地味な剣聖はそれでも最強です

明石六郎

第一章 童顔の剣聖 / 良縁 (1)

良縁



 今俺は、素振りをしている。深い森の奥、素人が雨風を凌ぐために作ったいおりという小屋の前で、俺は師匠の真似をしながら木刀を素振りしていた。

 むせ返るような緑の匂いを吸い込みながら、空に太陽が昇る中素振りをしていた。

 雨が多いこの季節に雲がない快晴であることを確認した上で、朝日が昇ると同時に素振りを始めていた。このまま、日が沈むまで素振りをする予定である。

 特訓、という特別なものではなく、昨日も一昨日も同じことをしていた。もう五百年間も続けている、仙人である俺の鍛錬だ。

 元は日本の一般的な男子高校生であった俺が、仙人として修行しているのはそれなりの理由がある。実は神様のミスで死んでしまい、結果として地球ではない世界で生きることになったのだ。


「いやあ、すまんすまん。実は君を間違えて殺してしまってな。君の名前が古風すぎて、間違えて寿命のロウソクを吹き消してしまったんじゃよ」

 そう言われた俺の名前は、『しろくろさんすい』。確かに古風で変わった名前だとは思うけども、間違えて殺されるほどではないと今でも思っている。

 とはいえ、俺は地球の日本へ生き返ることができないらしく、別の世界へ転生することが決まっていた。赤ん坊からやり直すとかではなく、高校生の肉体そのままで。

「とはいえ、異世界で生きるにしても、このまま放り出してはそのまま死ぬしのう」

「あ、やっぱりなんか力をくれたりするのか!?

「然り然り。何かこう、希望とかは?」

「じゃあ、最強になって俺ツエーしたい!」

「自分で言ってて恥ずかしくないのか?」

 正直、今ではすごく恥ずかしく思っている。五百年の間で、何度悶えたのかわからない。

 幸いといっていいのか、俺を殺した神は『最強の力』をぽんとくれたのではなく、仙人としての資質を俺に与えた上で、仙人の師匠を紹介してくれた。


 神は俺を特に説明なく、行った先にいる男に弟子入りするように言って、深い森の中に転送したのである。

「何やら不穏な気配がすると思ったら……異界からの客か」

 当時も今と変わらず小学生ぐらいの姿をしていたスイボク師匠は、森の中に突然現れた俺のところへふわふわと飛びながらやってきた。

「この辺りは人里から離れておるぞ。道案内ならばするが、しばし時間がかかる故に覚悟しておけ。神の奴も気が利かんな、こんな森の奥へお主を送り出すとは」

「いや、あのですね……その神から貴方の弟子になるように言われまして……」

「……はあ」

 でっかいため息をつかれた。どう考えても、子供のため息ではない。

「お主、名前は?」

 しかし、俺を弟子にすることを受け入れてくれたらしく、嫌そうな顔をせずに俺の名を訊ねた。

「白黒、山水です」

「ほう、よき名前だな。わしの名はスイボク、仙人である」

「仙人ですか……」

「うむ、お主の想像する仙人でおおむね間違いはない。仙術を操り、俗世と縁を絶ち、修行に明け暮れる不老長寿の超人よ。とはいえ、儂の弟子になるのだからお主にも仙人になってもらうがのう」

「俺が仙人になれるんですか!?

 この時俺は、特に深く考えることなく不老長寿になれることを喜んでいた。

「無論だ、儂の指導についてこれればの」

 しかしその喜びは、修行の内容を聞くと同時に吹き飛んでいた。

「修行は単純。お主はこれから日の出とともに起き、日の入りまで木刀を振り、儂がいいというまで続ける。それだけじゃ」

「……その、お伺いしたいのですが……いい、という基準は?」

「儂の見立てで、最強に至ると判断するまでじゃ」

「それって、どれぐらい時間がかかりますか?」

「そうさな……お主に一切才能がなかったとして……それでも五百年もあれば強くなれるであろう!」

 俺は、軽々しく最強を望んだことを後悔していた。

 この時点の俺に五百年間も素振りするほどの覚悟などあるわけもなく……。

「最強、という言葉に至るまでにはそれほどの時間が必要ということよ。かくいう儂も、千年修行に勤しんでおるが未だに終わりが見えぬ。修行に終わりはないぞ!」

 あまりにも仙人らしい発言に、ぐうの音も出なかった。

「重要なことは一つ、己の生涯を剣に捧げる覚悟! それを忘れなければ、いずれは最強に至る! 剣の道とは、武芸の道とはそういうものよ!」

 俺はさっき会った神様に神様らしさを毛ほども感じられなかったのだが、目の前の仙人らしい仙人に対して、もうちょっと手心を加えてほしいと思っていた。

 しかし後悔してもすでに遅く、本格的すぎる仙人の修行はこうして始まったのである。

 あれから五百年。着ていた服や履いていた靴はとっくに使えなくなっており、今の俺は手製の着流しと草履という、如何にも仙人という格好になっていた。

 住めば都というが、五百年も修行していると大抵のことには慣れてしまって、『素振り楽しい』『修行楽しい』という仙人思考が板についていた。


 その日もこれからも続く修行の日々の、特別ではない一日だと思っていた。

「む……感じたかサンスイ」

「はい、師匠。何やら人の気配が感じられました」

 素振りをしているだけとはいえ、五百年も深い森で修行をしている身である。ひとのないこの辺りに、いきなり人が侵入してくれば気配でわかる。当然師匠も感知しており、互いに違和感を覚えていた。五百年間一度も現れなかった人間が、いきなり現れれば興味を惹かれるのは当たり前だ。

「道に迷ったのかもしれぬな。見捨てるのも気分が悪い、一つ声をかけにいくか」

「そうですね、それぐらいは問題ないかと」

 俺と師匠は、森の中を飛び跳ねながら人の気配へ向かっていく。

 その最中で、獣の気配を感じ取り、更にその獣がこちらの気配を感じ取って散っていくのを感じたのだが、やはりという結果しかなかった。

「狼に食われたか」

「狼は途中で逃げたようですね」

 高い木の枝から見下ろすと、そこには食い荒らされた女性の死体が転がっていた。皮肉なことに、この遺体が師匠に続いて、俺がこの世界で出会った二人目の住人となった。

「狼に悪いことをしたのやもしれぬな」

「ええ、あの群れにも幼い子供がいたはずです」

 我ながら人食い狼と人間を同列に語るなど、人間としての価値観が狂っていると思う。その一方で、せっかくの御馳走を途中であきらめざるを得なかった狼たちに悪いと思っていた。

「一人は手遅れであるが……もう一人はまだ息があるのう」

「まだ赤ん坊のようですが」

 森に入った女性は、うつ伏せになったまま事切れていた。既に大分食われており、手の施しようもない。しかし、その女性が自分の体で隠し身を挺して守り抜いた、赤ん坊の息はまだ確かにあった。既に死んでしまったこの女性と、この赤ん坊がどんな関係だったのかはもうわからないが、とにかく赤ん坊は無事のようだった。

「獣に食われるのは、この女性の尊厳として好ましくあるまい。せめて土に還すとしよう」

「こちらの赤ん坊は如何しますか、師匠」

 地面へ軽やかに降り立った俺たちは、なきがらと赤ん坊の処遇を相談することになった。

「この赤子に仙人の資質はない。故に人里で育てるべきであろうが、これも何かの縁であろう。サンスイ、お前も剣士として仙人として、一度俗世で経験を積むのがよかろう」

「それは……俺がこの子を育てるということですか?」

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