王の獲物は無垢な花嫁
第一章 さらわれ、そして奪われ (3)
オルガは鸚鵡返しにつぶやき、呆然と青年を見つめた。
言われてみれば、パレードなどで遠目に見たアデルバート王子は、こんな顔をしていたかもしれない。
――でも、どうして王子殿下が? 結婚式の真っ最中に、いきなり馬で教会に飛びこんできて、私を……たぶん、さらったのよね? ここへ連れてきたのは、いったいなんのため?
「いったい……なぜ……?」
だがアデルバートはその質問には答えず、寝台の方へ歩み寄りながら言った。
「殿下は堅苦しい。呼び捨てでいい」
無造作に手を伸ばされ、オルガはびくりと身をすくませた。
顎を取られ、覗きこむように間近で顔を見つめられる。
「近くで見ると、いちだんと美しい」
もう一方の手で髪をすくいとられて、今度は全身を観賞するように眺められた。
「この髪といい、姿形といい、実に見事だ。まさに白い鹿だな」
王子の言っていることがよくわからない。オルガはこわごわ、もう一度質問を試みた。
「ここへ私を連れてきたのは、どうしてですか?」
「私の妻にするためだ」
返ってきた答えは、オルガの想像を絶するものだった。
――え? 今、なんて……?
「つ、妻……?」
驚きのあまり、オルガはつい、なじるように言ってしまった。
「わっ、私はっ……結婚式の途中だったんですよ? もう夫がいるんです! 他の人の妻になど、なれるわけがないじゃありませんか!」
だがアデルバートは涼しげな顔で言った。
「オルガと言うそうだな。式は完了していないし、婚姻届も出されていない。法的におまえは未婚のままだ。それに……体もまだ、あの男のものにはなっていないのだろう?」
顎をつかまれたまま指先で頬を撫でられて、オルガは震え上がった。
――まさか……本気で言っているの……?
「おっ、お待ちください!」
寄せられる顔を避けて、必死に声を振り絞る。
「だからといって……ど、どうして王子殿下が、私などを……っ!」
「殿下はやめろと言ったはずだ」
アデルバートはじろりと睨みつけて言い、ついで表情をやわらげて問いに答えた。
「おまえのことが気に入ったからだ。一目見て、ほしいと思った。だから妻にする」
「……わ、私はただの、平民です……」
「それがどうした? 身分制度は残っているが、実質的に国民はみな平等だ。フェノビアはそれほど融通のきかない国ではない。自由な恋愛も保障されている」
「自由な恋愛?」
緊張と不安のためか、オルガはまたしても口をすべらせてしまった。
「無理やり連れてきて……これが自由な恋愛だというのですか? 私のことを、お、お気に召していただけたのは、うれしく思います。でも……私は殿下――いえ、ア……アデルバート様のことを、存じ上げません。それなのに――」
しまったと気づいたときには遅かった。
先ほどまで穏やかだった緑色の目に、険呑な光が浮かんだかと思うと、オルガは一瞬で寝台の上に押し倒されていた。
「そんなに私のことが気に入らないか」
怒りを含んだ低い声が言う。
「ならば、おまえのこだわる、身分にふさわしいやり方をしてやろう。フェノビアの王子の命令だ。私の妻になれ」
「いっ、嫌です!」
オルガはもがいたが、アデルバートの力は強く、びくともしなかった。
知らない男に力ずくで押さえつけられている。その事実が急に実感として湧き上がり、たとえようのない恐怖に襲われる。
「やめて! お願いです、放してください!」
先ほどは素直に引きさがってくれた手が、今度は離れてくれないどころか、ますます強く力をこめてくる。両手首を頭上で一つにまとめられ、体重をかけてのしかかられると、オルガはもはや身じろぎすらできなくなってしまった。
全身を圧迫する大きな体の重み。伝わってくる温もりと鼓動。首すじにかかる熱い吐息。手首に絡みつく長い指の感触。そのどれもが恐ろしくてたまらず、小刻みに体が震えてくる。
あいているほうの手で頬を撫でられると、ぞくっとして泣きそうになった。
結婚こそ決まっていたものの、オルガは全くといっていいほど経験がなかった。ベネディクにキスをされたことぐらいはあったが、それすら唇を触れあうだけの他愛ないものだったのだ。
――怖い! やめて!
