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暁の恋歌~花嫁は聖夜に奏でられる~

上主沙夜

序章 / 第一章 琥珀の夢 (1)


序章


 楽の音が聞こえた。
 薄闇を優しく揺らす、リュートの響き……。
 微睡(まどろ)んでいたグレースは、瞳に映る光景をぼんやりと眺めた。
 グレースが眠っていたのは、房つきの(ひも)で垂れ布をくくった大きな四柱式寝台だった。すべすべした絹の寝具が、心地よく疲労した裸身を優しく包んでくれる。
 リュートの音は、物思いに沈むようにとぎれとぎれに続いていた。ぱちぱちと(まき)()ぜる音が、時折楽の音に入り交じる。
 グレースは上半身を起こし、羽根枕にもたれて暖炉のほうを眺めた。深紅色のガウンをはおった背中が見えた。
 うなじにかかるくらいの黒髪が、暖炉の炎を映して静かに輝いている。それを見ると、彼に対する愛があふれだして、グレースは胸がいっぱいになった。
(わたしの吟遊詩人……)
 これから彼は、グレースのためにだけ歌ってくれる。
 それはなんと贅沢(ぜいたく)なことだろう。
 あまりに贅沢すぎて、少しだけ罪悪感を覚えてしまう。だがそれはグレースの満ち足りた幸福感に(かげ)()しはしなかった。
 幸せな気分で後ろ姿を眺めていると、気配を感じたか、青年が静かに振り向いた。甘い琥珀色(こはくいろ)の瞳が優しくグレースを見つめる。
 いつだってグレースを容易に捕らえてしまう、蠱惑(こわく)の瞳――。
 彼に触れたくなり、グレースは(ささや)き声で呼んだ。
「アラン……、こっちへ来て……?」
 グレースの愛する吟遊詩人は、リュートを持ってベッドへ戻ってきた。望みどおり、唇と鎖骨に優しくキスしてくれる。
 グレースは頬を染めてうっとりとアランを見つめた。
「……今の曲、わたしに作ってくれた曲よね……?」
「そうだよ。きみを(おも)って作った曲だ」
 微笑(ほほえ)んで、アランはリュートを抱えなおした。
「もう一度聞かせて? あなたの歌が聴きたいの」
「いいとも。さっきはきみが可愛(かわい)らしく歌ってくれたからね。今度は僕の番だ」
 愛し合いながら交わした睦言(むつごと)を思い出し、グレースは顔を赤らめた。
 アランは何度か弦を(はじ)いて音程を確かめると、静かにリュートを弾き始めた。
 グレースは枕に深くもたれ、うっとりと楽の音に聞き入った。やがて彼が美しく(つや)めく声で囁くように歌いだした。
 ふと視線を上げると、アランが琥珀(こはく)の瞳で見つめていた。
 光を集めて閉じ込めたような色合い……。
 彼は一目でグレースを魅了した。
 幸せな気分でまどろみながら、グレースは初めて彼の瞳と出会った時のことを思い出していた。
 それは本当に、初めての出会いだったのだろうか。
 あるいは待ち望んだ再会……?
 約束を、したのかもしれない。
 いつか、どこかで。
 言葉にならない約束を。
 そして彼は、グレースの生きる平板で穏やかな灰色の世界に、突如として燦然(さんぜん)たるきらめきをもたらしたのだ。

