お見合いのち、溺愛~副社長は花嫁を逃がさない~

雨宮れん

プロローグ / 第一章 お見合いなんて未経験 (1)


   プロローグ


「……どういうこと?」
 そんな言葉が口から出てしまっても仕方ないと思う。鍛冶沙友里(かじさゆり)は目の前にいる男女二人を呆然(ぼうぜん)と見つめた。
 会社から二駅電車に乗ったところにある繁華街。本来、通勤経路から外れているこの駅を沙友里が使うことはない。休日前の今日は、たまたま学生時代の友人と終業後に待ち合わせて飲みに行くことになっていた。
 だから、本当に偶然だったのだ。この時間、この場所に沙友里がいたというのは。
 滅多(めった)に訪れない場所で、この状況の二人と会ってしまうのは運がいいのか悪いのか。
(これって、二股ってやつ?)
 頭のどこかは妙に冷静だ。
 沙友里の彼氏の腕に絡みついているのは同僚の中村琉奈(なかむらるな)
 仕事が終わると同時に、会社のトイレで鏡の前を占領して、綺麗(きれい)に巻き直した髪。社内にいる時より派手な色で(あで)やかに塗られた唇。
 その唇の両端がつり上がり、彼女は悪びれない笑顔で沙友里を見つめている。
 それと引き換え彼──塚本拓真(つかもとたくま)は、いくぶん気まずそうだ。
 彼のほうは、取引先に向かうのを見送った時とあまり変わった様子はなかった。
(今日のシャツ、私がアイロンをかけたやつだ)
 そんなどうでもいいことが、頭をよぎった。
「今日は直帰って聞いていたと思うんだけど」
 口にした言葉が妙に冷たく聞こえたのは、沙友里の気のせいだけではなさそうだ。
「お、俺がどこで誰と一緒にいようが、沙友里には関係ないだろ? って言うか、お前、俺の後をつけてきたのかよ」
 なぜその結論にたどりつくのかと、突っ込みを入れてもいいだろうか。
 彼が直帰すると言って会社を出て行ったのは、今から四時間ほど前のこと。
 その頃、沙友里は自分の席で仕事をしていたし、そのあともきちんと定時まで働いてからタイムカードを押した。直帰する「彼氏」の後をついて回るほど(ひま)ではない。
 そう指摘しようとした時、中村が沙友里に向かって一発繰り出してきた。
「そろそろちゃんと言ってあげたら? 鍛冶さんって『重い』んでしょ?」
 拓真の腕に絡みついたままの彼女は、勝ち誇った笑みを向けてくる。
(重い? 重いって、どういうこと?)
「初詣は、縁結びの神社だっけ? それで、結婚式は神前式がいいんでしょう?」
「なっ……」
 たしかに初詣、縁結びの神社に連れて行ったのは否定できないけれど、それは拓真が、「沙友里の行きたいところでいい」と言ったからだ。
 子供の頃から、毎年初詣に行っていた神社に彼を連れて行っただけのこと。
(……そんなことまで話していたの?)
 自分と拓真の大切な思い出となるはずだったことさえも、中村に話していたということに、頭を殴られたような衝撃を受ける。
 沙友里は今年の誕生日を迎えれば二十五歳。結婚適齢期と言ってもいい。
 拓真と付き合い始めて一年以上たつし、そろそろ結婚の二文字が頭をちらつかなかったと言えば(うそ)になる。お参りの順番待ちをしていた時に目にした参道脇の掲示板には、神前結婚式のポスターが貼られていた。
 それを見ながら、「結婚式をするなら神前式がいいな」と発言したのも本当のことだ。
(それにしたって……)
「家に押しかけてご飯を作って、洗濯して、掃除もして──自分の気持ちを押しつけるのってずいぶん『重い』んじゃない?」
 中村の言葉に反論しようとしたけれど、言葉にならなかった。
 沙友里のほうから押しかけたことなんてなかった。頼まれなければ、家事だって引き受けなかったのに。
 震える手をぎゅっと(にぎ)りしめ、中村の言葉を否定してくれるのではないかという期待と共に、すがる目を拓真に向けてしまう。
 けれど、その期待はあっさりと裏切られた。
「ごめん。沙友里は悪くないんだ。俺が琉奈──中村のことを好きになっただけで」
 好きになるのは勝手だけれど。想いが止められないのもわかるけれど。
 だったら、別れてから次に行くのが、最低限の誠意ってものではないだろうか。
 言葉が出てこなくて、ただ目の前の二人をぼんやりと見つめることしかできない。
 人通りの多い歩道で向き合う三人を、行きかう人達が怪訝(けげん)な目で見ているのも気にする余裕はなかった。
「本当に……ごめん。──だから、別れてくれるか?」
 泣いてみせればいいのか、ののしってみせればいいのか。
 答えが出る前に、そんな軽い言葉一つで拓真との関係は終わってしまった。

