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誰にもいえない花嫁修業~甘い蜜の館~

上主沙夜

第一幕 キスからはじまる花嫁修業 (1)


第一幕 キスからはじまる花嫁修業


 リースフェルト王国は大陸の中央、やや東寄りに位置している。
 内陸国だが南東には国境をまたぐ大きな湖があり、漁業も盛んだ。北部はいくぶん山がちで、品質のよい高地葡萄(ぶどう)の栽培が行なわれている。中央平原は豊かな穀倉地帯である。
 国土はそれほど広くないものの、古来より独立不羈(ふき)の気風が強く、軍は精鋭(ぞろ)いで士気も高い。
 代々の君主が各国から学者・文化人を招いて厚遇したため、幅広い学問と華やかな宮廷文化も発達した。
 小国なれど文武両道を地で行くリースフェルトは大陸でも独自の地位を築き上げている。
 中央平原のほぼ真ん中にある王都ヴァン・デ・ルーアは王家発祥の地で、広大な王宮を中心に美しい街並みが広がっている。
 王宮には東西南北それぞれに離宮があり、北と南の離宮は王宮にほど近い。北の離宮は王妃と幼い第二王子を中心とした王族の住まいで、南の離宮は催し物や各国の元首・大使を歓待するために使われる。
 東西の離宮は間に広大な庭園と森を挟んで中央からはかなり離れており、西の離宮は臨時の宿泊施設として使われることが多いため、ふだんはほぼ無人。東の離宮にはリースフェルトの世継ぎである第一王子が大勢の召使に(かしず)かれながらひとりで暮らしている。
 さてその東の離宮、別名〈瑠璃の館〉にて、ヴィルジェニーは唖然(あぜん)と言葉を失っていた。
 シャンデリアの下がる高い天井には華やかなフレスコ画が描かれ、足元には青を基調とした幾何学模様の釉薬(ゆうやく)タイルが敷きつめられていたが、残念ながら全然目に入らない。
「――おまえがファルケンベルクの娘か」
 高慢な問いかけを放つ相手を、ヴィルジェニーは緑がかった薄青色(ホライズン・ブルー)の瞳を(みは)って見返した。ぽかんと口を開けて絶句するなど貴婦人にあるまじきふるまいだったが、とにかく驚いていたのである。片手を腰に当て、軽く小首を(かし)げてかたちよい唇でニヤリと笑うその人物は、目を疑うほど美しかった。
 年頃は二十代の始め。若木のようにしなやかな身体を純白の軍装で包んでいる。前が短く後ろがテイルコートのようになったアビという上着と、ピカピカに磨き抜かれた長靴にタックインした白いトラウザーズという()()ちは、まるで戦支度の天使のようだ。
 天が授けた王冠と見紛(みまが)豪奢(ごうしや)な金髪が、さらりと肩にかかる。女性と言われても信じてしまいそうな繊細かつ華やかな美貌には、しかしどこか小悪魔的な微笑が浮かんでいた。
 緋色(ひいろ)天鵞絨(ビロード)を張った黄金の獅子脚(ししあし)ソファにどかりと座り、彼は長い脚を傲然と組んだ。
「は! 俺様の美貌に驚くあまり、口もきけないようだな」
 尊大な口調で言って笑いだした美青年に、目を()くような美女が左右から寄り添う。
「当然ですわぁ、ルドヴィク様」
「ルドヴィク様がこの世で最も美しい王子様ですもの〜」
「あらぁ、あの世にだってきっとこれほど美しい方はいませんことよ」
 ソファの後ろから身を乗り出し、なまめかしい白い腕を青年の首に絡めて三人目の美女が艶然と微笑(ほほえ)む。したり顔で(うなず)く青年に、ヴィルジェニーはいよいよ言葉を失った。
(と、とにかく挨拶しないと!)
 気を取り直し、ドレスを摘んで丁重に一礼する。
「ファルケンベルク侯爵長女、ヴィルジェニー・ユリアーネ・デ・ファルケンベルクにございます……」
「うむ、よく来た。ところで年は幾つだったかな?」
「あと二か月ほどで十九になります」
