イケメン部長と(仮)新婚ライフ!?

葉月りゅう

ブラック上司、参上 (3)

 スマイルメイキングは東京に本社があり、関東地方を中心に数十箇所の支店がある。誰もが社名を知っているような大手ではないけれど、業界内ではそれなりに知名度がある中堅の企業だ。

 私たちが勤める波月支店は、関東のとある県の、県庁所在地にある。ターミナル駅のすぐ近くで、周囲はオフィス街だ。

 県内の拠点となっているこの支店で、三十歳にして部長職を担っている坂本零士。彼は部下から、陰で〝ブラック上司〟と呼ばれているほど、とにかく仕事に厳しい人だ。

 レストランやホテルなどの外食産業をサポートしている私たちの会社では、十万点に及ぶ豊富な食品を取りそろえている。その商品知識に加え、相手のニーズを把握し、商品を提案する部長のコミュニケーション力は抜群だという。

 だから、仕事ができる人には違いないのだけど……。

 部下や同僚にキャパシティーを超えた要求をするうえ、口が悪い。口答えした部下には、『へきに飛ばされたいか』と笑顔で脅し、『残業はサービス精神で行え』というのがモットーだ。

 そのため、部下はストレスがたまりまくっていて、〝ブラック企業ばりにヤバい上司〟ということから、〝ブラック上司〟の呼び名がついたらしい。

 これらはつい最近、営業部に異動してきてから知ったことなのだけど、彼からお叱りを受ける部下をすでに何人も見ている。

 このキレイな顔でにらまれるのは、きっと迫力満点だろうな……。

 でも、私がこの部長様と初めて会った時の印象は、皆がうわさしているようなものとは違った。物腰が柔らかで、穏やかそうに感じた。

 一年以上前のことをうっすら思い返していると、部長が口を開く。

「しかし、サカえもんがかぎをかけ忘れるような浅はかな人でよかったよ。ま、かけててもぶち壊してたけど」

 苦笑いしつつ、ドアを壊してまで助けようとしてくれていたのだと思うと、やっぱり嬉しい。けれど、ひとつ気になることがある。

「さっきのことは本当に感謝してます。けど、あの……部長は私たちの噂、知ってるんですか?」

 私は上目遣いで彼を見上げ、遠慮がちに問いかけた。

 実は、ブラック上司の恐怖エピソードとともに、もうひとつ流れ込んできた噂がある。私が営業部に来た直後に、誰かが言いだしたらしい。

 〝坂本零士と坂本一葉は、結婚しているんじゃないか〟……と。

 それを部長も耳にしていたから、さっきの突然の事態に〝夫婦〟だなんてうそをついたのかな、と思ったのだ。

 オフィスにほど近い横断歩道の赤信号に引っかかり、私たちは足を止めた。

 彼はキョトンとして小首をかしげる。

「なんだ? 噂って」

「あ、えーと、私たち苗字が同じだから、『実は夫婦じゃないか』っていう……」

 あら、知らないのかな? 普通に教えてしまったけど、自分からこんなこと言うのも恥ずかしい。

 ごにょごにょと言葉をにごすと、部長はフッと鼻で笑った。

「なんだそれ。ただ苗字が一緒ってだけでか? 中学生かよ」

 バカにしたような口調だけど、私もほぼ同感。お互い指輪もしていないのに、なんでそんな話になるんだろう。

「さっき夫婦だなんて言ったから、部長も知ってるのかと思いました」

 何げなく言って、車が通り過ぎていく先の信号機を眺める。

「俺があんな出まかせを言ったのは、あの時のことがあったからだよ」

「あの時?」

 意味深な発言に、赤信号から部長へと視線を移す。

 彼は一度私に目を向けると、少し身を屈め、さりげなく耳に顔を近づけてささやく。

「……もう忘れたのか? あの夜のこと」

 吐息交じりの色っぽい声が、私の心臓をドックンと動かした。

 薄暗いバー、はく色の液体が揺れるグラスを持つ骨張った手、耳に心地良い低くてなめらかな声……。あの夜耳にしたそれは、今聞いている声と同じなのに、どこか違った色をしていて、私に甘い余韻を残した。

 約二ヶ月前の記憶が、一瞬にしてよみがえる。

 飲み会で友達が結婚するという話を聞いて、もとから結婚願望が強かった私は悪酔いし、偶然、居合わせたこの部長様に……。

 あぁ、あんな恥ずかしいことをしてしまったのは人生初よ!

 穴があったら地中深くまで入りたい気持ちになりながら、肩をすくめてうつむく。

「忘れられるものなら、忘れたいです……」

あきらめろ。お前の乱れた姿は、俺の頭ん中にしっかり焼きついてる」

 クッ、と意地悪な笑みを浮かべる彼は、私のしゅうしんを容赦なくあおってくる。

 あーもう、あの時のことは蒸し返さないでほしかったのに……!

 もんもんとした気持ちを振り払おうと、頭をぶんぶんと横に振る私を見て、部長はおかしそうに笑った。

「だからさっきは、結婚願望ありまくりの乙女ちゃんに夢見させてやったんだよ。どうだ? だん様に助けてもらった気分は」

 からかっている様子の彼に、私はムッとほおを膨らませる。けれど……。

 悔しいけれど、ちょっぴりときめいてしまったのは事実。

 だって私、結婚願望はあるくせに、これまでまともな恋愛をしていなかったから、あんな風に守られたことがないんだもの。妄想以外では。

 しかも、相手が余裕たっぷりの大人の男とくれば、それはもう……。

「……悪くはなかったですね」

「素直にイイって言えよ」

 ボソッとらした私に、妙に色気のある声で返す部長。

 なんでいちいちセクシーなんですかね、このお方は!

 また熱が集まる顔をらす間に、信号が青に変わって彼は先に歩きだした。その広い背中を見つめながら、考えを巡らす。

 ブラック上司だなんて言われて、恐れられ、煙たがられているけれど、私にはそこまで嫌な人だとは思えない。今みたいにからかってこられると困るけど。

 仕事中とはひと味違う一面が、私に『彼は決してただの暴君じゃない』と思わせているのだろう。

 私の存在を忘れたかのように、さっさと先を行く彼を、なんとも言えない気持ちで追いかけた。

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