【急募】オオカミ社長の週末花嫁~子作りするとは聞いてません!!~

麻生ミカリ

第一章 恋が始まるその前に (3)

 二年前、社長に就任した志狼の部屋へ歩いていくと、たどり着く前にドアが内側から開いた。
「ああ、待っていたよ。おはよう、冷泉さん。急に悪かったね」
 少しクセのある黒髪をラフにセットし、ワイルドさの残る精悍な顔に笑みを浮かべて、社長の真神志狼が手招きする。
 ──社長って、こんなに気さくなひとだったの?
 面食らいそうになるのを必死でこらえ、来実は足を速めた。
「いえ、お待たせして申し訳ありません」
「どうぞ、入って」
 社長室は、ほかの重役室と同じ構造になっている。だが、役員フロアではそれぞれが好きなように室内を使用するため、人柄が出るものだ。
 志狼の部屋は、来実が今までに見たどの役員の部屋よりもシンプルに見える。
 深みのあるブルーグレーの大きな棚が壁際に配置され、似た系統の色だが少し藍色がかったデスクチェア。幅二メートルはありそうなデスクは、木目を活かした焦げ茶色で、正面から見ると半円型をしている。ともすれば無機的になりがちな雰囲気を、不思議なデザインのデスクが和らげているように見えた。
「こちらに」
 社長自らソファまで案内してくれるだなんて、いったいどんな重要事項を話されるのだろうか。
「失礼いたします」
 藍色のソファは、志狼のデスクチェアと同じ色。革張りのため、スーツのスカートから伸びた脚がひんやりする。
「何か飲み物を準備しようか」
「いえ、どうぞお気になさらず」
 緊張で心拍数が上がっていく。けれど、仕事モードの来実を見て、彼女の内心を読めるものはそういない。
「それで、お話というのは……?」
 きりっと男らしい眉、目尻の上がったアーモンド型の目、涙袋が薄く膨らみ、引き結ばれた形良い唇。三十六歳という年齢より、ぐんと若々しさを感じさせる(たくま)しい体つき。長身で肩幅の広い志狼は、美しい獣を想像させる。
「それなんだが──冷泉さん、今夜は予定が入っているかな」
「……予定、ですか?」
 ふと左眉をひそめ、来実は首を傾げそうになった。
 たとえば片山が休職する前だったら、常務やほかの役員から専務の予定を尋ねられることもあったけれど、それはあくまで来実個人の予定ではない。
 持ってきた大きめの手帳を開いてみたものの、なんと答えたらいいのかわからなくなる。そこには、役員の予定が書き込まれているばかりで、来実のことは何も書かれていないのだ。
 もしかしたら、自分は聞き間違いをしたのかもしれない。
 だとすれば合点がいく。きっと、聞き逃したのだ。『来実の』予定ではなく、ほかの誰かの予定を──
「今夜、アズーロのパーティーがある」
 アズーロとは、マガミフーズが以前に取材協力をした雑誌である。
 マガミフーズが手がけるカフェチェーン『シエスタ』の特集と言われ、クーポンも準備したのだが、蓋を開けてみれば該当記事は、ほかのカフェチェーンとの商品やサービスの比較だった。『シエスタ』をこき下ろすような文章も散見され、広報室が怒っていたのを覚えている。
「加賀智から出席するよう言われているのだけど、少々厄介なんだ」
「はい」
 たしかに、因縁のある雑誌のパーティーとあっては、厄介なのだろう。話の続きを待って、来実はじっと志狼を見つめる。
 若き社長が、なぜか困ったように口を開閉させて目を伏せた。よほど言いにくい問題があるのか。そう思ったときだった。
「──そこに、加賀智が私の見合い相手をセッティングしているらしく……」
 見合い相手。
 予想外の単語に、反応が遅れる。
 志狼は三十六歳。来実は詳しく知らないけれど、真神一族のなかでも極めて優秀だったらしく、志狼の父である前社長は息子に社を任せると早々に引退した。重役の誰も反対しなかった。むしろ、そうなるのが当然という空気があった。
 全国にカフェチェーン『シエスタ』、ファミリーレストラン『ラズロ』、ベーカリー『ファンファン』を合計二千店舗も展開するマガミフーズの社長である志狼が、結婚を望まれるのは当然かもしれない。
 だが、なぜ加賀智が?
 彼は秘書室室長であり、志狼の第一秘書だ。便宜上、第一秘書と名乗っているが第二秘書はいない。以前、志狼の父が社長だったころは第二秘書がいたため、その名残で名称だけが残った状態である。
 ──そういえば、加賀智室長は社長と遠い親戚だと聞いたことが……
 加賀智(りゅう)は、謎の男だった。
 二年前、志狼が社長となった折に突然現れて、秘書室室長となった。それまでの経歴は、海外で長く暮らしていたらしく、詳細を誰も知らないのだ。
 普通、中途採用の場合はたいていが他社で似たような職種に就いているものだが、加賀智の過去はまったくの不明である。海外にいたというのも、アメリカだと言う者もいれば、アフリカだと言う者、果てはエクアドルだと聞いたという者まで現れて、結局どこなのかわからない。
 ならば当人に直接尋ねてみればいいのかもしれないが、加賀智龍、一筋縄ではいかない男なのである。
 真夏でも三つ揃えのスーツを汗ひとつかかずに着こなし、涼しげな顔をしている。細い銀色のフレームのメガネと、凹凸の少ないあっさりとした顔立ちが、彼をいっそうクールに見せるのだ。
 さらには、いついかなるとき、どんな相手に対しても決して敬語を崩すことがなく、同様にぴしりとセットした髪は乱れることがなく、そのまなざしは氷のように冷たく、ナイフのように鋭い。
 ここまで来ると、いっそ清々しいまでにクールな性格かと思えば、別段他者と距離を取りたがるわけでもなく、気づくとフレンドリーに話しかけてきたりする。
 一部の女性たちには人気があるらしいが、どうにも胡散臭い男だ。
「質問をよろしいでしょうか?」
「ああ、どうぞ」
 おずおずと、来実は気になることを口に出した。
「なぜ、加賀智室長はお見合いのお相手をパーティーに呼んだのでしょう。昨今では、正式なお見合いの場をもうけるよりも、そういったイベントなどで知り合うよう仕向けるものなのですか?」
「……まあ、それは私が見合いを嫌がっているせいではないかと」
「でしたら、お断りになることはできないのでしょうか? お見合いというものは、双方の合意なく行われるものではございません」
 幼いころ、来実は母親から見合いについての話をよく聞いていた。
 母は、地方で長らく続く米屋の娘で、地元の青年と見合いをして結婚するよう、祖父母から言いつけられていたらしい。けれど、見合いの前日、父と運命的な出会いをし、恋に落ちた。ふたりはひと目で互いのことを、人生の伴侶とわかったのだという。
『だからね、お見合いをお断りしたかったのだけど、おじいちゃんとおばあちゃんに叱られるのが怖くて、お父さんにお願いしたの。どうか、お見合いの席からわたしをさらってください、って』
 結婚し、来実と樹のふたりの子どもを授かってなお、母はお嬢さま気質のひとだった。運命や赤い糸の話が大好きで、少女のように純粋に父を愛している。それについては、今でも変わらない。だからこそ、何度も行方をくらます父を待ち続けることができるのだろう。
「冷泉さんは、とてもまっすぐなひとだね」

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