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元帥皇帝に捧げられた花嫁

芹名りせ

第一章 (2)

「ここには今から大切なお客様が来られるのです。とても重要なお約束があって……だから関係のない方に入ってこられると困ります。お部屋をお間違いではないですか?」
 なるべく失礼にならないように言葉を選んだつもりだったが、娘が話し終わっても青年は口を開かない。ソファーの背もたれに深々と背中を預け、長い脚を持て余すようにゆったりと組む。
 その所作も姿も、思わずまた見惚(みと)れてしまいそうなほどに美しかったが、娘は心を強く持ってもう一度口を開いた。
「あの……!」
 今度は少し強く言ってもいいだろうかとこぶしを握りしめたのに、それに先んじて青年が口を開く。
「俺だ」
「え?」
 端的に告げられた言葉がいったい何を指しているのかわからず、娘は瞳を瞬かせた。その様子を()えた目で見据えながら、青年がもう一度くり返す。
「その『皇帝』というのが俺だ。だから部屋を間違えてなどいない。ここはカドレラ王国の王女の寝室で間違いないな? 伝え聞いていた人相とは少し違うようだが……」
 腰の位置まで流れるように垂れた黄金色の髪を指で摘まんで持ち上げられ、娘は慌てて青年の前から一歩後退(あとずさ)った。
「お聞きになったのはおそらく姉の……カチェリーナ王女の容姿です。私は妹のアレーシャといいます……」
 これが一番重要だからと、この半月の間に何度も練習させられた口上だ。慣れない名乗りには焦りを感じたが、怪しまれるほど言葉がつかえなかったことに我ながら安堵(あんど)した。
「そうか」
 深く追求せずに青年があっさりと納得してくれたことはありがたかったが、アレーシャとしても彼に確認したいことがある。
「皇帝とおっしゃいましたが、アラル皇帝ではありませんよね。あなたは、あの……?」
 いったい何者なのかと問う意味で言葉を濁すと、青年がもう一度アレーシャに目を向けた。その鋭い眼差(まなざ)しを目の前にすると、やはり喉もとに刃を突きつけられたような気持ちになる。
「俺か? 俺はリィクセン帝国軍を率いる軍人だ。位は元帥」
「元帥!」
 それは軍の最高司令官であり、軍部ではもっとも高い地位にある人物だ。どう見ても彼はまだ二十を少し越えたぐらいの年齢にしか見えないのにと、アレーシャは驚きを隠せない。
「そしてアラルならば……死んだ。俺がこの手で殺した。だから新しい皇帝は俺だ」
「えっ……!」
 世襲制ではないリィクセン帝国の皇帝は、新しい皇帝候補が前皇帝を弑すことによって帝位を奪うことがあるらしい。そう噂には聞いたことがあったが、まさかその殺伐とした代替わりを目の当たりにするとは思ってもおらず、あまりのことにアレーシャは手で口を覆って言葉をなくす。
「そんな……!」
 青年はそれ以上詳しい説明をする気もないようで、かけていたソファーからおもむろに立ち上がった。
「前皇帝がこの国と何を約束していたのかは知らないが、俺には関係のないことだ。だから捧げもののような花嫁などいらない。諸外国との交渉も和睦も、俺は自分の判断で決める。では」
 息も継がずに立て続けにしゃべり、青年はアレーシャの隣をすり抜けて部屋の出入り口へと向かおうとした。アレーシャは急いで制止の声をかける。
「待って! 待ってください!」
 自分には関係のないことだと言い放ちながらも、青年はアレーシャの呼びかけに応じ足を止めてくれる。この人物は話せばわかってくれるのではないかというかすかな期待を胸に、アレーシャは彼の正面に(まわ)りこむ。
「それでは困ります。今宵リィクセン帝国の皇帝陛下からこの誓約書にサインをもらうはずだったのです」
 それがお前の役目だと、リュドミーラ王妃からはくれぐれも念を押された。皇帝の代替わりは想定外の出来事だったが、だからといってこの青年をこのまま帰すわけにはいかない。
 アラル皇帝に代わって皇帝位に就いたのならば、サインはこの青年のもので構わないはずだ。それを懇願できる者は今この場所にはアレーシャしかいない。
「どうかサインをいただけませんか?」
 緊張の思いで誓約書をさし出すと、思いがけなく青年がそれを受け取ってくれた。表紙に結ばれた(ひも)を解き、白手袋を嵌めたまま(ページ)を開き、中身を確認した横顔がこれまで以上に冷たくなる。
「国はさしあげますから王家の者だけは今までどおり特別扱いで贅沢(ぜいたく)させてください、か……たいした王家だな、お姫様」
「え?」
 誓約書を託されはしたものの、その中にどのようなことが書かれているのかアレーシャはまったく知らなかった。カドレラ王国の第二王女という地位は、ほぼ今宵のためだけに半月ほど前に与えられたばかりで、実際に王女らしい扱いなど受けたこともない。
 王女としてリィクセン帝国の皇帝の前に出てもおかしくない所作や言葉遣いなどは練習させられたが、誓約書の中など見せてもらっているはずもなかった。
 驚いたようなアレーシャを横目に見ながら、青年の態度と言葉には侮蔑の色が濃くなる。
「誓約書の内容も知らないのか? 本当に色仕掛けでアラルにサインを貰うことしか頭になかったという顔だな」
 揶揄(やゆ)するそうに薄手のドレスを視線で示され、アレーシャは顔から火が出そうに恥ずかしくなった。両腕で自分の身体を抱きしめ、懸命に首を振る。
「これは違います! そんなつもりじゃ……」
 恥ずかしさのあまり反論しても、実際にその予定だったことを思えば声に力も入らない。それは青年にも伝わったようで、誓約書をぽんとテーブルの上に置き、(きびす)を返して部屋から出て行こうとする。
「廊下からちらりと姿が見えた時は妖精が迷いこんだのかと思ったが、どうやら本当に人間で、しかも俺の大嫌いな人種だったようだ。これだから、王家だとか貴族だとか特権階級にあぐらをかいた連中は信用ならない。今その住処(すみか)にいるかと思うと虫唾(むしず)が走る。もう話すことなどない。俺は帰る」
「待って!」
 扉へ向かおうとした青年の背中に、アレーシャは夢中で腕を伸ばした。黒い軍服の上着を引っ張る格好となり、青年が足を止めてくれたはいいものの、恐ろしいほどによく整った無表情の顔を向けられても、何を話していいのか判断がつかない。
「どうか……どうかサインを……!」
 結果そう願うしかなく、青年の声音はますます低くなった。
「あなたは見た目が綺麗(きれい)なだけの人形か? 教えられた言葉をただくり返すばかりで、自分の言葉も考えもないのか?」
「違う! 私は……!」
 青年の挑発に乗り、つい口をついて出てきてしまいそうになった自分自身の言葉を、アレーシャは唇を噛みしめることで懸命に我慢した。ここで本来の自分を(さら)け出してしまっては、この半月、ひたすらそれを隠してなかったことにする練習ばかりを強いられた日々を全て無駄にしてしまうことになる。
(私は王女……このカドレラ王国の第二王女なのよ……)
 自分に言い聞かせるように心の中でくり返せば、(たか)ぶっていた感情もすっと穏やかになるから不思議だ。
「この誓約書にサインをいただきたいのです。カドレラ王国の未来のために……そのために私は皇帝陛下の花嫁になるという条件を受けました。どうぞ前皇帝との約束を引き継いでください」
 最後に誠意を込めて頭を下げ、背中を掴んでいた手を放して青年から離れようとすると、

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