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元帥皇帝に捧げられた花嫁

芹名りせ

第一章 (3)

 なぜか腕を掴まれ、それを阻止された。
(あき)れたお姫様だな」
「え?」
 思いがけない言葉に瞳を瞬かせたアレーシャの顔に、神々しいほどに美しい青年の顔が近づいてくる。どきりと心臓が胸から飛び出してしまいそうに大きく跳ねる。
「な、何を……?」
 掴まれた腕をふり払って逃げようとしたが、その動きを利用して逆に長い腕の中に抱きしめられてしまった。白い手袋を嵌めたままの手で黄金色の髪を掴まれ、顔を上向かされる。彫像のようによく整った顔が、長い睫毛(まつげ)を伏せながら上から下りてくる。
(え……えっ?)
 今にも唇が重なりそうになり、アレーシャが顔を背けながら固く両目を閉じた瞬間、青年の顔は鼻先を(かす)め、アレーシャの顔のすぐ隣に伏せられた。背中に廻されていた手がアレーシャの小柄な身体を床から踵が浮くほどに軽々と持ち上げ、まろやかな胸が青年の硬い胸板に当たって押し潰される。
「や、やめてください」
 あまりに身体の密着度が高く、思わず懇願すると願いどおりに身体を離される。
「どんな手練(てだ)れかと思えば、やはり見た目どおりの初心(うぶ)だな。これでは色仕掛けなど無理だ。若くて綺麗な女好きのアラルならその容姿だけで骨抜きだったかもしれないが、俺には効かない。そんなものではまったく惑わされない」
 青年の声には嘲笑めいた響きがかすかに含まれており、アレーシャの頬にはかっと朱が昇った。
「これで本当にさようならだ、お姫様。抱き心地はさほど悪くなかったが、いくら頑張ってもあなたに色仕掛けなど無理だ。少なくとも俺には効かない。共にリィクセン帝国に対抗してくれそうな国にでも嫁ぐか、また皇帝が変わる時を待ったほうがいい。もっとも後者のほうは、そう簡単には実現させないが……」
 かつかつと靴の音を響かせて扉を通り抜けようとした背中に、アレーシャは三度目の待ったをかけた。
「待って」
 どうしてもここで彼を見送るわけにはいかないと力が入った結果、自分でも思いがけないほど(りん)とした声が出た。呼びかけに応じて足を止めた青年の後を足早に追い、それを追い越し、扉を閉めて内側から鍵をかける。
「なんの真似(まね)だ?」
 青年は(いぶか)るような声を出したが、アレーシャの決意は固かった。今の自分にできることはこれしかない。――誓約書にサインを貰うことを何度でも願う。
 王女らしくふるまおうとした結果、必要以上に委縮してしまう気持ちを改善するため、あえてそれを意識しないことにした。半月ぶりに本来の自分らしく、気持ちを正直に言葉にする。
「確かに私はその誓約書の中身を見ていません。不勉強だったことはお()びします。申し訳ありませんでした。でもそこには、リィクセン帝国がカドレラ王国と和平を結ぶ内容が書かれているのですよね? それにサインを貰えば、少なくとも国境に近い地方で暮らす人々が、いつリィクセン帝国がまた国境を越えてくるかと(おび)えて過ごさなくてもよくなるのですよね?」
 高い位置からまっすぐにアレーシャを見下ろす青年の冷徹な視線が、かすかに緩んだように感じるがそれを気にしている場合ではない。とにかくなんとか彼に誓約書へサインしてほしい。
「でしたら、どうかサインをください。そのためならば私は何でもします。前皇帝との約束どおり、帝国皇帝のあなたの花嫁になるのでも、この国に滞在の間だけお相手をするのでも、私は……」
 本当はぶるぶると震えだしてしまいそうな手を、懸命に握りあわせることでごまかしながらアレーシャは青年に懇願した。これまでほぼ表情を変えることのなかった青年が初めて嫌悪の感情をあらわにし、苛立(いらだ)たしげに舌打ちする。
「それほどあの男に抱かれたかったのか? それとも男なら誰でもいいのか? 清廉そうな顔をしてとんだ好きものだな」
 自分を怒らせて決意を鈍らせようと、青年がわざと(おとし)めるような言い方をしているのだということがアレーシャにはわかった。それなのでかえって冷静に、主張を貫く。
「なんと思われても結構です。私は私の役目を果たします」
「強情なお姫様だ…………いいだろう」
 自分から言い出したことであったのに、青年に手首を掴まれ低い声で了承の言葉を紡がれると、アレーシャの胸の鼓動はどきどきと大きくなった。それが青年にも聞こえてしまいそうで、なんとか鎮めたいのに少しも上手(うま)くいかない。近づかれるとますます呼吸も止まりそうに心臓が暴れる。
 このような状態で彼に身を任せることなどできるのだろうかと、不安に思うアレーシャを閉じた扉の前に立たせた青年は、自らは長椅子の位置まで引いた。
「あの……」
 ベッドからはもっとも遠い場所に置きざりにされ、これからいったいどうしたらいいのだろうとアレーシャは戸惑う。
 青年は先ほどソファーに座っていた時のように浅く長椅子に腰かけ、長い脚を悠々と組む。その上に頬杖(ほおづえ)をつき、白手袋を嵌めた手で細い頬を支えながら、眉一つ動かさずアレーシャに命じた。
「そこで服を脱げ。全てだ」
「えっ……」
 思いがけない言葉に、アレーシャは絶句した。それに対して青年は落ち着き払った態度で、その理由をアレーシャにもわかりやすく説明する。
「俺はご馳走(ちそう)を目の前にぶら下げられれば、尻尾を振って飛びつくような馬鹿な動物ではない。自分の身は自分しか守ることができないと知っている。どこかに武器を隠し持っていないか、油断させておいてそれで俺を襲うつもりではないか、身体の隅々まで調べるためだ。他に意味はない。わかったらさっさと脱げ」
「はい」
 彼の言い分はもっともで、アレーシャは命令に従って服を脱ぐしかなった。たった二枚だけ身に着けているローブと薄いドレスであっても、それを着ているといないとでは雲泥の差だ。
 ましてや彫刻のように美しい容姿の青年が、アレーシャの一挙手一投足を見逃すまいと、少し離れた場所からこちらをじっと見つめている。布地を掴む手も自然と震えた。
 温かなローブを肩から滑り落とし、ドレスの前部分にずらりと並んだ(ぼたん)を一つずつ外す。
 布地の隙間からちらちらと素肌がのぞくことも恥ずかしかったが、まだ布に包まれている部分も、まるで存在を主張するかのように普段とは違う形に変化してしまっていることが、更に恥ずかしかった。
 どうして胸の膨らみの頂点が固く(とが)り、服の上からでもわかるほどにしこってしまっているのだろう。それを青年に見られるのが恥ずかしく、ドレスを肩から落とすとすぐに、胸の膨らみと、誰にも見せるべきではない脚と脚の間の秘めた場所を手で隠したが、その行為を見咎(みとが)められる。
「隠すな。手を退けろ」
(そんな……!)
 心の中では反発を覚えたが、口に出して言うことはできない。そうすればその瞬間にでも、ならばもうやめると青年に言い渡されてしまう。アレーシャから願って前皇帝との約束を果たしてもらおうとしている以上、どうしても立場が弱くなってしまうのは仕方がなかった。
 唇を噛みしめて、身体の一部を隠している手を退かせる。恥ずかしい身体の反応を余すところなく見られていると思うと、頬が熱くなり過ぎて涙が浮かんで来そうだったが、顔を(うつむ)けて必死に耐えた。
「その腕輪は?」

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