オルガは声も出せず、心の中で叫んだ。
心臓が早鐘のように打ち、息が短く浅くなって、呼吸さえままならない。目を閉じることもできず、迫ってくる緑色の瞳を、魅入られたように見つめるばかりだ。
頬を撫でた手が、首すじをなぞり、さらにその下へと移っていく。
アデルバートの指の動きが、目で見ているようにありありと感じられた。ドレスの上から触れられただけで、そこがかっと熱くなり、痺れに似た不思議な感覚が周囲に広がる。恐ろしい。なのに不快ではない。のしかかる重みや温もりを、心地よいとさえ思ってしまう。
――私、どうしてしまったの? こんな……こんなふうにされて……。
「あっ」
胸の脇をかすめられたとたん、電流のような衝撃を感じて、オルガは思わず声を上げた。
体の奥で、得体の知れないものが頭をもたげた気がした。どろりとして熱く、暗く、決して見てはならない、忌まわしい何か――。
端整な顔が少し傾けて寄せられ、静かに唇を重ねられた。
ぞくりとして、また未知の衝動がこみ上げる。
唇を強く吸われ、弾力のある舌が間を割って入ってこようとしたが、オルガは歯を食いしばって拒んだ。
――嫌! 嫌!
ただただ恐ろしくて、惨めだった。とてつもなく悪いことをされているという気がした。いや、自分の中に悪いものが潜んでいるのかもしれない。それを暴かれ、アデルバートに知られてしまうのが怖い。
――お願い! やめて……!
そう強く思った瞬間、つうっと片方の目尻から涙がこぼれ落ちた。
唐突に両手が解放され、アデルバートの体が離れていく。
「なぜ、そこまで拒む」
途方に暮れたような声が聞こえた。
目を向けると、寝台の傍らに立ったアデルバートが、表情のない顔で見下ろしていた。
「王子の妻になれるというのに、うれしくないのか? それほどあの男のことを、愛しているというわけか?」
オルガが答えられずにいると、アデルバートは不愉快そうに眉をひそめ、流れるような身のこなしで背を向けた。
「もういい。今日は休め」
そのまま振り向くことなく出ていってしまい、二人を隔てるように扉が閉じられた。
取り残されたオルガが放心する暇もなく、しばらくすると侍女が五人、扉を開けてぞろぞろと中に入ってきた。
「お召し物をお持ちいたしました」
「まずはお湯浴みをどうぞ」
言われるまま部屋を出ると、すぐ近くの浴室に案内された。
浴室というよりも浴場だ。一度に十人も入れそうな大きな湯船に、広々とした洗い場。そのすべてが贅沢に大理石で造られ、そこかしこに彫像まで飾られている。
「王の獲物は無垢な花嫁」を読んでいる人はこの作品も読んでいます
-
王子さまの溺愛は暴走中~俺の天使は世界一可愛い~
-
125
-
-
お前は俺のモノだろ?~俺様社長の独占溺愛~
-
1,052
-
-
婚約破棄は蜜愛のはじまり~ワケあり公爵と純真令嬢~
-
124
-
-
皇帝陛下の溺愛寵妃
-
65
-
-
俺様王子と甘噛み姫
-
10
-
-
生贄の花嫁 背徳の罠と囚われの乙女
-
88
-
-
残り物には福がある。
-
1,175
-
-
狐姫の身代わり婚 ~初恋王子はとんだケダモノ!?~
-
40
-
-
転生伯爵令嬢は王子様から逃げ出したい
-
3,468
-
-
枯れた薔薇を包んで潰す
-
38
-
-
モテ過ぎ侯爵の想定外溺愛~妄想乙女にトロ甘です~
-
36
-
-
婚約破棄が目標です!
-
4,267
-
-
ラブ・ロンダリング 年下エリートは狙った獲物を甘く堕とす
-
248
-
-
溺愛恋鎖~強引な副社長に甘やかされてます~
-
494
-
-
エリート外科医の一途な求愛
-
1,796
-
-
契約妻ですが、とろとろに愛されてます
-
858
-
-
偽りの新婚生活を始めたらトロ甘に溺愛されました
-
371
-
-
アブない三角関係
-
18
-
-
ふしだらな婚前教育
-
183
-
-
イジワル医師は我慢しない 期間限定の蜜甘生活
-
76
-