クールな社長の溺愛宣言!?

高田ちさき

人生の谷底


人生の谷底


「こんにちは~」

 私が伯母の家を訪ねたのは、ちょうど時計の針が十七時を指したころだった。

「いらっしゃい。ほら、早く上がって」

 前もって連絡を入れておいたので、笑顔で伯母が迎え入れてくれる。

「お母さんは?」

 いつもならふたりで玄関に迎えに出てくれるのに、今日は顔が見えない。

 私は靴を脱ぎ、上がりかまちに足をかけるやいなや伯母に尋ねた。

「そんな心配そうな顔をしないでも大丈夫よ。あなたが来るって言うから、肉じゃが作ってるの」

 そう言えば台所からいい匂いがただよっている。大好きな母の料理の匂いだ。

 私は引き寄せられるように、台所へと向かった。

「お母さん、調子はどう?」

「もう、病人扱いしないでよ。このとおり元気よ」

 鍋から顔を上げて私を見た母の顔は、この間会った時よりも幾分元気そうだった。頬にも赤みが戻ってきた気がする。ただし、油断は禁物だ。

「れっきとした病人が、なに言ってるの」

 私が厳しい目を向けると、母は肩をすくめてごまかした。

「まぁまぁ、そんなに怖い顔しなくても。きちんと病院にも行ってるから、心配しないのよ」

 伯母が背後から私の肩をポンっと叩くと、ダイニングに座るようにとうながす。

 素直にテーブルに座り、料理をする母の背中を見つめた。おみの深緑のエプロンには、母が切り盛りしていた店の名前『せい』がしゅうされている。

 この間までは毎日見ている光景だったのに、今ではひどく懐かしい。


 この三カ月、私の人生は大きく変化した。というよりも……こうもツイてないことが立て続けに起こって転落するだなんて、思ってもみなかった。

 今日やっと、大変だった日々を振り返ることができるような気がする。

 三カ月前、私はじんな理由で会社を辞めさせられた。自己都合退職という扱いにはなっていたが、実際はクビになったのだ。

 到底納得がいかずに人事にかけあってみたけれど、私のようないっかいの社員の言うことなど相手にしてもらえなかった。

 労働基準監督署に訴え出ることもできたが、それをしてしまうと次の就職先を探す時に不利になるような気がしてやめた。理不尽なことをする会社に嫌気がさし、こんな会社とは一刻も早く縁を切りたいと思ったのもある。いつまでも不条理な会社にしがみついていないで新しい仕事を探そうと、前向きに考えを改めて動きだすことにしたのだ。

 大手上場企業だったその会社では、秘書として第一線で働いていた。他の同僚秘書たちと比べても、知識もマナーも引けを取ってはいなかったはずだ。

 しかしやっとの思いで面接までこぎつけても、前職を辞めた理由にこだわるところも多かった。噂はすぐに広がるもので、恐らく転職あっせんのエージェントにもよくない噂が回っていたに違いない。

 大好きだった秘書の仕事を諦めて他の職種に手を広げても、この不況の中ではなかなか希望の条件を満たす仕事は見つからなかった。

 貯金を食い潰してなんとかしのぐしかない……そう思っていた矢先、母が倒れた。

 幸い私が自宅にいた時だったので、すぐに病院へと搬送されたが、そこで心臓の病気が発覚し、今までどおりの生活は無理だと医師から宣告された。

 私が小学生の時に父が亡くなり、それから母は自分でもできる仕事をと、弁当屋を始めた。だがその店も、続けていくことはできなくなってしまった。

 私があとを継げばよかったのかもしれない。でも手伝いをしていたとはいえ、母ほど料理の腕が確かではない私が、ひとりで店を切り盛りするのは難しい。

 それに母はよくお客さんに、私が外でバリバリと働いていることを自慢していた。店を継いで苦労する姿は、きっと母も見たくなかっただろう。

 だけど手塩にかけた店を閉めることは、母にとってつらい決断には変わりなく、落ち込んだ母の病状は思わしくなかった。退院後も私が求職活動で外に出ている時間、ひとりにしておくのが心配で仕方がなかった。そんな時、母の唯一の肉親である伯母が面倒を見てくれると名乗りを上げ、私はその話に飛びついたのだった。

 アパート経営で生計を立てている伯母は、在宅率が高い。ちょうどひとり暮らしが寂しく思っていたのだと、母をこころよく受け入れてくれた。こんな時、ふたりの姉妹仲がよくてよかったと思う。ひとりっ子の私にはうらやましいかぎりだ。

 伯母がれてくれたお茶をすすりながら、ぼんやりととうの日々を振り返っていた。人生の谷底を見たと言っても、過言ではないかもしれない。

「そうだ、むらさんには連絡してくれた?」

 母がさいばしを持ったまま、こちらを振り返る。

「うん。こっちのことは気にしないで」

「そう、よかった」

 安心してニッコリと笑う母に、苦笑いがばれないかとヒヤヒヤする。

『清』は、父の遺産で開店した、小さな弁当屋だった。近所の人にも愛された評判の店で、私たちはそのおかげで今日まで暮らしてこられたのだ。

 三村さんはパートとして、週に二日ほど手伝いに来ていたおばさんだ。経理にもけているということで、事務仕事の苦手な母を手伝ってくれていた。

 しかし母がこうなってしまった以上、店を続けることはできない。私は三村さんに連絡をして、これからのことを相談することにしたのだが……。

 何度電話をしても連絡が取れず、仕方なく自分で店の経営関係の書類を目にして驚いた。決して多くの利益が出ているとは思っていなかったが、ここまで赤字続きだったとは。かりいれきんも私が想像していたよりもはるかにあった。

 そしてこの時にやっと、なぜ三村さんと連絡が取れないのかその理由がわかった。

 金庫の中にあるはずの現金や、通帳、実印がごっそりなくなっていたのだ。母と私が持ち出していない以上、金庫の中身を持ち出すことができるのは三村さんしかいないということになる。

 ――まさかお金を持ち逃げされたなんて、言えるわけない。

 ただでさえ弱っている母の心臓に、これ以上の負担をかけたくない。

 機嫌よくキッチンに立つ母を見て、私は自分の判断が間違っていなかったのだと言い聞かせた。


「そうだ、今日はいい知らせがあって来たの」

 危うく今日ここに来た目的を忘れるところだった。私の声に、母と伯母が視線を向ける。早く内容を知りたくてもどかしいような顔をしている母に、私は笑顔で告げる。

「なんと本日、就職が決まりました!」

 少しおどけておおに声を上げた私だったけれど、「よかったわねー!」とはしゃぐ母と伯母の声のほうがよっぽど大きかった。

「本当によかったわね。大丈夫だとは思ってたけど、なかなか決まらなくて、やきもきしてたのよ」

 母がポロッと本音をらす。

 それもそうだろう。娘の就職活動がうまくいかないのをの当たりにしていたのだから。それに母は、私がキャリアアップのために自ら前職を辞めたのだと思っている。

 嘘をつくのは気が引けたが、あんな最低な出来事を母親に話すことはできなかった。

「ありがとう。基本は事務的な仕事をするんだけど、前とは違って人数の少ない会社だから、なんでも任せてもらえるみたい。でも、社長さんも奥さんもいい人そうだから、楽しみにしてるんだ」

「よかったわね。これであとは、いい人でも見つかればいいのに」

 伯母の言葉に苦笑する。最近なにかにつけてこれだ。

「そうね、でもゆっくりでいいわよ。本当に好きな人と一緒になれる日が、きっとくるわ」

 母の温かいまなざしを受けて、私も笑顔を返した。

 その日は、そのままお祝いの席になり、母の手料理を味わって伯母の家に泊まった。こうして女三人の夜はにぎやかにゆっくりと過ぎていった。

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