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皇帝陛下の溺愛政策

能迅なのと

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 エルスタッド侯爵令嬢ラヴィーナが、最近よく耳にする幼なじみに関するウワサ。
 その一──怖い。
 この春、二十八の年で前皇帝の跡を継ぎ、ザルム帝国新皇帝として即位したテオドール・フォン・ザーイエッツは怖いらしい。
 眉目秀麗(びもくしゆうれい)長身痩躯(ちようしんそうく)の美丈夫よと褒め称えられるのはあくまでも外交上の形容詞。宮廷内から聞こえてくる声といえば、立派すぎて近寄りがたい、威圧感がありすぎる、鉄面皮(てつめんぴ)、笑ったところを見たことがない、目が合っただけで叱られそう──等々、身も(ふた)もないものばかりである。
 言い過ぎじゃないかしら、とラヴィーナは思う。
 その二──傲慢(ごうまん)
 もとよりテオドールは傑物(けつぶつ)と他国にまで知れ渡る、ザルム帝国自慢の世継ぎの皇太子であった。しかし優秀すぎるのも時に裏目と出るのか、政治においては独断専行、やや暴君的な面まであるという。そこに改善を求めようにも、やることなすこといちいち結果をともなう正論で切り返されてしまっては大臣たちも扱いづらくてやりにくいと、(なげ)いているとかいないとか。
 少しだけわかるわと、とラヴィーナは同情した。
 その三──私生活が謎すぎる。
 皇太子時代ならいざ知らず、正式に皇帝として即位した今となっては、身の回りのことなど女官たちに任せてしかるべきなのに、いまだにテオドールは、基本、自分のことはなんでも自分でやってしまう傾向があるのだとか。
 どうも変なところで頑固(がんこ)らしい。
 こちらは主に侍女や宮廷女官たちからの不平不満である。
 いささか暴君的だというテオドールの執政に頭を抱える大臣たちとは違い、女性陣が囁くウワサ話には、ほんの少し残念そうな色合いが含まれている点が、ラヴィーナには気になった。「ホント気難しくて困っちゃうわ〜」という声に、どうして「ねぇ〜?」という桃色の花が咲くようなため息が続くのか。
 しかし。
(私生活なんて公にされたら、私もう、生きていけないわ……っ!)
 と、真っ赤に染まる頬を両手で覆ったのも事実である。
 それというのも──。
「おや、どうしたのかなラヴィーナ、このショコラはお気に召さない?」
「…………」
「よろしい、だったらこちらのクリーム菓子を試してごらん、料理長が外国のレシピを研究して作った自慢の新作だそうだよ。ほぉらラヴィーナ、あーん」
「……テオドール」
 (おそ)れ多くも皇帝陛下の「お膝の上」で、ラヴィーナはやめてと制止の手を掲げた。
 そう、問題はここにある。
 いくら幼なじみの間柄とはいえ、十八にもなった自分が、皇帝陛下の膝に乗せられて、いまだに三時のおやつを「あーん」と口に運ばれている姿というのはどうなのだろう。クリーム菓子にも負けない甘さを全開にして、目を細めて自分に迫ってくる男の、いったいどこが気難しくて鉄面皮というのか。
 ザルム帝国の皇都宮殿──その奥深く。白大理石と金箔装飾(きんぱくそうしよく)が惜しみなく使われた豪奢(ごうしや)な室内は、明るい午後の日差しに満ちている。いくら完全に人払いしてある皇帝居室でのひとときとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。
 いつもいつも「こっちにおいで」と、ひょいっと抱き上げられて、すとんと膝に座らされてしまうのは、自分がやせっぽちで小柄だからいけないのだろうか。
(ううん、テオドールが大きくなりすぎたのがいけないのだわ……!)
 ラヴィーナは思う。
 せめて膝の上から降ろしてほしい。
 せめて自分で食べさせてほしい──と。
「テオドール、やめて。私、自分でちゃんと食べられるから」
