エリート弁護士は独占欲を隠さない

佐倉伊織

第一章 / 鬼弁護士の裏の顔 (1)




第一章


鬼弁護士の裏の顔


五十嵐いがらし、昨日頼んだ不動産登記の取り寄せはしたか?」

あさ法律事務所』で事務員をしている、私、五十嵐さきにギロリと鋭い視線を向けるのは、上司で弁護士のじょうそうすけ、三十三歳。

 私たち事務員のいるフロアの横にずらっと並んだ弁護士用の個室から出てきた彼は、難関国立大学の法学部出身で、在学中に予備試験に合格し、司法試験を一回でパスしたという超が付くエリートだ。

 賢いだけではなく見た目もかなりレベルが高い。黒目が大きな切れ長の目にスッと通った高い鼻。一つひとつのパーツが計算されてつくられたようにちょうどいいサイズで、しかるべきところに収まっているという感じ。非の打ちどころのない、いい男。

 おまけに身長は私より二〇センチも高く、一八〇センチを超えていて、分けてほしいと思うほどの長い足を持っている。弁護士でなくても、モデルで需要がありそうなほどスタイルも抜群。

「あぁっ、地番は調べたのですが、やることがいっぱいで……」

 頼まれていたのは、不動産の所有権者や抵当権などが記された書類で、今抱えている事件に必要なものだ。

 これを取り寄せるには、土地に割り振られた〝地番〟という符号を調べる必要があり、そこまではやったんだけど、電話対応や他の書類を片付けているうちにすっかり頭から飛んでいた。

「言い訳は聞いてない」

「すみません……」

 またやっちゃった。

 頑張っているものの、私は特に法律を勉強したわけでもないただの事務員。専門的なことは必死に覚えている最中で失敗続きだ。

 大学を出てすぐに朝日法律事務所に就職して一年半。入社して一年は、何人かの弁護士の下で雑用業務をしていたんだけど、その後は九条さんの専属秘書となり約半年が過ぎた。

 どうせ専属になるのなら、東京事務所所属の二十三人いる弁護士のうち、四十代半ばで物腰柔らかなあお先生あたりがよかったな。と思ったとは決して言えない。

 私と九条さんの相性がいいとはとても思えない。だって、毎日叱られているんだもの。


 ――九条さんの専任秘書に決まった半年前。春風が心地いい三月下旬のその日は、新たな第一歩を踏み出すことにワクワクしていた。それなのに、彼の部屋に呼ばれて挨拶もそこそこに、いきなり必要な書類のリストを渡され思考が固まったのだった。


* * *


 普通、「これからよろしく」とか「頑張って」とかひと言あるもんじゃないの?

 パートナーとして交流を深めようとする行為はいっさいなく、いきなり業務を開始した九条さんは、それら書類の申請業務に丸一日かかった私をギロッとにらんだ。

「研修したんじゃないのか?」

 そして冷たいひと言。

「し、しました」

 でも、扱う書類の種類が多すぎて、まだどこに申請すべきものなのかを即座に判断できない。

「この量なら半日で申請できる。いや、しろ」

 命令口調で吐き捨てた彼は、小さなため息をついた。

 なんなのよ!

 駆け出し事務員なんだから、ベテランの事務職の人たちと比べたら作業が遅いに決まってるでしょ?

 自分のデスクに戻り、反発を胸にしまって歯を食いしばる。

 出産を機に退職した九条さんの前秘書は、たしかに優秀な人だった。七年ほどこの道ひと筋だった彼女は私とは違い経験も豊富で、しかも〝パラリーガル〟だった。

 パラリーガルというのは、私たちと同じように一般的な事務もこなすけれど、法律そのものや法律事務手続に関する知識を要求される職業で、朝日法律事務所にも多数在籍している。

 だけど私は一般事務としての採用なので、法律の知識は求められない電話対応やスケジュール管理、お茶くみなど、いわば後方支援のようなことが主な仕事だったはず。〝パラリーガル〟として雇われている人たちとは違うのに。

 冷たすぎる対応に沸々と怒りも湧いてきたけれど、ここは踏ん張りどころかもしれない。研修期間を終えたんだから、もう一人前の事務員として活躍すべきだし……次は「よくやった」と言わせてみせる。

 ちょっと負けず嫌いな私は、怒りを仕事へのエネルギーに変えることにした。

 そんなふうに意気込みだけは十分なのに、現実は散々だった。

「五十嵐! 何度言われたらわかる。記入漏れが多すぎる」

「すみません」

 それからも平謝りの毎日。

 これでも努力しているつもりなんだけど、〝つもり〟で許されるほど甘くはない。完璧に仕上げなければ、裁判所にも受け付けてもらえない。

「もういい。自分でやる」

 九条さんは表情をなくしてボソッとつぶやく。

 すごーく怒ってる……。

 だけど、ひるんでいる場合じゃない。このままで終わりたくない。

「いえ、もう一度やらせてください」

 頭を下げると、「一時間だけ待ってやる」と数枚の書類を返された。

 それから一時間の集中力は、自分でも驚くほどだった。返された書類はもちろん完璧に書き直し、他に頼まれていた申請書の間違いもすべて訂正した。

「できました」

 再び書類を持って九条さんの部屋に向かうと、判例を読んでいた彼は視線を合わせることもなく書類を手にする。

 一枚、二枚とめくられていく間、緊張のあまり冷や汗が止まらない。

 最後の書類をチェックし終えた彼は、やっと私に視線を向けた。

「五十嵐は甘えがあるんじゃないか。新人だから間違えても仕方ないと思ってるからミスが出る。クライアントは信頼して任せてくれるんだ。お前が新人かどうかなんて関係ない」

 まったくその通り。パラリーガルじゃないんだし、そこそこできればあとは弁護士の先生たちがフォローしてくれると思っていた。その結果、さっきのような集中力を発揮することもなく、書類の山が減っていくだけで満足していた。

 これまでついた先生たちはそれでOKで、記入漏れは付け足してくれていたし。

 それに甘えてきたから、緊張感もなくだらだらと仕事をしているだけだったんだと目が覚めた。

「おっしゃる通りです。申し訳ありません」

 涙目になりながら頭を下げる。すると彼が立ち上がったので緊張が走った。

「俺たちの仕事は、時にクライアントの人生を左右する。それを肝に銘じておけ」

「はい」

 直立不動で返事をすると、「今日は合格だ」と私の肩をポンとたたいて、部屋を出ていった。

 私はこの日を境に、〝新人〟という意識を捨て去った――。


* * *


 鬼の九条さんとタッグを組んで半年があっという間に過ぎた。

 どこからかキンモクセイの花の香りが漂ってくる九月下旬。

 相変わらず失敗をゼロにすることはできず、叱られている。ただ、半年前に比べるとその回数も減っているし、必死に食らいついているおかげか『甘えがある』とは言われなくなった。それに、新しく任せられる仕事も増えてきたように思う。

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