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ホテルの王子様~再会した憧れの人は御曹司でした~

夢野美紗

第一章 追憶の王子様 (2)

 さらっとした黒髪の短髪はホテルマンらしく清潔感があって、綺麗な二重(ふたえ)で目と眉のバランスがいい。すっと通った鼻筋に薄めの唇。近くで見るとなにもかもが完璧に整った顔立ちをしていた。研修中に見かけたからどこかで見たことがある……っていう感じでもないんだよね。
 もっと前からこの笑顔を知っているような、そんな既視感が私の胸を(うず)かせた。
「紹介するよ。今日から君の教育係を担当する戸田(とだ)だ。研修の時に何度か顔を合わせたことはあるだろう」
 彼女は新入社員にフロント業務の詳細を教育するフロントリーダーだ。配属されてしばらくは彼女の元で仕事を教えてもらうことになる。
「戸田菜穂子(なほこ)です。わからないことがあったらなんでも聞いてね」
 にこりと向けられた笑顔からは優しい雰囲気が伝わってきて、素敵な先輩に恵まれてよかった! と、私も笑みを返すと彼女はもう一度目を細めて笑った。
 戸田先輩は今年で三年目の正社員。研修中に少し声をかけられただけで、こうして話をしたことはなかった。
 中堅どころとして後輩を育てていく立場であり、上司の補佐、そしてチームワークへの貢献など、求められることは多いはずだ。アルバイトでそんな経験はあるけれど、戸田先輩が培ってきたものにはかなわない。キャリアウーマンらしく、理知的な目をしていて、そつがなさそうだ。私みたいにほわっとしててたまにドジをやらかすような新人には、戸田先輩みたいなしっかりした人が教育係ですごく頼もしい。
「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げると、じっと私を見つめている九条さんと目が合った。
「宮本美月……宮本美月……うーん」
 親指と人差し指を顎にあてがい、なにやら考え込んでいる様子だ。
「あの……?」
「あ、いや、すまない。君のこと、なんかどこかで……って思ったんだけど気のせいだ」
 え? どこかでって、もしかして九条さんも私と同じこと思ったのかな?
 きょとんとしている私に、九条さんは明るく苦笑いして首を振った。
「悪いな、今言ったことはあんまり気にしないでくれ。戸田、さっそく彼女をフロントに入れてやってくれ」
「はい、わかりました。じゃあ、宮本さん、さっそく行きましょうか」
 戸田先輩ににこりと笑顔を向けられると、さっそくフロントに立つことへの緊張感がムクムクと沸き起こってきた。

「あのね宮本さん。ほら、もっとリラックスして。そんなに顔が強張ってたらお客様が逃げちゃうわよ」
「あ、はい。すみません」
 研修の時はこんなガチガチに緊張していなかったはずだけど、フロントに立つ私の動きは油の切れたロボットのようにぎこちない。
「宮本さんは、どうしてホテルに就職希望したの?」
 すると、あまりにも私が緊張しているのを見かねてか、戸田先輩が気を遣った様子でそんなことを尋ねてきた。
「それは……」
 私がホテルに就職したかった理由には、長いストーリーがある。

 大学二年の夏――。
 私はニューヨークに短期留学するため、あらかじめ下見を兼ねて単独で旅行に来ていた。初めてのパスポート、初めての飛行機、初めての海外旅行となにもかもが初めてづくしだった。英語は昔から得意だったし、少しの間だけ英会話にも通っていた。だから大丈夫と過信していたけれど、現実はそんなに甘くはなかった。
 電車の切符の買い方もバスの乗り方もわからず、迷えば道行く人に可能な限りの英語で声をかけてみるものの、うまく単語が出てこなくてストレスが()まるばかりだった。大丈夫だと思っていた英語も、ここへ来て自分の力不足を思い知らされた。そしてあろうことか、帰国前日に留学で通うことになる学校の見学に行った帰り道、私は募り募ったストレスと心労が(たた)って体調を崩してしまったのだ。
 あぁ、もう……こんな時に具合が悪くなるなんて!
 自分の宿泊するホテルに行き着く前に限界を迎え、ふらつく足取りでバスを途中下車した。そして、ちょうど目の前に建っていたロイヤルグラントホテルN・Yのロビーで少し座って休ませてもらおうと、エントランスに入ったその時だった。
「きゃっ!」
 顔をあげたら眩暈(めまい)がしそうで、下ばかり見ていた。だから前方から人が歩いてくる気配にも気づけなかった。私は思い切り誰かとぶつかってしまい、よろけた弾みで尻もちをついて転んでしまった。
「いったぁ……」
「大変失礼致しました! あの、大丈夫ですか?」
 頭の上から降ってきたのは意外にも英語ではなく日本語で、男性の優しげな声音だった。その声のほうを仰ぎ見ると、キラキラオーラが輝いてまぶしい、まるで王子様のようなイケメンが眉尻を下げて心配そうに私を見ていた。彼は制服を着ているため、ここのホテルの従業員であることと、その容姿から日本人であることがわかった。
「申し訳ございません、私の不注意でした。お怪我(けが)はございませんか? 立てますか?」
 彼は私を優しく支え、もう一度「申し訳ありませんでした」と丁寧に謝った。
「は、はい……」
 男性の手に引かれてゆっくり立ち上がると、彼は見上げるほどすらりと背が高く、日本人離れしたスタイルのよさでどきりと胸が高鳴った。
「顔色が優れないようですが、どうかなさいましたか?」
「あの、ちょっと気分が悪くなってしまって……すみません、宿泊客でもないのに図々(ずうずう)しいんですけど、少しロビーで休ませてもらっていいですか?」
 外で休むにしても、日中の太陽の照りつけで益々(ますます)具合が悪くなりそうだ。バス酔いのせいもあるのか、なんとなく身体も熱っぽい。でも、思えばこの人があまりにも素敵すぎて浮かれてしまっていた熱……だったのかもしれない。
 ついふらっと入ってしまったけれど、ここのホテルは、五つ星の超高級ホテルで私のような庶民が気軽に立ち寄るには敷居が高い。心なしかカジュアルな半袖ワンピースの格好をした私は浮いた存在に見えた。
 やっぱり私すごく場違いだよね? でも、具合が悪すぎてホテルに戻る気力ないよ。
 すると、そんな心配げな私を安心させるような笑顔で、彼は私に言った。
「心配はご無用ですよ。ここにいる間はどなたでもお客様ですから」
 その言葉は乾いた土が雨水を吸い込んでいくように、心細かった私の胸に深く染み渡っていった。
 せっかくの初海外旅行が嫌な思い出で終わらなくてよかった。
 そして、彼はなんとあろうことかロビーでも恐れ多いのに、私のために空き部屋を探して回復するまで使ってもいいと言ってくれたのだ。けれどその時、私にはお金がなかった。親切にしてもらっているのに申し訳ない気持ちになる。
「あ、あの……すみません、せっかくなんですけど……手持ちが――」

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