契約妻ですが、とろとろに愛されてます

若菜モモ

一 恋は突然の出会いで (3)

 それにしても、さっき真宮さんが言っていた〝芝居〟とは、なんなんだろう。どうして私をここに連れてきたのか……。疑問は膨らむ一方だった。

 ふと窓の外を見ると、雨はいつの間にかやんでいた。美しい夜景が見えるスポットとして有名なバーだけど、大きな一面の窓から見えるのは、今はどんよりとした暗さの中に時折点滅する橋のライトのみ。しかしこんな天気でも、人気のバーだけに数組のカップルがデート中。

 他の人から見たら、私たちもカップルに見えるのだろうか。そう思うと真宮さんを意識してしまう。

 白とカカオ色の二層になったカクテルが、目の前に置かれる。ほのかに香るカカオのにおいが、とてもおいしそうに感じた。

「アルコール度数は他のものよりは低い。試してみるといい」

 真宮さんの前には、彼の瞳の色に似た琥珀色の液体に大きな丸い氷が入ったグラスが置かれる。

「それでは……いただきます」

 マドラーで中身を混ぜ、勧められるままカクテルを飲んでみる。生クリームとカカオリキュールの甘い風味が口の中に広がる。本当にアルコール?というくらい飲みやすい。

「おいしいです」

 デザートを飲んでいるようなおいしさに、笑みが浮かぶ。

「ああ、よかった」

「こんなにおいしいと思うお酒は初めてです。やみつきになっちゃいそう」

 もうひと口飲んでみる。小さなグラスは、すぐに中身が減っていく。

「フルーツやチーズも食べろよ」

 そう促されて、カットされたメロンを口に入れた。カクテルとは違う、みずみずしい爽やかな甘みが夏を感じさせた。真宮さんは琥珀色の液体をゆっくり飲んでいて、中身はほとんど減っていないように見える。

 彼はウエイターを呼び、私のために同じカクテルを頼む。

 ふいに、テーブルに影が落ちた。

「琉聖さん!」

 怒ったような甲高い声に私は驚いて、声の主を見上げる。そこには、モデル風の美しい女性が顔を真っ赤にさせて立っていた。名前を呼ばれた真宮さんはグラスの中身をひと口飲んでから、彼女に視線を向けた。

「私との約束を破って他の女と一緒だなんて、どういうことですか?」

 完璧なまでにメイクをされた顔がゆがむ。

 泣きそうな女性に、慌てて私は真宮さんを見た。

「琉聖さんとは、真剣なお付き合いをしていると思っていましたわ」

 その言葉を聞いて、すぐにピンときた。

 真宮さんはこの女性と別れたいのだ。だから私に、恋人のフリ──芝居をしてほしかった。

「そんなに大きな声を出すと、他の客に迷惑だ。何より、ここにいる俺の最愛の人が戸惑っているだろう?」

 そう言って真宮さんは、今日初めて見せるいとおしげなまなしを私に向けた。その顔は芝居だとわかっていても、私をとろけさせてしまうほどの笑みだった。

 最愛の人って……。どうして面倒なことに巻き込まれないといけないの、と思いながらも、私は真宮さんの顔から目が離せない。

「こんな女っ……。私は諦めませんから!」

 女性は私をにらむと、きびすを返してその場から立ち去った。

 その直後、ウエイターが私のカクテルを運んできた。頼んでから少し時間が経っている。どうやらこの場の気まずい雰囲気に、持ってこられなかったようだ。

「……お芝居って、これですか?」

「ああ。まだ諦めてくれないようだが……」

「ひどい別れ方ですね」

 自分がもしあの女性の立場だったら、あんな仕打ちをされた上に、惨めな姿をみんなに見られるなんて、つらすぎて耐えられないかも……。

「最初から、真剣な付き合いでないことは合意の上だ」

「私はこんなことのために、こんな服まで着せられて連れてこられたんですね?」

「そんなところかな」

「最低です!」

 女性の気持ちを考えていない真宮さんに怒りを感じて立ち上がる。その途端、自分の身体がふわっと浮いたような感じに襲われた。

「おいっ!」

 彼は足元がふらついた私を支えると、もう一度スツールに座らせる。

「どうしたんだろう……?」

 手を額につけてうつむく。急に立ち上がったせいか、頭と目の前がぐるぐるまわっている。

「まだ一杯しか飲んでいないのに、もう酔ったのか?」

 真宮さんが、あり得ないだろう、とばかりに驚きの声を上げる。

「そんなわけないです……」

 自分でも信じられない思いで否定した。

 そして、しっかりしなければと思い顔を上げると、目の前にある真宮さんの顔が二重に見えてくる。

「とに……かく……きちんと話をして……別れたほうが……」

 再びずるっとスツールから落ちそうになり、真宮さんに支えられた。

 消えかかった意識の片隅で、二重に見えても、いい男はいい男なんだと思う。

 私が覚えているのはそこまでで、すうっと暗闇に吸い込まれるような感覚に、意識を手放した。


「ん……」

 太陽のまぶしさに顔をしかめて寝返りを打とうとした瞬間、背後からグイッと引き寄せられた。

「え……?」

 引き寄せられたまま、固まってしまう。

 こ、この腕……は?

 おそるおそる身体を反転させると、アンバー色の──今は太陽の光で金色に見える──瞳と目が合った。

「きゃっ!」

 思わず飛び起きて、自分が昨日のワンピースを着ていることに、ホッと胸をで下ろす。見事にしわになっているワンピースを見ながら、なぜこんな状況になっているのか思い出そうと、さらに顔をしかめる。

「私……?」

 真宮さんの元カノらしき女性が立ち去ってからの記憶がない……。

「たかが一杯のカクテルで眠ってしまうとはな」

 楽しさを押し殺した笑いが聞こえてくる。

「っ! だから言ったじゃないですか! お酒は弱いって」

 男性と朝を迎えること自体が初めての私は、パニックを起こす寸前だった。

「な、何もなかったですよね……?」

 ワンピースの皺を手で撫でつけながら、まだベッドに横たわる真宮さんを見る。

「あいにく、酔っぱらって正気じゃない女とはしない」

 そのとき、真宮さんの姿を見てギョッとする。今さら気づくのも遅いけど、彼は上半身裸の状態だった。弟の慎の上半身は見慣れているけど、会ったばかりの男性の裸、しかもベッドの上。

 私は慌てて背を向ける。

「な、何か着てください……」

「男と朝を迎えたことがないのか?」

 私の反応をおもしろがる声がした。

「その質問に答える必要はありません」

 真宮さんの問いに、背を向けたままぶっきらぼうに答えた次の瞬間、グイッと腕を引っ張られて彼に組み敷かれた。目の前には秀麗な顔。楽しそうな笑みを口元に浮かべている。

「は、離してください……」

 生まれて初めてのシチュエーション。私の心臓はドキドキと音をたてて暴れ始める。

「新鮮な反応だな」

 どうやら私のウブな反応を楽しんでいるみたいだ。

「あなたのガールフレンドと一緒にしないでください」

「一緒にはしていない」

 クッと喉の奥で笑う真宮さんは、どういうわけか私に顔を近づける。

「か、顔が近いです」

「君にキスをしたら、どんな反応をしてくれるのか楽しみだな」

「契約妻ですが、とろとろに愛されてます」を読んでいる人はこの作品も読んでいます