「ということは、今は十八か。青いな! それに固そうだ」
 固そう、とはどういう意味だろう?
 確かに幼い王子の養育女官という前歴は、お堅いものと言えるかもしれないが……。
 ヴィルジェニーは困惑して首を傾げた。
 ふんわりと渦巻くピンクゴールドの髪が頼りなげに揺れる。クリームイエローのレースと青磁色のリボンで飾られたローズピンクの可憐(かれん)なドレスが、急に恥ずかしくなった。
(やっぱり似合ってないかしら……)
 王妃付きの女官と違い、幼い王子の養育係だったヴィルジェニーは、いつも茶色や深緑など落ち着いた色合いで飾り気の少ないシンプルなドレスばかり着ていた。
 年頃の娘らしく華やかな装いに身を包んだのは、実はこれが初めてだったりする。
 人目を()くに充分な愛らしい顔立ちにもかかわらず、ヴィルジェニーはその自覚に乏しい。継母(ままはは)に疎まれて十六になっても社交界デビューさせてもらえず、行儀見習いと称して宮廷に出仕させられた。それも目立たぬ子供部屋(ナーサリールーム)付きだ。
 もともと派手好きでも出たがりでもないヴィルジェニーは、己の境遇を嘆くことなく宮廷の片隅で幼い第二王子の世話を焼きながら地味に暮らしていた。
 これといった不満もなく地道な生活を送っていたヴィルジェニーの境遇が一変したのはほんの二か月前のこと。王妃が突然、お見合いしてみないかと言いだしたのだ。
 相手は自分が世話するテオ王子の異母兄、リースフェルトの世継ぎの君だという。
 何の冗談かと思ったが、継母がヴィルジェニーを遠縁の男に嫁がせようと画策していることを聞き知り、時間稼ぎのつもりで王妃の誘いに応じた。
 見合いといっても提出された肖像画と釣書を見て王子が選ぶだけ。ヴィルジェニーのような地味な女が王子様に選ばれるなんて、天地がひっくり返ってもありえない。その間に身の振り方を決めておこう。そんなふうに考えたのだった。
 継母が選んだ相手とだけは絶対に結婚したくなかった。それくらいなら修道院にでも入ったほうがずっとマシ。少なくとも朋輩(ほうばい)たちと心安らかに暮らせるはずだ。
 ヴィルジェニーは、自分の顔が世間一般の基準で見てかなり美人の部類に入っていることにまるで無自覚だったし、継母の冷遇と子供相手の地味な女官生活で、己が侯爵令嬢という文句のない身分であることもすっかり忘れていたのである。
 そして、宮廷画家に見合い用の肖像画を描いてもらったことさえ忘れかけたある日のこと。子供部屋(ナーサリールーム)に突然現れた王妃が笑顔でパチンと扇を鳴らした。
「おめでとう。見事当選よ」
 ――かくしてヴィルジェニーは世継ぎの君の許嫁(いいなずけ)となったのだった。
 前妻の(のこ)した娘にまるで無関心だった父は態度を一変させて(うれ)(なみだ)で号泣し、継母には呪い殺されそうな(すさ)まじい目つきで(にら)まれた。
 前国王の姉であるデルブリュック公爵夫人の元でお妃教育と花嫁修業をすることとなり、支度のため実家に宿下がりしていたヴィルジェニーを、王太子の紋章入りの立派な箱馬車が迎えにきた。
 何の疑問もなく乗り込み、着きましたと言われて馬車から降りると、何故かそこはデルブリュック公爵の屋敷ではなく王宮の東の離宮だったのである。
 東の離宮――通称〈瑠璃の館〉の主である世継ぎの王子ルドヴィクは、ヴィルジェニーを値踏みするようにじろじろ眺めて言い放った。
「俺のことを、どう聞いてる?」
「あ……。その……、ご立派な方だと……」
「は! お(ため)ごかしは無用だ。偏屈な引きこもりと言われてるのは知ってるぞ」
 ニヤリとした王子の(かたわ)らで、美女が身をくねらせる。

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