第一章 琥珀の夢


 どんよりとした空が割れ、ひとすじの光が射した。グレースは手を休めると、疲れた背を伸ばしながら空を見上げた。
 ちらほらと舞い始めた雪が、陽射(ひざ)しを受けて美しくきらめいている。
 白い息を吐きながら、グレースは雪片のダンスにしばし見とれた。薪割(まきわ)り作業で疲れきった身体を、清冽(せいれつ)な空気と光が(いや)してくれるような気がした。
(きれい……)
 グレースは小さく吐息をついた。
 幼い頃からグレースは自然の美しさに魅了されていた。光が(たわむ)れる緑の(こずえ)や、楽しげに踊りながら流れる小川……。ことに、厚い雲が割れて光が射すさまには胸を()かれた。
 どこか深いところにある扉が重々しく開かれ、別の世界へ行けそうな気がしてくる。
 ここではないどこかへ。美しいものが満ちあふれる世界へ――。
(……夢だわ)
 グレースは弱々しく微笑んだ。
 そんなものはただの夢。くだらない夢想に浸っているひまなど自分にはないのだ。さっさと薪割りを終えてしまわなければ。
 ぐずぐずしていたらすぐに昼時だ。村人たちが軽食をとりにきた時に暖炉が景気よく燃え立っていなければ、〈泉の騎士〉亭の評判がますます下がってしまう。
 折しも雲の切れ間はふたたび閉ざされ、鈍色(にびいろ)の雲が重苦しく天を覆った。途方に暮れたようにひらひらと、雪片が舞い落ちてくる。
 さぁ、とりとめのない夢を見る時間は終わり。今夜あたり、また雪がひどくなるかもしれない。そうなればますます(まき)が入り用だ。
 グレースは、ふたたび薪割りに取り組もうと(おの)を握り直した。
 と、背後で馬の(いなな)く声がして、何気なく振り向いたグレースは思わず息を()んだ。
 雪で半分凍った泥道を、純白の馬が歩いてくる。(くら)と振り分け袋を背に乗せているが、騎手の姿は馬上にない。
 馬の持ち主は徒歩で(くつわ)を取っていた。何だかやけに慎重な歩き方だと首を(かし)げた瞬間、グレースは気付いた。
 馬の歩き方が明らかにぎこちない。よく見れば、白馬は後ろ足の片方を軽く引きずっていた。
 騎手はグレースの手前で立ち止まり、(かぶ)っていたフードを外した。
 ふたたび雲が割れて光が射したのかと思った。
 そう錯覚させるほど、その若者は美しかった。グレースを魅了してやまない陽射しの色をした瞳をまっすぐに向け、青年は微笑んだ。
「やぁ、こんにちは。部屋は空いているかな?」
 グレースが言葉を失っていると、青年は(まばた)きをしてさらに優しくゆったりと微笑んだ。
「それとも満室かな」
 ようやく我に返り、グレースは顔を赤らめた。握りしめた薪割り用の斧を背後に隠しながらふるっと首を振る。
「いえ、空いています……」
 空いているどころか、今のところ今晩の泊まり客は皆無である。美しい青年は安堵(あんど)の笑みを浮かべた。また見とれかけて、グレースは斧の柄をぎゅっと握りしめた。
 気を取り直し、宿屋の娘としてすべきことを始める。客の品定めだ。
 膝丈のマントはビーバーの毛皮らしい。黒い革手袋は新しそうだ。歩いてきたので泥は跳ねているが、ブーツもくたびれてはいない。
 これまた泥で脚を汚してはいるものの、馬は見るからに立派だった。降ったばかりの雪みたいに真っ白で、象牙色のたてがみはきれいに()かれている。大きな黒い瞳は穏やかで、とても賢そうだ。
 素敵な馬だと感心し、ふたたびグレースは若者に目を戻した。
 年頃は二十歳をいくつか越したくらい。すらりと背が高く、小柄なグレースは爪先立ちをしなければ頭のてっぺんさえ彼の肩に届かないだろう。
 髪はうなじにかかるほどの長さで、(つや)やかな漆黒だった。瞳は陽射しを固めたような金色。それに気付いた途端、グレースはいつか見た大きな琥珀を思い出した。
 馬車の車輪が壊れて〈泉の騎士〉亭に一泊した貴婦人が見せてくれた琥珀のペンダント――。とても上品で優しい奥様だった。
(あの琥珀にそっくり……)

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