お見合いのち、溺愛~副社長は花嫁を逃がさない~

雨宮れん

第一章 お見合いなんて未経験 (3)

(付き合っていた相手から「重い」って言われるなんて、私も相当だよね……)
 直接言われるまで気づかなかったなんて、(にぶ)いにもほどがある。大林の少し後ろを歩きながら、沙友里は深々とため息を()いた。
「鍛冶さん、三番会議室を取ってあるから」
 先に部屋のドアのところまで行った大林が、こちらを振り返る。筆記用具を抱えた沙友里は、慌てて大林の後を追った。
 あえて会議室を確保し、そこに呼び出されたものだから身構えてしまう。
「あの、私、何かミスをしましたか?」
 部屋に入るなりそう切り出してしまったのは、このところ仕事に集中できていない自覚があるからだった。
 いつも以上に何度もチェックし、時には同僚の手も借りて、仕事に支障をきたさないようにしてきたつもりだけれど、それはそれ、これはこれ、だ。
 ついさっきも名刺を千枚発注しそうになっていたわけで、気がつかないうちに何事かやらかしていた可能性は大だ。
 大林は一瞬きょとんとして、それから慌てて首を横に振った。
「いや、そうじゃなくて。鍛冶さんの仕事ぶりにはいつも感心しているよ。今日ここに来てもらったのは仕事とは関係ない、いや、関係ないわけじゃないんだけど……」
 いつもにこやかな大林が、(めずら)しく困ったような顔になる。
(仕事とは関係ない話?)
「まずは座ろうか。少し時間がかかる話になるし」
 (うなが)されて、ようやく椅子(いす)に座る。しかし、沙友里が腰を下ろしても大林は困り顔のまま、なかなか口を開こうとはしなかった。
 普段とは違う上司の姿に、沙友里も緊張からドキドキしてしまう。
 長い沈黙のあと、ふーっと大きく息を吐いてから、大林はようやく話を切り出した。
「ええと、そうだね。鍛冶さんさ……お見合い、してみない?」
「──はい?」
(お見合いって、あのお見合い?)
 もちろん、言葉の定義としては知っているけれど、それが自分の身にやってくるとは想像もしていなかった言葉のナンバーワンだ。
「お見合い、ってあのお見合いですよね? 振袖を着て和室で向かい合って、沈黙しちゃうと竹の筒がかこーんっていう」
「その思い込みはどうかと思うけど。というか、そのイメージ、ずいぶん古くない?」
 大林が肩を揺らして笑った。
 結婚適齢期を迎えたとはいえ、沙友里の身近にお見合いをした人なんていない。
 過疎に悩む地域の合同お見合いの番組をテレビで見た気もするけれど、大林の言っているお見合いはそれとは違うはず。
「古いって……でも、他に想像なんてできないですよ! それで、立ち会いの人から『あとは若い人同士で』なんて言われて、二人きりで散歩に出されるんですよね?」
 ますます古いイメージだったらしく、大林の肩の揺れが大きくなる。
 けれど、これで室内の空気は一気に柔らかなものへと変化した。
「うん、そこまで格式ばったものではないんだけれど。そうだね、ホテルのティーラウンジでお茶をするとかランチをするとか、そんな気楽な感じでいいから」
 わざわざ会議室に呼び出されるから何事かと思ったら、こんな話を持ちかけられるとは。
「それで、なぜ私にその話が来たんでしょうか? 総務部には他にも独身の女性社員がいると思うんですけど」
「……先方が、鍛冶さんをご指名なんだよね。仕事とは直接関係ないけど関係あるっていうのは、お見合い相手がクロス株式会社の久能啓太(くのうけいた)さんだから。鍛冶さんも、久能さんの顔くらいは知ってるでしょう」
「ええっ? 久能さんですかっ!?
 上司の前であるのも忘れて、つい叫んでしまう。
 クロス株式会社は取引先の企業の一つだ。今、名前のあがった久能啓太は社長の息子であり、現在、副社長という地位にも就いている。
 マーケティングとコンサルティングを主に展開している会社だが、近年新たに人材教育や採用支援を担当する部門を立ち上げた。
 この新事業は久能の発案によるもので、その成果が認められた結果、すんなりと副社長となることが認められたというのが、もっぱらの(うわさ)だ。
 たしか二十八歳──今年二十九歳になると聞いているから、年齢も若い。
 蛯澤フーズは人材教育をクロス株式会社に依頼していて、その関係で久能はしばしばこの会社を訪問してくる。総務の業務には受付も含まれているから、彼を会議室まで案内したりお茶を出したりしたことは何度もあるが、個人的な話をした記憶はない。
「あの、冗談……ですよね?」
「これが、冗談じゃないんだな」
 自分も最初は信じられなかったと、大林は表情で語る。
 受付で顔を合わせることはあるから、久能の容姿はもちろん知っている。
 モデルのようなすらりとした長身に、整った顔立ち。オーダーであろうスーツを完璧に着こなし、彼が通り過ぎるたび、周囲の女性社員が視線を投げて気にしている。
 社内に付き合っている人がいたので、久能のことはさほど気にしていなかった沙友里でさえも、時にはつい後ろ姿を目で追ってしまったことがあった。
 でもそれは、自分が久能とお付き合いしたいという願望ではなく、街中ですれ違った有名人を視線で追いかけてしまったというのに等しいレベル。
「……釣り合いません!」
 思わず口から出てきたのは否定の言葉。
 先方からの申し出であっても裏がありそうというか、裏があることしか想像できないというか。ろくに会話をしたこともないのに、なぜそんな話が自分に転がり込んできたのか、わけがわからない。
(総務部の社員だったら、書類仕事が得意そうって思われた……とか?)
 そんな風にも思ったけれど、彼が求めているのはお見合い相手であって、話がうまく進めば「妻」となる人。決して社員ではない。
「僕は悪くないと思うけど。鍛冶さんは真面目だし、君の仕事ぶりを上も買っているよ。次は秘書室に異動してもいいんじゃないかって、そんな話も出ているくらいだし」
「え! 本当ですか?」
 お見合いの話より、むしろそちらに食いついてしまう。
 蛯澤フーズでは、秘書室に所属する社員が、役員全員の秘書業務を分担する形を取っている。社内全体の事情に通じていたほうがいいという理由から、秘書室に配属されるには総務部を経験するというのが、暗黙の了解なのである。
 総務部の社員にとって秘書室への異動は、その仕事ぶりを認められた証の一つでもあった。
 そんな話が出ているのだと知らされ、自分の仕事を認めてもらえたようで一気に気分が上昇する。
「もちろん、すぐに異動ってわけじゃないけどね。他にも何人か候補はいるし」
 と話をしたところで、大林は表情を引きしめた。
 にこにこしながらも、もともとの話題を忘れたわけではなかったらしい。
「いい機会だと思うし、会うだけは会ってみてくれないかなぁ? 断ったところで、先方とうちとの仕事に影響があるわけじゃないんだけど」
 と沙友里の説得にかかろうとしたところで、大林ははっと息を()む。
「ひょっとしてお付き合いしている人とかいる? そういう人がいるなら、すぐに断るから!」
「……いえ、そういう人はいません。でも、少し考えさせてもらってもいいですか?」
「もちろん。数日中にどうするか決めてくれれば、それでいいから」
 見合い話を断ったくらいで仕事に影響を及ぼすような相手なら、むしろこちらから願い下げだ。

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