   第一章 お見合いなんて未経験


 社内で二股をかけられていたあげく、捨てられたという衝撃の事実が判明した翌日。
 沙友里(さゆり)は昼前に祖父母の家を訪れ、その帰りに近くにある(いずみ)神社へ向かっていた。
 中村(なかむら)から「縁結びの神社に連れて行くとか重い──」なんて言われた神社でもある。
 結局、あのあとは友人とがんがん飲み、軽い二日酔いにはなっていたものの、もともと予定していた祖父母宅への訪問は変更せず、二人に顔を見せてきたところだ。
(おじいちゃんとおばあちゃんに、久しぶりに会えたのはよかったけど)
 学生の頃は、月に一度は訪れていた祖父母の家だが、前回訪れたのは仕事納めの翌日、十二月三十日だった。
(初詣なんて行かずに、みんなと一緒に出かけていればよかったかも)
 なんて思うのは、昨年の大晦日から二泊三日、両親と祖父母は念願の高級旅館で過ごしたからだ。もちろん沙友里にも声をかけてくれたけれど、彼氏と一緒に過ごす方を選んだのは自分なので仕方ない。
 二日酔いなのを祖父母に気づかれなくてよかったと思いながら、重い足取りで参道に続く石段を上る。
 祖父母の家を訪問したあと、なんとなくこの神社にお参りして帰るのが習慣になっているので、慣れた道のりではある。
 三月頭の風はまだ冷たくて、本殿に向かって歩を進めながら、ぶるりと身を震わせる。もう少し厚手のコートを選んだほうがよかったかもしれない。
(本当、何がいけなかったんだろう……)
 昨日からずっと、自分のどこが悪かったのかと考え続けているが、答えは見つからない。顔の輪郭は卵型。化粧映えのする大きな目に小さめの唇。少しだけ明るく染めている髪は肩より少し長いところで(そろ)え、今は緩く巻いてそのまま垂らしている。
 美人ではないが、かろうじて可愛(かわい)いと言われるくらいのところには引っかかっているのでは、と自分では思う。だが、中村のほうが美人なのは否定できない。
(それにしても、「重い」って何よ。ご飯も洗濯も掃除も拓真(たくま)がやってほしいって言ったのに。(うれ)しそうにしていたのは、全部(うそ)だったっていうの?)
「神様、彼に振られてしまったんですけど!」
 ぶつぶつ言いながら、沙友里は賽銭(さいせん)箱の前で立ち止まった。
「お正月もお賽銭、はずんだんですけど!」
 あの時は、「拓真と結婚できますように」と、たしかに(がん)をかけた。
 だって、付き合い始めて一年以上がたっている。二十四歳を過ぎれば、そろそろそういう話を真面目(まじめ)に考えてもいい頃合いではないか。
 彼の世話を焼いたり、結婚式は神前式がいいなと口走ったりしたことが、「重い」と言われる理由になるとは想像できなかった。
(ここ、縁結びの神社なのに)
 この場所を訪れるたび、幸せそうに結婚式を挙げているカップルを見たことは何度もある。自分もいつか、ああなりたいと思っていた。

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