エリート弁護士は独占欲を隠さない

佐倉伊織

鬼弁護士の裏の顔 (3)

「覚えて損はないわよ。九条さん、厳しいけどやることに無駄はないもん。勉強するには最適だと思う」

「そうですけど……」

 そうは言っても、毎日罵声を浴びていたらイヤにもなるわよ。

 私はコーヒーをセットしたあと、カップを出しながらため息をついた。

「五十嵐さんって、食らいついてくるタイプじゃない」

「えっ?」

 意外な指摘をされてキョトンとする。

「ハードルが高ければ高いほど燃えるタイプよ。九条さん、それがわかっててわざと無理難題を言っている気がするなぁ」

「えー、そうでしょうか?」

 そんなことを考えているとは思えないんだけど。

「うん。だって彼、迫田先生の下で研修していたときは、すごく物腰柔らかだったらしいよ。五十嵐さんの前に付いてたパラリーガルも、そんなに叱られてなかったし」

「そうじゃないですよ。私を見ているとできなさすぎてイライラするんだと思います。頑張って見返します」

「ほら。『辞めます』じゃなくて『頑張って見返します』でしょ? やっぱりいいコンビだと思うな」

 彼女はクスクス笑いながら、ドリップされるコーヒーを見つめている。

「でも九条さん、どうして大きい刑事事件はやらなくなったんだろ」

「どうしてでしょう……」

 松下さんのつぶやきにハッとした。たしかに彼が扱うのは会社間紛争、破産事件、交通事故などの民事事件か、刑事事件の中でも罰金刑で済みそうなちょっとしたケンカや、不起訴の可能性が高い器物損壊などの案件ばかり。

 弁護士にも得意不得意があって、特定の分野の民事しかやらないという人も多い。どこかの会社の顧問弁護士専門という人もいる。

 けれども九条さんは、かつては迫田先生と一緒に、実刑か執行猶予かを争うような重大な刑事事件を多数担当していたと聞いている。しかも、完璧な弁護ばかりだったとか。

 そのため、九条さんはここ、朝日法律事務所の中でも一目置かれているような弁護士で、いずれは事務所を背負うような存在になるとうわさされている。だけど今は、刑事事件には積極的に関わろうとしない。しかも、依頼されれば好き嫌い言わずなんでも引き受けるのに、実刑になる可能性があるような刑事事件だけは決して受けない。

 優秀な彼が、そうした事件から身を引いたのはどうしてだろう。合わなかった?

「コーヒー入りました。どうぞ」

 松下さんと迫田先生の分を差し出すと「ありがとう。ま、頑張って」と彼女は出ていった。

 コーヒーブレイク……なる時間はなく、デスクに戻って書類の山と格闘し始める。

 すると、コーヒーカップ片手に余裕の様子で、九条さんがやってきた。

「あと三十分で出る」

「えっ、無理です」

「誰が意見を主張していいと言った?」

 誰にも言われてないけど、無理なものは無理でしょ?

 顔を引きつらせていると、彼は私のデスクから書類を数枚抜いていく。

「今日だけだ」

 あれっ、手伝ってくれるの?

 なんだか今日は妙に親切だ。

「わー、九条さん優しい!」

「日本語わかる? 『今日だけ』って意味、理解できた?」

 これ見よがしにごまをすったものの、通用しないらしい。

 九条さんは冷たい表情でつぶやき、部屋に戻っていった。

 周りの事務員たちにクスッと笑われる中、仏頂面で仕事を続ける。

 担当弁護士変えてくれないかな。優しく丁寧に指導してくれればいいのに。

 そんなことを考えていると、デスクの上の電話が鳴った。

「はい。朝日法律事務所です」

 この電話対応が一番苦手。裁判所からかかってくることも多く、絶対に聞き漏らしがあってはならないからだ。

『東京簡易裁判所、すずむらと申します。平成三十年(ハ)第百二十一号事件につきまして、お話がございます。九条先生はいらっしゃいますでしょうか?』

 電話を片手に素早くメモを取り、復唱する。

「平成三十年(ハ)第百二十一号事件ですね。少々お待ちくださいませ」

(ハ)というのは、事件の種類を区別するための記号で、民事訴訟で、簡易裁判所の第一審訴訟事件を表している。初めて耳にしたときは〝ハ〟って?と疑問符だらけになり、専門用語の多さと難しさを痛感した。

 まだ慣れない頃は何度も聞き直していたけれど、最近は一度で聞き取れるようになってきた。

 九条さんに取り次ぐと、すぐにまた次の電話。

「はい。朝日法律事務所です」

『私、と申します。先日弁護士さんにお送りした書類のことで相談が……。取り次いでいただけますか?』

 ずいぶん曖昧な電話で、首を傾げる。

「失礼ですが、どの弁護士が担当しておりますでしょうか?」

『えーっと、お名前を忘れてしまって。どなたでもわかると思いますので、弁護士さんを……』

 そんなのムチャクチャだ。そりゃあ、一般的な回答ならどの弁護士でもできるだろうけど、担当外の返答を勝手にはできない。しかもこの電話、かなりアヤシイ。

「すぐにお調べしますが、どのような書類ですか?」

 だから私は思いきって尋ねた。

『交通事故の……』

「事故についてのなんの書類でしょう? いろいろございまして」

『あっ、いや、もういいです』

 畳みかけると、電話はガシャンと切れた。

「五十嵐さん、どうしたの?」

 すると、向かいの席の松下さんが気にかけてくれる。

「多分迷惑電話です。細かなことをお尋ねしたら切られました」

 こうして弁護士を電話口に出させて、不動産の購入を勧めてくるなんてことがある。以前わからずに九条さんに取り次いでしまい、大目玉を食らった。弁護士は収入が多い人も数知れず、狙われているのだ。

「そう。よくあるのよね。取り次がなくて正解よ。それにしても、やっぱり五十嵐さんのスキル、上がってるじゃない」

 彼女は前回雷が落ちたときもバッチリ目撃していたので、そう言うんだろう。

「あはは。そうでしょうか」

 松下さんに褒められるのはうれしいものの、それ以上の勢いで九条さんから叱られるので、ダメージが大きい。

 アメとムチを使い分けてくれればいいんだけど、九条さんはほとんどムチだし。

「賢いけど、人の使い方は間違ってるわ……」

 次の書類に手を伸ばしながらボソッとつぶやくと「なんか言ったか?」とうしろから声をかけられて固まる。九条さんの声だったからだ。

 足音立てて近づいてきてよ!

「なにも……」

 冷や汗たらたらで返事をすると、彼はバッグをドンと私のデスクに置いた。

「出かける時間だが?」

「あと三分ください」

 あとひと息というところで余計な電話に出ていたので、まだ終わっていない。

「社会人たるもの、時間に遅れるとは……」

「だって迷惑電話が!」

「そういう事態があっても、遅れないように余裕をもって仕事をするべきだろ」

 あぁ、さっきの電話のせいよ!

「申し訳ありません。あとは印を押して郵便局に出しに行けば……」

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