話題のラノベや投稿小説を無料で読むならノベルバ

私たち、政略結婚しています。

鳴瀬菜々子

大嫌い!と言いながらも…… (2)

 ちょっと仕事がデキるからって、私を見下して威張り散らしているようにしか思えない。

 ええ、ええ。そうよ。どうせ私にはあんたほどの実力はないわよ。帰りたいのなら勝手に帰ればいい。あとは私がひとりでなんとか仕上げてみせるから。

 素直に『手伝って』と頼めば、ブツブツ言いながらも彼は手伝ってくれるだろう。だけど、今はそんなことをする気分にはなれない。彼との実力の差を認めてしまえば、またなにを言われるかわからないから。そう思い、私は意地になっていた。

 私、あさは二十六歳で、今年入社四年目になるが、企画チームにばってきされるのは今回が初めてだ。もちろん仕事には真剣に取り組んできたけれど、これまで目立った業績を上げたことはない。

 こんな私がせっかく花形の企画メンバーに入れたのだから、今回はぜひとも頑張りたい。

 彼にとっては選ばれることは当たり前かもしれないけれど、私にはもう、こんな機会はないかもしれないのだ。

 企画チームのメンバーは、十五人いるメンズ担当部員の中でもほんの数人で、実力を認められて常に選ばれている者もいれば、新たに能力を試される者もいる。

 この企画を成功させるとインセンティブが出たり、昇給が確約されたりもする。なにより、社内での評価がグンと上がるのだ。

 毎年、各シーズンごとに企画は催される。今は十二月なので、春号の巻頭ページに向けての企画中。

「ふん。素直になればいいものを。相変わらずお前は……可愛かわいくねぇな」

 それだけ言うと彼は出口に向かってスタスタと歩いていく。そしてそのまま廊下に出ると、なにも言わずに会議室のドアを後ろ手にバンッと勢いよく閉めた。

 ひとり残されて静けさに包まれながら、私は急に心細くなる。

 なにをあいつは突然キレているの。怒りたいのは私のほうよ。

「……なによ。本当に帰ることないじゃない。……嫌い、あんなやつ」

 そうつぶやきながら企画書を眺め、ため息をついた。

 本当は……あいつの言うとおり、自信もないし、ひとりになりたくはなかったのに。

 だけどそんなこと……素直に言えるわけがないじゃないの。

 腹立たしい思いを振りきるように、仕事にとりかかった。


 それからひとりきりで、進まない企画書をきりのいいところまでなんとか形にして、会社を出たのは夜の十時を少し過ぎた頃だった。

 冷たい風が、今日の仕事の結果を物語るように、私の身体を芯から冷やしていく。あれからまったくアイデアが浮かばなかった。自分の実力を思い知る。

 このままじゃ明後日までには仕上がらないわ。きっと企画は通らないものになってしまう。

 悔しいけれど、彼がいないせいでさっぱり作業が進まなかった。

「あいつめ……。明日、謝らせてやる……! 絶対に手伝わせないと」

 彼の顔を思い浮かべながら、眉間にしわを寄せる。

 それに……本当はもうひとつ、ひとりになりたくなかったわけがあった。

 家までたどり着けなかったら、あいつのせいなんだから。このまま私が死んだら呪ってやる。

 そう考えて急ぎ足になる。

 会社から自宅のマンションまでは徒歩で十五分。もうしばらく歩いて、表通りまで出れば人も多い。この路地を過ぎればひとのない道を抜けられる。

 夜のやみに包まれ、不安を感じながら歩いていたそのとき、ふと背後に気配を感じた。

 ……来た。

 全身がビクッと震える。

 やっぱり、今日も私を待っていたのね……。

 私が彼にいてほしかった本当の理由はこれだ。左斜め後ろの、いつもと同じ位置に気配を感じる。……間違いない。

 歩く速度を少しずつ速める。

 早く、早く……早く!

 考えながらいつしか駆け足になっていた。

「はあ、はあ……っ……」

 走ると息が苦しい。でも……止まれない。逃げないと。もっと遠くに。

 そんな私を追いつめるかのように、背後の気配は消えてくれないどころか、そのまま張りつきそうな勢いでその存在を知らしめてくる。


 ……そう。私は二週間ほど前から、帰り道で誰かにあとをつけられているのだ。

 先日は家のポストに手紙も入っていた。気味が悪くていちべつしてすぐに捨てたけど、それには【君を毎日監視している】と書かれていた。

 これが世間で言う、ストーカーというものなのだろうか。どうして私につきまとうのか、理由はさっぱりわからない。どこかで出会ったことのある人なのか。話したことがあるのか。まったく身に覚えがない。

 毎日のようにつきまとう、怪しい影。今週は会社帰りにその気配が現れない日はない。先日の日曜は、マンションのベランダに洗濯物を干しに出た私を、見知らぬ男が下の道路からじっと眺めていた。慌てて部屋に戻り、数時間経った頃にカーテンの隙間から再び道路の様子をうかがうと、その視線はまだこちらに向けられたままだった――。

 怪しげな目つきをした、やや背の低い小太りの男。いつもねずみ色のキャップの下から、細い目で私をジトッとめるように見ていたのだ。


 泣きそうになりながら全速力で走っていると、ふと伊藤克哉の顔が脳裏に浮かんだ。

 あいつ……! どうして先に帰ったりするのよ! 私が今、こんな目に遭っているのに!

「佐奈」

 え?

 前方から声が聞こえ、足元の地面から視線を上げて正面を向く。

「あ……! きゃああ!」

 その瞬間、足がもつれてよろけ、そのままザザッと地面に転げてしまった。視界が一瞬回り、身体が動かなくなる。痛みが全身を駆け巡った。

「佐奈!」

 声の主が私に駆け寄ってくる。それと同時に、後ろから私を追っていた男がキュッと足を止めた。

「大丈夫か!? お前、なんでそんな必死で走ってんだよ! 危ねぇな!」

 しゃがみ込んで私の半身を起こしながら、声の主が言った。その顔は青ざめ、心配してくれているのが表情から瞬時に読みとれた。

「こんなかかとの高い靴でなにがしたいんだ?」

 文句を言いつつも私を抱き起こそうとする、大きな手。その手につかまり、私が立ち上がろうとした瞬間、彼の目線は私の背後にいた男へと向けられた。

「なんだ? お前は……誰だ」

 男に対し呟くように言いながら、私の身体から手を離して立ち上がる。男はそんな彼を見ながら、うろたえた様子であとずさった。

「お前、まさか……佐奈のあとをつけて……」

 彼は男にジリジリと一歩一歩近づいていく。私は道路に座り込んだままの体勢で、ふたりの様子を見ていた。怖くて声を出すことができない。

「お前のせいなのか? 最近、佐奈の様子がおかしい気がしたのは! ずっとこうしてつきまとっていたのか……?」

 そう言った次の瞬間、彼は男に走り寄り、拳を振り上げた。

「私たち、政略結婚しています。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます