契約妻ですが、とろとろに愛されてます

若菜モモ

一 恋は突然の出会いで (1)




一 恋は突然の出会いで




「ゆ~ず、おはよう。今日は大丈夫?」

 すでに会社の制服に着替えた仲のいい同僚、かたやまがロッカールームに入ってきた。そして制服に着替えている私をのぞき込む。

「おはよう、麻奈」

 制服のリボンを直しながら、鏡の中で目が合った麻奈に笑いかけた。

「で、今日は大丈夫?」

 麻奈は私が着替え終わったのを見て、もう一度尋ねる。

 数日前に、金曜日は仕事のあと食事に行こうと誘われていた。つまり、今日。すっかり約束を忘れていて、内心焦る。

「う、うん」

 弟のしんは大学のテニスサークルで昨日から泊まりに行っているし、姉のも友達と映画を観に行くと言っていた。特に急いで帰らなければならないわけでもない。というのも、わが家は両親が他界しているため、姉弟で家事の役割分担をしている。

 もともと今日は、私が夕食を作る番だった。

「よかった! じゃあ、あとでね。私、お茶当番だから先に行ってるね」

 麻奈は満面の笑みを浮かべて、ロッカールームを出ていった。


 十七時半までの就業時間が終わると、私たちは急いでロッカールームに向かった。

 麻奈は身長がすらりと高く、切れ長のれいな目をした美人だから何を着ても様になるけれど、今日はいつもよりおしゃれをしていた。夏の装いにぴったりなレモンイエローの涼しげなノースリーブのトップスと、白の短めのスカートに着替え、鏡を覗き込むようにしてメイクを直している。

 今日の約束をすっかり忘れていた私は、朝、クローゼットの中から適当に選んだ服を着て出社していた。

 麻奈と出かけるんだったら、もっとおしゃれをしてくればよかったな……。

 少し後悔しながら、オフホワイトのパフスリーブ袖のブラウスと、膝丈の黒いハーフパンツに急いで着替える。着替えを済ませてメイクを直していると、麻奈が声をかけてきた。

「ゆず、そのブラウス、わいいね」

「ありがと」

 適当に着てきたけれど、V字の襟ぐりに大きなフリルがついた女性らしい柔らかなデザインのブラウスは、わりと気に入っている。麻奈に褒められて少しホッとした。


 私と麻奈は共に二十四歳。私立の大学を卒業してから、電気設備施工をはじめとして開発やメンテナンスなども請け負う会社で、一般事務をしている。私たちは入社するとすぐに意気投合した。同じ部署に入ったせいもあるけど、私は麻奈の活発でものじしない性格をすぐに好きになった。

 会社を出た麻奈は、地下鉄の駅に向かっている。私はいつものように会社の近くで食事をするのかと思っていた。

 そして麻奈に引っ張られるようにして地下鉄に乗せられて、降りたのは東京駅。

「麻奈?」

 ここは、麻奈の恋人の会社があるまるうち

 ウキウキと隣を歩く麻奈が私を見て、不敵な笑みを浮かべる。

「いいから、いいから。この先においしいお店があるのよ」

 もしかして……と、半信半疑な私の手を麻奈は引っ張り、目的の店を目指す。

 案内された店は、白と黒を基調としたモダンなインテリアで、落ち着いた雰囲気。そして待っていたのはふたりの男性。そのうちのひとりは、私も面識のある麻奈の恋人、きたしゅうさんだった。二十七歳という若さで課長を務めるエリート。彼の勤務先の子会社が私たちの勤めている会社で、所用で来社した修二さんが麻奈にひと目れをして、ふたりは付き合い始めた。今は付き合って二年になろうとしている。

 そして今回、麻奈が私を連れてきたのは、修二さんの部下を紹介するためだった。でも、私はお勧めされる男性にも心を動かされず、会話を楽しむだけだった。


 食事が終わって、まだ飲み足りないらしい三人に断り、先に帰ることにした。

 中座の非礼を丁重にびてテーブルを離れ、店を出たところで私の足が止まる。

「えっ! 雨が降ってる……」

 雨足は激しく、今朝の天気予報が外れ、深いため息が漏れる。

「どいてくれないか」

 背後から、店のドアが開く音と同時に、少し低めの深みのある男性の声が聞こえた。

「あっ! ごめんなさい」

 どうやら出口をふさいでしまっていたらしい。慌てて横にずれると、土砂降りの雨が私をらした。

「きゃっ!」

 両手を頭の上に置いた直後、驚いたことに私の腰に男性の腕がまわされ、屋根のあるところまで引き寄せられた。

「すまない。雨が降っていたんだな」

 私は腰にまわされた腕の持ち主を見上げる。その男性は背が高く、襟足に少しかかるくらいのさらさらの黒髪に、高いりょうの整った顔立ちをしていた。そして切れ長の目は、イエローゴールド。不思議な色合いの瞳に強烈な印象を受ける。

 こういうはくいろのことをなんて言うんだっけ……そうだ、アンバーだ。

「あ……」

 ビリッと感電したような衝撃に弾かれ、男性から離れた。

 え!? ……今の何?と思った瞬間、再び私に雨が降りかかる。すると男性はため息をつき、私はまた力強い腕に引き寄せられる。

「懲りない女だな」

「す、すみません」

 今度は濡れないように彼から離れると、深く頭を下げる。

りゅうせい様」

 その声に顔を上げると、傘を差し、スーツを着た三十代と思われる男性が目の前に立っていた。後ろには黒塗りの高級外車。その男性から差し出された傘を、琉聖と呼ばれた彼が受け取る。

「ちょうどいい」

 そう言って傘を差した彼は私を見て、にやりと笑った。それから私の腕を少し強引につかむと、車に向かう。

「ちょ、ちょっと離してくださいっ!」

 驚いて抵抗する間もないまま、高級な革のにおいのする後部座席に私は座らされた。

「離して! 降ろしてください!」

 必死に腕を動かして、まだ掴んだままの男性の手を振りほどこうとする。

「安心していい。どうするつもりもない。ちょっと付き合ってもらえないか」

「嫌です! 信用できません。今すぐ降ろしてくださいっ」

 このまま誘拐されてしまうのでは、と不安が大きくなり、首を激しく左右に振って抵抗する。

 すると、先ほど彼のことを〝琉聖様〟と言った男性が運転席に乗り込んだ。

さくら、名刺を」

 その男性が車に乗り込むと同時に、私の隣に座る彼が口を開いた。桜木と呼ばれた男性は、胸の内ポケットから革の名刺入れを取り出し、一枚を私に渡す。桜木さんがつけてくれた車内灯を頼りに、私は名刺を見た。

 そこには、【みや琉聖】【真宮コーポレーション副社長】と書いてあった。

 〝真宮コーポレーション〟といったら、うちの会社の親会社で、修二さんの勤めている会社。そこの副社長ということになる。

「納得したか?」

「えっ?」

 掴まれていた手はいつの間にか外されていた。

「濡れたままでは風邪をひく。ちょっと付き合ってくれないか」

 真宮さんが桜木さんに何かを伝えると、私が返事をする前に車は動き始めた。

 雨音と規則的に動くワイパーの音が、車内に響く。私は混乱していた。連れ去られる理由がわからなかった。しかも、こんなに簡単に連れ去られていいものなのだろうか……と自分自身にも困惑している。

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