エリート弁護士は独占欲を隠さない

佐倉伊織

鬼弁護士の裏の顔 (2)

 全力で仕事に取り組んでいるつもりだけど、まだまだ力不足なのはいなめない。いつになったら余裕ができるんだろう。

「不動産登記の手続きは何度目だ。そんなに時間もいらないだろ」

 そんなこと言ったって、仕事はそれだけじゃないんだもの。

 最近になってますます仕事の量を増やしてきた彼に心の中で反論しつつ、口には出せなかった。

「すみません。あっ、収入印紙が足りません。郵便局に行ってきます」

 法務局に提出する申請書につけなければならない収入印紙が不足している。

 こんなときに限って……。午前中に大量に使用したので、足りなくなってしまった。

 慌ててバッグを持ち立ち上がると、九条さんがあきれ顔でため息をつく。

 また叱られる……。そう覚悟してうつむいていると、彼はなぜか私のイスに座る。

「お前はいつも郵送しているようだけど、不動産登記はオンラインで申請できると教えたぞ。手数料の納付はネットバンキングで大丈夫だ」

 そういえば以前、そう教わった気もする。もちろんその都度メモを取ってはいるけれど、なにせ日々あれこれと大量に教わるので、教わったかどうかもわからなくなっている。

 法務省のシステムにアクセスした彼は、あっという間に申請を済ませた。

「次はない」

 うわー、こわっ。

 私を見上げるその顔は、おそらく女子ならキュンと胸をときめかせるほどいい男なのに、視線が鋭くとがっていて痛くてたまらない。

「申し訳ありません」

 私は深く頭を下げた。

 それにしても絶対に仕事が多すぎる。書類の山はどんどん高くなるばかりで、やってもやっても減る気配がない。それもこれも、なにか疑問があるとすぐに事務所を飛び出し、自分の目で確かめに行く九条さんのフットワークのよさのせい。そのたびに私も一緒についていくので事務処理をする時間がなくなる。

 といっても、そのフットワークのよさは尊敬しているんだけど。

 ただ、そのしわ寄せが私にきていることに気がついてほしい。

「まあ、午前中はよくやれていた」

「へっ?」

 変な声が出たのは珍しく褒められたから。彼が褒めるなんてやりでも降るに違いない。

「午後もその調子でな。でも印紙は必要だ。今すぐ買ってこい」

「は、はいっ」

 低い声で突き刺され、震え上がりながら事務所を飛び出した。


 大急ぎで収入印紙を購入して戻ると、デスクの上の書類が増えている気がして顔が引きつる。

「もー、無理でしょ、こんな量……」

 ぶつくさつぶやきながらイスに座り、書類を確認し始めた。

 次は戸籍とうほんを取り寄せて……。あっ、文献のコピーも必要だった。図書館行かなくちゃ。

 頼まれている仕事がわんさかあって、プチパニックだ。

 頭を抱えていると、九条さんが「戻ってきたか」と再び私のデスクにやってきて、書類を手に取りだした。

「五十嵐は要領が悪すぎる。まずは締め切りの期限別に分けろ。どの仕事を優先すべきか筋道を立てるんだ」

「九条、手伝ってやりなよ」

 私たちの様子を見て口を挟んだのは、他の秘書と話をしていたいつも笑顔の青田先生だった。

 神様なの?

「やらせないといつまで経っても覚えないですから。五十嵐のためですよ」

 私のためって……。その通りかもしれないけど、この仕事量、他の事務員の何倍もあるんだよ? 無理なときは、他の先生たちは手伝ってるよ?

 まあ、彼の下についてからわかるようになった手続きやら書類の書き方やらはたくさんあるのは事実だけど。

「だってさ。五十嵐、頑張って」

 同情の目を向ける青田先生に、『引かないで、もっと言ってくださいよ』と心の中で叫んだ。

 とはいえ九条さんの指摘は的確で、書類があっという間に三つに分けられた。今日中に提出が必要なもの。そして明日。あとは期限に余裕がある書類の三つ。

 今まで依頼された順にこなしていた私は、スッと肩の力が抜けた。今日中のものはさほど多くなかったからだ。

 これまで書類が山になっているのを見ただけでアタフタしてしまい、その結果ミスが出てやり直しとなることも多かった。焦る必要がないのにひとりで空回りしていたのかもしれない。優先順位をつけてみて、自分の要領の悪さがはっきりとわかった。

 いつも無理難題を言っているわけじゃないんだ。いや、言われてるか。

「九条さん、さすがです。これならできそうです」

 感じた通りの賞賛を口にしたものの、彼はニコリともせず呆れ顔。

 弁護士の多くはデスクの上の書類が雪崩なだれを起こしそうになっているというのに、九条さんはいつもきっちり片付いている。彼にしてみれば当然か……。

「少しは頭を使え。お前、なにから手をつけていいかわからなくて勉強ができなかったタイプだろ」

 はいっ? 私は褒めたのよ? その返事がこれ?

 デスクが整理されていると賢いってこと? でも、あの難関司法試験をクリアしてきた人たちも、散らかってるよ?

 だけど私のことに関しては図星なので、反論できない。

 罵られて悔しいけれど、少しでも追いつけるように頑張るしかない。

 返事をすることなく今日中に片付けなければならない書類に手を伸ばすと、九条さんは離れていった。

 それから一時間。黙々とデスクワークをこなしていると、再び九条さんに呼ばれた。

「五十嵐、コーヒー」

「……はい」

『自分でどうぞ』と言いたいのはやまやまだけど、一旦仕事の手を止め給湯室に向かう。するとそこには外回りから帰ってきた先輩パラリーガルのまつしたさんがいた。

 肩下十五センチほどで緩くパーマがかかっている私とは違い、肩のあたりで切りそろえられたストレートの髪が印象的で知的な雰囲気が漂っている彼女は、三つ年上。法学部を卒業していて、弁護士を目指して勉強中だ。

「松下さん、お疲れさまです。私、れますよ?」

「ありがと。でも手伝うわ」

 コーヒー豆を棚から出しながら、彼女は口を開く。

「毎日毎日、絞られてるわね」

「もー、鬼ですよ、九条さん」

 大げさに肩をすくめてみせると、ケラケラ笑われる。

 彼女がついているのは五十代のベテラン弁護士で、九条さんの師匠的な存在のさこ先生だ。迫田先生は、ここ東京事務所の重鎮。彼に憧れてこの事務所に来たという弁護士も多数いる。おそらく九条さんもそのひとり。

 九条さんは『九条先生』と呼ばれるのが嫌いらしく、私を含めて皆『九条さん』と呼んでいるけど、迫田先生は対外的に呼び捨てするときも緊張するほどで、圧倒的な存在感がある。

「九条さん、五十嵐さんをパラリーガルに育てようと思ってるように見えるけど」

「そんな希望は出してないんですけどね」

 私は法学を学んだわけでもなく、弁護士を目指しているわけでもない。そりゃあ知識を身につけたら武器にはなるけど、松下さんのように勉強したことがないんだから、てんてこまいだ。

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