暁の恋歌~花嫁は聖夜に奏でられる~
第一章 琥珀の夢 (2)
グレースは青年の瞳を賛美のまなざしで見つめた。優しく微笑み返されて、顔を赤らめながら目を逸らす。
(身なりは立派だけど、貴族ではないみたいね)
剣を持っていないし、マントの下に鎖帷子を着込んでいる様子もない。騎士ではないだろうが、かといって巡礼にも行商人にも見えない。
ふと、グレースは青年が背中に担いでいる荷物に目を留めた。視線に気付いて青年は笑みを浮かべた。
「ああ、これはリュートだよ」
「リュート……? じゃあ、吟遊詩人さん?」
青年は黙って微笑した。吟遊詩人。だったら貴族なみに身なりが立派なのも頷ける。彼の演奏を気に入った貴族が、気前よく与えてくれたのだろう。
きっと見てくれだけでなく、奏でる曲や歌もさぞや美しいに違いないとグレースは思った。
「放浪の吟遊詩人、アランというんだ。聞いたことない?」
「……ごめんなさい」
宮廷や貴族の世界では有名なのかもしれないが、〈泉の騎士〉亭はこのところ閑古鳥が鳴きっぱなしだ。そんな噂を伝えてくれる旅人が立ち寄ることも稀になった。
アランはグレースの無知を気にした様子もなく、のんびりとした口調で尋ねた。
「謝ることなんてないさ。ところで、宿賃はいくらだろう」
「あ……、ベッドと食事で二ペンスいただいてます。馬は、厩代と飼い葉代で一ペンス」
「イスートの脚を治してやりたいんだ」
青年はかがんで白馬の脚を優しく撫でた。
「雪の吹き溜まりに足を取られてしまってね……。さいわいただの捻挫らしいから、しばらく休ませればよくなると思う。何か打ち身に効く塗り薬とか、そういうものはあるかな」
「母が作った軟膏が。人間用だけど、馬にも効くと思います」
アランは愉快そうに笑った。
「それはぜひお願いしたいな。十二夜の翌日まで預かってもらえる?」

「前払いでいただけるなら……」
「もちろんだよ。ところで、僕のほうの部屋は一泊二ペンスと言ったけど、それは大部屋で雑魚寝なんだろうね」
グレースが頷くと、アランは端整な美貌を軽く曇らせた。
「できれば個室がいいんだが……、塞がってるのかな」
「いえ、空いてます。ただ、個室はいちばん狭いお部屋でも十ペンス上乗せになります」
「それは困ったな。イスートの預かり賃で財布の中身は吹っ飛んだし……」
アランは顎を撫でて考え込んだ。
「……大部屋で我慢するしかないか。ま、寝なけりゃ大丈夫だろう」
独り言を聞きとがめ、グレースは目を丸くした。
(寝ないって……、それじゃ休めないじゃない)
旅慣れた様子なのに、何か特別な事情でもあるのだろうか。悩ましげなアランを眺めつつグレースもまた悩んだ。
(まけてあげようかな。どうせ他に泊まり客はいないんだし)
まだ昼前だが、午後になっていきなり大勢の客が押しかけるとも思えない。旅人のほとんどは、ここから二リーグばかり西にある別の旅籠に宿を取るはずだ。
グレースは意を決して切り出した。
「あの……。それじゃ、ベッドひとつのいちばん狭いお部屋で、食事付き四ペンスではどうですか?」
アランが目を丸くしてグレースを見る。急に焦ってグレースは早口で付け加えた。
「あ、父に訊いてみないとわかりませんけど! 今、ちょうど空いているので……」
「いや。そんなにまけてもらっては悪いよ。――そうだ、ここは村の居酒屋も兼ねてるんだよね。よかったら、みんなが集まってる時にリュートを弾こう。そこで御祝儀がもらえたら、それを宿代にあてる。どうかな?」
グレースは頬を染め、唇を軽く噛んだ。
「……父に訊いてみます。とにかく馬を中に入れて手当てしましょう」
厩にイスートを入れると、周囲を見回してアランは満足そうに頷いた。グレースはちょっぴり誇らしげな気分になった。
閑古鳥が鳴いていたって、掃除は怠っていない。敷き藁は定期的に替えているし、ふすまもからす麦もまだたっぷりある。
からす麦の入った桶を持って奥から戻ると、アランは馬から鞍を外して振り分け袋を肩に担ぎ上げていた。
マントの隙間からちらりと覗いたベルトにグレースは目を留めた。黄金と宝石を散りばめた立派なベルトだ。
(よほど歌が上手くて、よほど気前のいい貴族に当たったのね)
ベルトと白馬だけ見れば貴族の若様みたいだ。
視線に気付いたアランが優美に微笑む。グレースは妙に気恥ずかしくなって顔を赤らめた。
(……それに、とっても綺麗なひと……)
馬に水とからす麦を与えて外に出ると、アランが唐突に尋ねた。
「お父さんは厳しいのかい?」
面食らってグレースは目を瞬いた。
「そんなこと……。どうしてですか」
「いや、きみみたいな華奢な女の子に薪割りさせてるんでね。ちょっと気になって」
グレースはますます顔を赤らめた。薪割り台の横に置いた斧を横目で眺める。
「父はとても優しい人です。ただ、手足が少し不自由なものですから……」
「下男はいないの? お兄さんや弟さんは?」
「男手は父だけです。――ご心配なく、馬の世話はわたしでもちゃんとできますから。クリスマスの間、しっかり面倒見ます」
「うん、きみは信用できそうだ。だからこそ、きみの好意にただ甘えるのはいやだな」
アランはにっこりとした。
「御祝儀でどれだけ稼げるのかわからない。だったら確実にきみやご家族の役に立つことで宿賃代わりにしよう。僕にできそうな力仕事が、ここにはいっぱいありそうだ。たとえば、そう……、薪割りとかね」
アランは無造作に荷物を下ろし、ひょいと斧を手に取る。驚いたグレースは慌てて彼を遮った。
「い、いけません! もし手にケガでもしたら、リュートを弾けなくなってしまいます」
「心配いらないよ。薪割りくらい、何度もやったことある。たぶん、きみよりうまく割れるんじゃないかな?」
アランは薪割り台に薪を置き、グレースが使っていた斧を掴んだ。刃の具合を確かめるように翳して眺めて頷くと、こともなげに振り下ろした。
薪はあっけなく割れて転がった。しかもグレースがやるよりよほどうまく均等に割れている。
呆気にとられている間に、アランは次々と薪を割っていった。あっというまに薪は集まり、両手で抱えきれないくらいになった。
「それ、中に持っていったら? もう少し作っておく」
「は、はい。あの……、無理しないでくださいね、本当に」
「大丈夫さ。いい運動だ」
にこっとアランは皓歯を見せて笑った。グレースはどぎまぎして顔を赤らめ、逃げるような早足で酒場に向かった。
開店前の酒場では、父が残り少なくなった薪を暖炉にくべていた。もうすぐ昼時だ。村人たちがやってくる前に少しは部屋を暖めておかないと。
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