 つっけんどんな言い方をするラヴィーナに、傲慢だの気難しいだの暴君だの、さんざんな評判をいただいている皇帝陛下が、苦笑に軽く口元をたわめた。
「どうやら今日はご機嫌ななめだねラヴィーナ。なにかあった? 言ってごらん?」
「べつに、そういうわけではないけれど……」
 ()ねるように横を向いたラヴィーナは、そのままテオドールがなにも言わないので、ちらりと真横にある顔を窺った。綺麗(きれい)すぎて怖い、とまで言ったのは誰だったか。
 物心がついた頃にはもう、当たり前のように自分のそばにいたこの幼なじみは、確かに少年時代から美しかった。幼い頃の肖像など、まるで教会に飾られた宗教画のようだ。成人してからは、そこに男らしさが加わった。
 背はすらりと高く、ほどよく筋肉がついた体つきも立派だ。まさに威風堂々。このまま歴代皇帝の彫像の横に立っても、けっして見劣りしないだろう。
 なによりも美しいのは、早くに亡くなったという前皇妃譲りの漆黒(しつこく)の髪と瞳だ。それは昔からラヴィーナにとって憧れと羨望の対象だった。この国では珍しくもない、自分の金髪と青い目など平凡の一言に尽きる。うらやましいのは神秘的な黒。触れればさらりと指に心地よい髪質は、ラヴィーナだからこそ知っている。いつも少し長めに整えてもらっているのは、実のところラヴィーナの好みだ。
 そして昨年、病でみまかられた前皇帝の跡を継ぎ、テオドールは即位した。
 輝ける王。立派な王。美しき我らがテオドール新皇帝、万歳(ばんざい)
 喪が明けてから大々的に()り行われた即位式では、国民たちが熱狂的にそう歓喜していた。宮廷内の執政大臣たちも、やれこれで一安心、国家は安泰と胸をなで下ろしていた。ザルム帝国においては政治と国権を二分する教会の聖職者たちも、若き皇帝の即位に顔をほころばせていたものである。
 それもこれもテオドールが非の打ち所もなく金甌無欠(きんおうむけつ)な人物と、外部は信じて疑っていないからだ。
 しかし即位すること半年あまり、そろそろ秘密も漏れ始めるのではないかと、ラヴィーナは危惧する。
 その秘密とは、ラヴィーナだけが知る幼なじみの真の姿だ。
 そっと小さなため息をひとつ。
「いいから降ろして……」
 確かにテオドールは魅力的な人物だし、自分のこともかわいがってはくれるが、それにしても程度問題というものがあるだろう。
 ふたりの年の差は十歳。ラヴィーナが生まれたちょうどその頃、未来の重臣たちとのつながりをより強固にするためという名目のもと、慣例的に皇太子がエルスタッド侯爵家で暮らしていたのがそもそもの始まりだ。父親にも負けぬ勢いで、ラヴィーナに対する保護欲をかき立てられてしまった彼は、今日という日に至ってなお、父親に劣らぬ過保護な存在と化しているのだった。
 怖いだの頑固だのと言われているようだし、それがテオドールの平素の顔だということなら知っている。しかしながら真実は──、少なくともラヴィーナにとってのテオドールという男は、ときに父親以上に親バカな、ひたすら自分を溺愛するばかりの、甘すぎるほど甘い、劇甘な存在なのだった。
 だらしがないとまでは言わないものの、かわいいかわいいと自分の頭を撫でまわしてくる男のとろけるような笑顔など、君主にふさわしいそれではないはず。
 使い分け、といえば聞こえはいいが、へたをすれば二重人格なのではないかしらと疑ってしまうほどには危ういものだ。
 かろうじて今はまだ、誰にも悟られていない点が唯一の救いとラヴィーナは考える。
 ──こんな姿、決して他の誰にも見せられない。この状況を知られたら、きっと多くの人間に失望されてしまうもの。これはテオドールの尊厳に関わる問題よ。となれば、国家にとっての大問題だわ。
 ラヴィーナはもう、どきどきと国家機密級の秘密を抱えている気分だった。
 いくら宮殿の奥深くで過ごす私的な時間とはいえ、皇帝位にある人間に側近はおろか、侍女のひとりも付けない、完璧な人払いを求める理由がここにある。

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