私は敵になりません!

佐槻奏多

1章 逃亡します! (2)

 様子をうかがいに行った私は、乗り込もうとしている人物を見てほっとする。私と同じくらいの年齢の男子生徒が馬車の前にいた。どこかで見たことがあるような気がする人だ。

 自分と関係ないとわかって、気持ちに余裕ができたせいだろうか。荷物を積んだもう一つの馬車が私の目についた。ほろがかかっていて中にどれだけの荷物があるのかはわからないが、そこにもぐり込めないだろうか?

 馬車に乗れば、早く遠くまで逃げることができる。もし伯爵が追っ手を差し向けてきたとしても、姿をくらましやすい。こっそり便乗して、教会学校がある王領の外へ出たところですぐ降りれば、相手にもそう迷惑はかからないだろう。

 隙をうかがっていると、乗り込もうとしていた黒髪の少年が反転して学校内へ走っていく。忘れ物をしたようだ。従者らしき銀の髪の少年も後に続く。

 護衛についてきたのだろう、馬上の騎士達五名もそちらに気を取られた。

 ──女神が笛を吹いた。

 思いがけない好機チャンスがやってきた時、人はそう言う。美しい女神の笛の音に引き寄せられるように、奇跡がやってきたのだと。

 その時の私にも、笛の音が聞こえた気がした。

 気付けば、私は衝動的に走り出し、幌付きの荷馬車に乗り込んでいた。

 女神の奇跡のおかげか、誰も私に気付かなかったようだ。しばらくして、馬車は何事もなかったかのようにゆっくりと動きだす。

 ガタゴトと荷物が音を立てて揺れだしてから、私は馬車の奥へと移動した。

 これなら物音を立てても見つかりにくいからだ。

 大小さまざまな箱が詰まれた荷馬車の上は、足の踏み場もなかった。けれど大きな箱の中に布で覆った小さな棚が入っていたので、それを取り出して転がり落ちない場所へ置き、代わりに自分が入ることにした。

 閉ざされた空間の、しかも見つかりにくい場所に潜り込んだ私は一息つく。

 すると緊張の糸がほぐれたのか、急に眠くなってきた。

 私は揺れるたびに箱の内側にぶつかって背中が痛むことも気にせず、いつのまにか眠り込んでしまったのだった。


◇◇◇


 エヴラール辺境伯家の一行は、教会学校を出発して五時間後に小さな町へ到着した。

 手配していた宿も小さなもので、れん造りの民家を改造したような建物だった。子息であるアランにあてがわれた部屋も、手を広げて二歩歩いたらすぐに手が壁につくような狭さだ。

 食事も加工肉を焼いたものと野菜が入ったスープに堅めのパンという簡素さ。

 しかしアランも騎士達も、幼い頃から戦場を想定した粗食や野営訓練に慣らされている。国境防衛の要である辺境伯家だからこそだ。おかげで粗食にも文句はなかった。

 食事後、アランは同じような年頃の従者と一緒に、宿の外を歩いていた。久しぶりに再会した者同士、話し合いたいことはいくらでもあった。

 護衛を一人連れた状態で、二人は仲よさそうに会話をしながら先へ進む。しかし彼らの会話の内容を聞く者がいれば、奇妙なものだとわかっただろう。

「正直、大人しく馬車に乗ってるのは息が詰まるな」

「私もだよ。多少脚が辛くなっても、馬を駆けさせたほうが気分はいい」

「かといって、馬車以外に乗るわけにもいかないし」

「君はウェントワースの後ろにでも乗せてもらえばいいよ」

うそだろ。十五歳にもなって男と二人乗りとかありえないって」

「馬が足りない以上、それしかないだろう?」

 嫌そうな表情になるアランと、くすくすと笑う従者の少年の口調は、対等な関係にしか思えないものだった。

 しばらく軽口をたたきあいながら歩いていた二人だったが、馬車を停めた車庫の近くで、従者の少年が足を止めた。

「……どうかしたのか? レジー」

「アラン、耳を澄ませてみて」

 レジーと呼ばれた従者が青い瞳を閉じる様子に促され、アランも口を閉ざして耳に集中する。やがてアランの耳にも、レジーが何を聞き取ったのかわかった。

「…ソーセージ……クリーム……もう食べらんない」

 かすかに聞こえる声。その源は、車庫に置かれた馬車の中だ。今、そこに馬車を停めているのはアラン達一行しかいない。

 アランは表情をこわばらせる。

 漏れ聞こえる声は女の子のものだが、油断はできない。なにせ辺境伯家の馬車に、誰にも気付かれずに潜り込めるような人間だ。暗殺目的のかくかもしれない。

「しかしこれ、寝言か? 今のうちに引きずり出さないと」

 護衛を呼ぶアランとは違い、レジーのほうは首をかしげる。

「でもさ、暗殺しようなんて人間が、馬車に乗ったまま居眠りする? 護衛だって宿の人間だっているんだから、悠長に寝てたらすぐ見つかるのに」

「レジーはのんだなぁ」

 呆れるアランだったが、レジーも寝言らしきつぶやきのぬしを調べることには賛成のようだ。

 背後から近づいてきた護衛に、アランが命じる。

「誰か馬車の中にいるみたいだ」

「お調べしますので、離れていて下さい」

 背の高い黒髪の騎士が、隠れてついてきていた他の騎士達を手招きした。一人をアラン達のそばにつけると、黒髪の騎士はもう一人と一緒に車庫へと入っていく。

 声の発生源を確かめれば、人がひそんでいるのはアラン達が乗車していたほうではなく、荷物を積んだ幌馬車だったようだ。

 馬車に乗り込んだ騎士が、大柄なせいで奥に入れず、箱をどかそうとしている。

「待ってウェントワース」

 それを見ていたレジーが、するりとそちらへ駆けていった。

「おい、レジー!」

 大声で呼ぶわけにもいかず、小声で引き留めようとしたアランだったが、その間にレジーは馬車の前側から荷台に乗り込んでしまった。

 後部にいた騎士ウェントワースも、急いで止めようとやってきたが時既に遅し。呆然ぼうぜんとしている間に、レジーが再び前側の幌をかき分けて顔を出したので、全員がほっと息をついた。

「おい、レジー。勝手なことすんなよ。立場考えろよバカ」

「大丈夫だよ。……ほら」

 そう言って幌を脱けだしたレジーが抱えていたのは、見覚えのある黒の制服を着た、薄茶色の髪の少女だった。自分達よりも年下のように見える。

「中で寝てたよ」

 レジーはにっこりとほほんで言う。

「しかもアランがいた学校の制服着てるってことは、身元も確かなんじゃない?」

 特に危険はなさそうだというレジーに、アランはそれでもむっつりとした顔で注意した。

「制服なんて誰かの物を奪うことだってできるだろ。……まぁ、確かに平民の女には見えないけど。しかし抱えられても熟睡してるってどういう神経してんだ?」

「箱から引き上げても、全然起きないんだよね」

 異常だった。熟睡していても、抱き上げられるようなことになれば普通は起きるはずだ。

「レジー様、その少女の身柄をお預け下さい。調べる必要があります」

 騎士ウェントワースに言われて、レジーも腕の中の少女を差し出した。

 ウェントワースは少女を抱えたまま、宿の部屋に戻る。アラン達もついていった。

 宿の一室に入ると、彼は寝台に少女を横たわらせる。

 それでも目覚めない彼女は、室内の明かりの中で見るとますます貴族令嬢にしか見えなかった。

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