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ホテルの王子様~再会した憧れの人は御曹司でした~

夢野美紗

第一章 追憶の王子様 (1)


   第一章 追憶の王子様


 私、宮本美月(みやもとみづき)は今年の春、大学を卒業して念願だったホテル業界へ就職した。しかも、都内有数のホテルといわれている“マリアント東京(とうきよう)”にだ。一ヶ月の厳しい研修期間を経て、先日、かねがね希望していたフロントにめでたく配属先が決まった。暇な時にでも田舎の両親に報告しようと思っていた矢先、配属初日の朝イチに母のほうから「気になってしょうがなかった」とそわそわした様子で電話がかかってきたのだ。
 時計を見ると、すでに家を出なければ電車に間に合わない時刻に差し迫っていた。
「いっけない、もうこんな時間! 仕事行かなきゃ。じゃあ、そういうことだから電話切るね」
『あっ! ちょっと美月!』
 私の母はいったん話し出すと止まらない。
 スマホの向こうで母がまだ何か喋っているけれど、画面をタップして強制終了する。
 ここまでトントン拍子でうまくいっているのに、配属初日に遅刻なんてありえない。
 私は忘れ物がないかバッグの中身を確認し勢いよく家を出た。
 五月に入り、朝日に照らされた新緑が美しく(きら)めいている。なんて、いつもならこの立ち並ぶ木々を悠長に眺めて出勤するのだけれど、今はそんな余裕はなかった。すでにいつもの電車に乗り遅れてしまい、猛ダッシュしなければ本当に遅刻してしまいそうだった。

 あ〜っ! ちょっと待って!
 今にも閉まりそうなドアに飛び込んだ。「駆け込み乗車は危険です」とアナウンスが流れると、自分のことだと縮こまる。
 でも、なんとか間に合ったみたい……。
 この電車に乗らなければ完全にアウトだった。
 全体重をつり革に預けて乱れる息を整えると、私ははぁ、と深くため息をついた。
 勤務先のマリアント東京は、高層ビルが立ち並ぶ西新宿(にししんじゆく)のビジネス街にある。
 建物自体は六十階まであり、アトリウムロビーは中層階まで吹き抜けで、大きなシャンデリアは某ブランドの特注品だ。天気のいい日はガラス窓から燦々(さんさん)()の光が()しこんでおり、開放感がある。大理石でできた床はいつも綺麗(きれい)に磨かれているし、明るい雰囲気を醸し出す季節の生け花は目の保養にちょうどいい。宿泊客は様々で、海外からのお客さんも多く広々としたロビーでは常に外国語が響いているような、活気あふれるホテルだ。
 母の日か……。
 ふと顔をあげると、母の日ギフトの中吊り広告が目に入った。
 私には一日に数本しかバスが通らないような地方の田舎で農業を営んでいる両親と、年の離れた中高生の四人の妹たちがいる。高校生まで退屈な田舎で育った私は、ずっと“都会”というものに憧れていて、いつしか東京で働く夢を抱いた。
 最初は「東京なんてだめだ!」なんて厳格な父に反対されたけれど、なんだかんだ言って卒業後は実家に帰らず東京で就職したいという私の背中を、家族全員で押してくれた。時々喧嘩(けんか)もするけれど、優しくて温かな家族だ。けれど、忙しいというのを理由にここ何年も実家に顔を出せていない。
 東京で頑張ってる姿を見せられればきっと喜んでくれるよね。だから、なにがあっても頑張るぞ!
 ぐっと拳に力を入れて気合を入れると、早々に到着したマリアント東京の従業員入口の扉を勢いよく開けた。

 身だしなみ良し! 髪型も良し!
 更衣室でホテルのクリーニングサービスから戻ってきたピカピカの制服に着替え、鏡に映る自分の顔を見つめる。
 元々、メイクなんてしないほうだけれど、研修で教えてもらったメイク術もなんとか様になってきた。でも、就職が決まったと同時に心機一転でロングからボブに髪型を変えてみたのは、逆に丸顔が強調されて失敗したと思っている。くっきりとした二重は愛嬌(あいきよう)があると言われるが、身長も一五八と平均並みで、低くて小さな鼻が少しコンプレックス。童顔を隠したくて背伸びをしてみても、やっぱり素顔は隠せない。これといって容姿にチャームポイントはないけれど、落ち込んでも立ち直りが早くて明るく前向きな性格なのは、唯一の長所といえるかもしれない。
 入社して一ヶ月。
 仕事の雰囲気と要領を把握するので身も心もパンク状態だった。
 マリアント東京の新人研修は徹底していて、いざという時のための救急救命講習にハラスメントやメンタルヘルスをテーマにしたコンプライアンス講習、オペレーション講習では語学とマナーに(のつと)った基礎動作訓練があった。学んだことはすべてメモに取り、家に帰ってから復習の繰り返しだったけれど、今日から新しい配属先で研修生ではなく、正式な社員として仕事ができると思うと胸が躍る。それと同時に初めてここへ来たような緊張感が(よみがえ)るけれど、ようやくここまでたどり着いたのだ。
 まずは、マネージャーに挨拶しに行かないと。
 私の直属の上司は、フロントオフィスマネージャーの九条(くじよう)さんという人らしい。研修中に遠目で何度か見かけたことはあるけれど、実際に話したことはない。背が高くてイケメンで、こんなモデルみたいな人が従業員にいるんだ、と思ったのを覚えている。
 ドキドキと緊張で高鳴る胸を抑えつつ深呼吸すると、九条さんがいるというオフィスのドアをノックした。
「どうぞ」
 中から男性の声で返事が聞こえた。そっとドアを開けて中へ入る。
「失礼します。今日からフロントに配属になりました、宮本美月です」
 オフィスといっても、ホテルのフロントから行き来できるようになってる従業員ルームのようなところで、数台のパソコンと大きなホワイトボードにはたくさんの覚書が書かれている。デスクがいくつか並んでいて、九条さんはその一番奥に座っていた。そしてもう一人、(くり)色の髪をきちっと結い上げた細身の女性が九条さんのデスクの前で私に背中を向けて立っている。
「マネージャーの九条玲司(れいじ)です。今日からよろしく」
 丁寧にフルネームで挨拶をし、椅子から立ち上がると九条さんは歩み寄った私ににこりと笑みを向けた。先ほどまで座っていたからわからなかったけれど、一八〇は優に超える高身長に思わず胸が鳴った。
 この人が、マネージャー……。そして私の上司になる人なんだ。
 フロントオフィスマネージャーは、主にフロントの日常業務を監督する。そして、トレーニングとチームワークに重点を置き、フロントオフィス・チームメンバーの身だしなみ、水準、およびパフォーマンスを監視。お客様の満足度レポートをモニタリングしつつ、すべてのホテル部門と連携し、仕事上の関係を維持する。というのが研修の時にならった仕事内容だ。
 物腰柔らかなその笑顔に見とれていると、私の記憶の何かがふと脳裏をかすめた気がした。
 あれ、この人……どこかで?
 無意識に九条さんへ視線が吸い寄せられる。

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