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ホテルの王子様~再会した憧れの人は御曹司でした~

夢野美紗

第一章 追憶の王子様 (3)

「お代なんて結構ですよ。急に具合の悪くなってしまったお客様からお金を頂くことはできません。うちのホテルのちょっとした宣伝だと思って、どうぞおくつろぎください」
 前にガイドブックで読んだことがあるけれど、ロイヤルグラントホテルの部屋は一番リーズナブルでも一泊五万は下らない。
 そんなお部屋に……信じられない!
 本来なら遠慮するべきだけれど、身体もふらつくため、私はその言葉に甘えることにした。
 それから彼は、サービスで新鮮な果物や水などを用意して私を気遣ってくれた。
 宿泊客でもないのに何から何までお世話になってしまった。感謝してもしきれない気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど、彼の優しい笑顔に救われた気がした。それに、よほど身体が悲鳴をあげていたのか、彼が部屋を後にしてからふかふかのダブルベッドに倒れるように横になると、私はそのまま泥のように眠った。
 素敵な人だったな。そうだ! 名前! 聞くの忘れた……。ちゃんとお礼言いたかったのに。
 私は夢の中でも何度も彼の声と笑顔を思い返していた。
 それから三時間くらいそのホテルで休憩させてもらい、すっかり回復した私は帰り際に部屋まで用意してくれた彼を探してみた。けれど、残念ながらその姿を探し出すことはできなかった。
 本当に夢だったのではないかと思うくらい、私はニューヨークで貴重な体験をした。
 ――ここにいる間はどなたでもお客様ですから。
 無事に短期留学も終え、大学も卒業し、就職した私の胸にはいつだってその言葉があった。元々、人と話すのが好きで将来は接客業の仕事に就きたいと漠然と考えていたけれど、短期留学で学んだ英語を活かせて、接客をする職場といえば私の頭にはホテル業界しか思い浮かばなかった。そしてニューヨークで出会った彼の仕事に対する姿勢と心配りに感銘を受け、あんなホテル従業員になりたい、と憧れて今の私があるのだ。

「へぇ、そうだったんだ」
 どうしてホテルに就職希望したのか、という戸田先輩の質問に、私は「ニューヨークで体験したホテルのサービスに感動したのがきっかけです」と簡単に答えた。
「じゃあ、宮本さんがそんなサービスのできる従業員になれるように、私も頑張らなきゃね。期待の新人を任されたんだもの」
 フロント従業員は日勤夜勤合わせて十人のシフト制で、まだ全員の顔を知っているわけではないけれど、ここの女性従業員は丁寧で気品のある人が多い。特に戸田先輩は、いいところのお嬢様育ちのようで、所作のひとつひとつが綺麗で見習いたくなる。そんな彼女に笑顔で応えていたその時。
「あの、すみません。今日から二泊三日で予約してた者ですけど」
 大きなスーツケースを携えて、無造作に髪の毛を後ろに束ね、眼鏡をかけた小柄な女性がチェックインにやってきた。
「いらっしゃいませ」
 配属が決まって初めてのチェックイン手続きだ。深呼吸で緊張を吹き飛ばし、とにかく笑顔を作って宿泊者カードを手渡す。お客様の名前をカウンターのパソコンで確認すると、部屋のカードキーを取りに向かった。
 えーっと、お部屋のキーは……。
「あのお客様はいつも決まった部屋なんだ。ほら、これ」
 いきなり目の前に差し出されたカードキーに目をぱちくりさせて、その声の主を見上げると、ちょうどオフィスから出てきた九条さんが立っていた。
「あの方は、作家さんなんだよ。これから部屋にこもって仕事するんじゃないかな、毎月のことだから覚えておくといい」
「はい。ありがとうございます」
 すると、九条さんは私にふわっと優しい笑顔を向けた。
 あぁ、やっぱり。私……この人と前に会ったことがある……。
 特技、というわけではないけれど、記憶力には少し自信がある。
 九条さんみたいにかっこよくて目立つ人だったら、絶対忘れないはずなんだけどなぁ……。
 既視感の中にある誰かと九条さんが重なりそうで重ならない。
「どうした? お客様の前でそんな強張った顔するんじゃないぞ?」
「え?」
 思い出せない歯がゆさに悶々(もんもん)としていると、私は九条さんの声でハッと我に返った。怪訝(けげん)そうな表情の九条さんと目が合う。
「俺はこれから会議に出るから、なにかあったら電話してくれ。頑張れよ、新人」
 ポンッと軽く私の肩を(たた)いて、九条さんはその場を後にした。
 肩を叩かれるなんて何気ない動作だったけれど、不思議とその感触がいつまでも残っていた。すると。
「宮本さん? お客様を待たせすぎよ」
 向こうのほうから(しび)れを切らした戸田先輩が困り顔でツカツカと寄ってくる。
「すみません!」
 そうだ、接客中だったんだ。ぼさっとしてちゃだめだよね。仕事しなきゃ、仕事!
 戸田先輩に()かされてなんとか宿泊の手続きを済ませると、ふぅーっと息をついた。
「今みたいな調子で頑張ってね」
「はい」
 まだまだこんなの序の口で、これからたくさんの難題が待ち構えているというのに、大仕事を終えたような気になってしまう。
 それにしても、どうしてこんなに九条さんのことが気になるんだろう。やっぱりなんか引っかかるんだよね……。
 吹っ切れないモヤモヤが、私の頭の中をかき回す。
 私はもう一度、九条さんの笑顔を脳裏に思い返してみた。
 思い出せないことをいつまでも考えていても仕方ないけど、九条さんみたいに素敵な人が上司でよかった。そんなふうに思っていると。
「もしかして、九条さんのこと考えてる?」
「へっ!?
 ニヤッとした戸田先輩に顔を(のぞ)き込まれて、私は思わず背筋を伸ばした。
「……すみません。でも、変な意味で考えていたわけじゃ――」
「九条さん、海外の大学で観光学を学んで、英語はもちろんフランス語に中国語、イタリア語と語学が堪能なのよ。この前なんかアメリカから来た俳優さんの通訳なんかしちゃったりして、ほんっとかっこよかったんだから――」
 頬をピンク色に染めながら九条さんのことをこれでもかと語る戸田先輩は、乙女の顔になっている。きっと九条さんのことが好きなんだろうと私の中で勝手に解釈した。
「で、宮本さん。九条さんに迷惑かけちゃダメよ? 私がみっちり教育するからそのつもりでね」
「は、はい。よろしくお願いします」
 それから戸田先輩は、研修で教えてもらったメイクよりももっと効果的なメイク術があるからと、仕事が終わった後も更衣室であれこれ教えてくれた。
 戸田先輩は誰から見ても美人で上品な人だ。そんな人から教えてもらえるのだから、大人の女性らしい所作などを勉強して女子力アップにつなげたい。
 そして、今日から戸田先輩により、仕事のみならず“大人女子”になるべく学ぶ日々が始まった――。

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