ポーション、わが身を助ける

岩船晶

プロローグ


プロローグ



「おねえちゃん?」

 私はその一言でぱちりと目を覚ました。

 私を起こしたのは金髪の小さな女の子で、寝そべったままの私をくりっとした緑色の目で不思議そうに見ていた。

「なんでこんなところで寝てるの?」

「え?」

 反射的に辺りを見渡し、あわてて起き上がる。

 まったく見覚えのない薄暗い路地裏。寝ていた地面がむき出しのじめっとした土だったせいか、紺色のセーラー服が汚れている。

 かたわらにはいつも使っているリュックサックがあった。

 女の子はまだ不思議そうにこちらを見ていたが、遠くでその子を呼ぶ声がして、じゃあねー、とだけ言って去ってしまった。

 どうやら親に呼ばれたらしい。しかし自分がどこにいるのかも分からない今、あんな小さな女の子でもそばにいてほしかった。

 パタパタと走ってあっさりと路地裏から出ていってしまった女の子の後を追うように、リュックサックを背負い、恐る恐る歩き出した。

 ドクドクと耳に心臓を感じながらも路地裏から一歩、踏み出した。

 そこには中世を思わせる石畳の道とレンガ造りの建物、そして時代を取り違えたかのような装いをした人たち。その道行く人皆が、慣れ親しんだ日本人には到底見えなかった。

 それより何より、人間にすら見えない者が歩いているのをの当たりにし、私の頭は真っ白になった。

「と、かげ……?」

 口からこぼれた自分の言葉で理解した。

 トカゲ、そうトカゲだ。トカゲが人のような大きさで、人のように二足歩行をしている。

 トカゲが私をちらりとだけ見て目の前を通り過ぎた後、自分の足が小刻みに震えているのに気がついた。

 ここは一体、どこなのだろう。

 混乱しながらそう思っていると、通り過ぎたトカゲが、行き会った女性と親しげに立ち話を始めた。

 女性は楽しそうに口を開けて笑い、時折ちゃかすようにトカゲの腕をたたいたりもしていたし、トカゲも何か言葉を話しているようだ。

 とんでもない化け物と出くわしたと思ったが、普通の人のように意思の疎通をしている。

 そのことに少しホッとして道の中ほどまで歩み、改めて辺りを見回した。

 空は薄暗く、少し肌寒いので早朝だろうか。二つに分かれた道の一方は人がちらほらと、もう一方は更に広い道に出られるようで、そちらは人が多く、広い道に出られる方へと歩き出す。

 心臓は相変わらず激しく脈打っている。だがそんなことには構っていられない。

 広い道に出ると、視界が開けた。

 先ほどのトカゲのほかにも獣の耳が生えた人など、私には見たことのない光景が広がっていた。

 しかしそれを誰も疑問に思っている風でもないし、警戒している素振りもない。普通に声を発して話をしているし、テントを張っただけの露店で買い物だってしている。

 ゆっくりと人の間を縫って歩き、観察した。

 誰も携帯電話なんて使ってない。車だって自転車だって見当たらない。そうなると、一つでいいから自分にみのある物を見つけたくて仕方がなくなった。

 早歩きから小走りになり、そのうち何かに追われるように駆け出した。

 けれど知っている物は一つもなく、頭を更に混乱させるだけだった。

 涙で視界がにじみ始め、それを手の甲でぬぐう。

 それほど体力のある方ではなく、そう時間が経たないうちに息を切らして立ち止まってしまった。

「お嬢ちゃん、そんなに急いでどうしたの?」

「え?」

 横から心配そうに、ほっそりとしたおばさんが話しかけてきた。この人もやはり日本人とはかけ離れた、彫りの深い顔をしている。

「もしかして迷子になっちゃったの?」

「いえ、そうじゃない、ですけど……」

 そこでふと、気づいたことがあった。

 言葉が分かる。私を起こした女の子もこのおばさんも、言葉が通じている。

「迷子じゃないならいいけど、気をつけてお家に帰るのよ」

「あの!」

 背を向けて立ち去ろうとするおばさんを呼び止めた。

「ここって、どこなんでしょうか」

「やっぱり迷子なんじゃないのー。ここは南門の大通りよ」

「み、南門?」

 キョロキョロと辺りを見ると、人の波の向こう側に、高い壁があるのに気がついた。

「そうそう、あっちが門よ。お家分かる?」

 ここに私の家がありそうにないのは分かった。

「……はい、ありがとうございました」

 おばさんがニコッと笑って今度こそ歩いて行った後、私はぼうぜんと立ち尽くした。

 一体どこに行けばいいのかも、どうしたらいいかも分からないのだ。

 背中のリュックサックだけが、私の味方にも思えてきた。

 しかしここに立ち止まっていたところで何も始まらない。

 ここは街の中で、あの向こうに見える高い壁を境にどこかへ行けるはず。もしかしたらあの壁の向こうになら何かあるかもしれない。

 息を整えて壁の方へ歩き出す。

 おばさんに一度優しく声をかけられたこともあり、気持ちはだいぶ落ち着いていて、心にわずかばかりのゆとりが出来ていた。

 人間と、それ以外のトカゲや獣に似通った人たちの比率は半々くらいで、言葉は先ほどのおばさんと同じ、話している内容はキチンと理解出来る。

 着ている物は私が浮いているようで、通りすがりの人たちがチラチラとこちらを見ている。しかし変わった服だと聞こえたつぶやきに、気にするほどではないかとホッと胸をで下ろす。

 道路脇には盛んに客を呼ぶお店。にこやかに売り買いする人たち。お客さんに売るだけではなく、たまに買い取りをしていたりもするようだ。

 建物もレンガ造りばかりではなく、ログハウスのように丸太を組んだ物もあり、基礎だけは腐らないようにか、石であったりレンガだったりと様々。

 そういえば肌寒さを感じなくなった。ふと見上げると、薄暗かった空はいつの間にか明るくなっている。

 しばらく歩いてたどり着いた壁には大きな門があって、しかし固く閉じられていた。

 どうしようかと思っていると、その門の脇に立っていた門番らしき男性と目が合った。男性は何か気がついたように話しかけてきた。

「どうかしたかい?」

 まさか話しかけられるとは思ってもおらず、あわてて口を開く。

「い、いえっ、あの、その門が……」

「ん、門? まさか一人で外に出たいのかい? だめだよ危ないから」

 男性は、いわゆるかっちゅうというのだろうか、全身を防護していて腰には剣を携えている。

「いえ、でも……」

「君が戦えるならいいんだけど、それにしたってなんの装備もしていないじゃないか」

 戦う? 装備? 一体何を話しているのか分からない。

「どれくらい、危ないんですか?」

 男性は困ったように腕を組み、なんとか私に伝えようと考えてくれているようだ。

「えーと、最近はそうちょうを多く見かけるし、君一人じゃ連れ去られてしまうかもしれないよ」

「連れ……」

「分かったらほら、ここにはもう用はないだろう? 本当に危ないんだよ」

 そんな大きな鳥がいるものかと思うが、あのトカゲのような人を見た後ではあっさりと信じてしまう。

 しぶしぶ道を引き返す私を、男性は笑顔で手を振って見送ってくれた。けれどここを抜けようと思っていた私はほかに行き場もなく、ため息をついた。

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