーデルシュタイン帝国軍第七師団所属」

「……」

「アレクシス・フォン・フォルクヴァルツと申します。初めてお目にかかります、リーデルシュタイン帝国第六皇女ヴィクトリア殿下。皇帝陛下のご下命によりお迎えに参じました」

 アレクシスが聞いていたのは、末姫である第六皇女殿下は御年十六歳ということだったが、今、彼の目の前にいる彼女はとても十六歳には見えなかった。

 だがしかし、見た目は幼いものの、中身はもしかしてその年齢相応なのかもしれないと思った。何しろこうして駆け付けた自分を前に取り乱さないその冷静な判断力は、さすが帝国の姫君といったところだ。

 貴族の若い令嬢とすれ違っただけでも、彼のその体格と風貌におびえて逃げるのを、何度見たことか。

 片膝をつき騎士の礼をとったまま、彼はそのまま床に視線を落とす。自分の顔が、若い令嬢や子供には受けが悪いのを十分知っているためだ。

 床に視線を落としている彼の髪も、軍服の色にそろえたように黒かった。

 ヴィクトリアもアメリアも、彼のその名は知っていた。リーデルシュタイン帝国軍第七師団長アレクシス・フォン・フォルクヴァルツといえば有名だ。軍に属していない貴族の子弟や令嬢などは、いかつく大きなたいの彼を見たら、泣いて逃げるとさえ言われている。

 ヴィクトリアも最初はその風貌に、声は上げずとも驚いて目を見開いたぐらいだった。

 しかし、その恐ろしい外見のうわさとは別に、彼の高い評価も耳にしていた。

 軍務省の出世頭の超エリート。ドラゴンすらほふると言われる剣聖。普通ならば四十代後半からげんすいの地位につくのに、彼は二十代の若さでそれに近い地位についた。そしてその軍服と髪の色から『くろ』という二つ名も知らない者はいない。

 彼との面識はそれまでなかったものの、この存在を前にして、彼が本物であるかどうかなどと疑いを持てるはずもなかった。

「下で騒いでいる業者は、第七師団の者がふんしているのですね? 陽動ですか?」

 自分を前にして泣きだすのでは……、そう思っていたアレクシスだったが、ヴィクトリアの言葉は冷静なものだった。状況確認のヴィクトリアの言葉に、アレクシスは低い声で「そうです」と答えた。

 ヴィクトリアはアメリアを見て言った。

「アメリア、帰国します。フォルクヴァルツきょう、参りましょう」

「お支度は……」

 戸惑うアメリアにヴィクトリアは告げる。

「時間をかけることはなりません」

 アレクシスは床に向かって伏せていた目を、ヴィクトリアの一言で見開く。

 状況判断の適格さ。その速さ。そして恐ろしいと言われるこの自分を前に叫びださない胆力。これはまぎれもなくリーデルシュタイン帝国の姫君。

「この機会を逃しては帝国に帰国できなくなるのですよ?」

 ヴィクトリアの言葉にアメリアはうなずいた。


 今回、第七師団は、皇帝陛下よりアルデリア王国に留学している末姫、第六皇女殿下をみつに帝国へ帰国させる旨のちょくめいを受けていた。

 リーデルシュタイン帝国の第七師団は少数精鋭、遊撃部隊と言われている。師団長のアレクシスは、すぐさま部隊を編成し、アルデリア王国に入国を果たした。

 だが、どうやって殿下と面会し、帰国を促すことができるかと思案した。

「殿下は学院敷地内の寮で過ごされている。学院内よりも寮内のほうが目立たないだろう。まだ、人質としての扱いは受けてはおられないようだ。殿下が納得して同行してくださるかどうか……」

 貴族の令嬢は世事にうといという印象を、今回作戦に参加した第七師団の誰もが抱いていた。第六皇女殿下とは師団の誰も面識はない。というか、皇族の姫君で、顔が認識できるのは、次代皇帝になる第一皇女と、軍籍にある第二皇女ぐらいだ。

 この二人の皇女殿下の妹であれば、美姫ではあるだろうと予想はつくが……。

「俺が直接、殿下をお連れする」

 師団長アレクシスの言葉に、一人の部下が声を上げる。

「閣下が直接?」

「時間がないから泣きだす前に、気絶させてでもお連れする。明日にでも殿下はこの国にとらわれて人質となる可能性が高い」

 彼は自分のその風貌が、若い貴族の令嬢から恐れられているのを自覚していたが、この任務はじんそくさが求められる。

 殿下を学生寮から連れ出すには単独で動いた方が早いと決断した。そして商人にふんした数名が、陽動作戦を実行したのだった。


 実行前に「殿下を気絶させてでもお連れする」と言っていた師団長アレクシスが、しっかりとした足取りの殿下と共にこの場に現れた時は、全員ほっとしていた。

「商隊の一団に擬装しているのですね」

 学生寮から、下町の宿に連れ出されたヴィクトリアは、普通の商人らしい服を身に着けている第七師団の兵を見て、そう発言した。

 商隊と、その道行の用心棒として雇い入れたようへいといった具合だ。

 全員、軍服はまとっていないものの、軍人らしい雰囲気を醸し出している。

 ヴィクトリアを前に全員が騎士の礼をとる。その場にいる誰もが、皇女が十六歳には見えないと思うが口に出さない。

「部下の実家が帝都にて商会を営んでおり、協力を得られました」

「お世話になります。世情から戦争の気配は感じておりました、感謝します」

 そして見た目からは決して想像のできない言葉が発せられた。この幼い姫は、戦争の気配を感じ取っていたと言うのだ。

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