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御曹司の溺愛エスコート

若菜モモ

第一章 懐かしい場所 (2)

 桜は自分を憎む蒼真の母、秋月がこのドアの向こうにいると思うと、心臓が暴れだし、足がすくみそうだった。

 交通事故で亡くなった桜の母の兄嫁が美沙子だ。は、桜が秋月家に来る一年前に、進行性のがんでこの世を去っていた。

 桜が覚えている伯父の思い出は、とても優しかったということだけ。

 蒼真が、美しい彫りが入った白木のドアを開けた。彼が先に入ってくれて、桜はホッとあんする。

 応接室には、五十代になったが三年前と変わらず若々しく美しい美沙子と、シャーベットオレンジ色の上品なワンピースを着た若い女性がいた。

 お茶の時間らしく、三段に重ねられたプレートの上にいろいろなケーキやマフィン、サンドイッチなどがある。

 桜は入るなり美沙子と目が合ってしまい、その鋭い視線に、ドアのそばで一歩も動けずにいた。

 若い女性はしなやかな動きでソファから立ち上がり、笑顔を浮かべて蒼真に近づいた。上品で、いかにも育ちがよさそうに見える。

 彼女のこげ茶色の髪は緩く結い上げられ、ひとまぶたの目はれいにメイクが施されており、誰が見ても美しいと思う人だ。

 当たり前のように、彼女は頬を蒼真に差しだす。

「いらっしゃい。愛理さん」

 蒼真が愛理の頬に唇を軽くつける。

「おかえりなさい。お疲れになったでしょう?」

 心配そうな笑みを蒼真に向ける愛理は、典型的なお嬢さま。会社経営の父と専業主婦の母の間に生まれたひとりっ子で、お嬢さま学校と言われる大学を出てから、病院のボランティア活動を通して蒼真と知り合った。

「愛理さん、いとこの桜・クラインを紹介します。桜、婚約者のどうもと愛理さんだ」

「桜です。このたびは、ご婚約おめでとうございます」

 胸の痛みを感じながら、桜は美しい愛理に深く頭を下げた。

「クライン? まあ。あなたの瞳の色は本物なの?」

 初対面の人は大抵、桜のブルーがかったグレーの瞳に驚く。シカゴに行ってからはそんなこともなくなったのだが。

「はい。父がアメリカ人だったので……」

「そうなの。とても綺麗な瞳ね」

 愛理は桜に、にっこり微笑んだ。おしとやかでお嬢さま然とした見かけとは違い、気さくな性格に桜は感じた。

(蒼真兄さま、ステキな人を選んだのね……)

 そう思っても、蒼真が愛理に笑いかけるところを見たくなかった。

「桜さん、お久しぶりね? 遠いところからでお疲れでしょう?」

 愛理の後ろから、美沙子がゆっくり近づいてくる。

さま、お招きありがとうございます」

「ファーストクラスはいかがだったかしら?」

「え? いえ、あの……快適でした……」

 美沙子から送られてきた航空券は、ファーストクラスではなかった。普通のエコノミークラスのものがシカゴにいる桜の手元に届いたのだ。

(なにかの勘違い? ううん……違う、伯母さまはわざと言ったんだ。私はまだ許されていない……)

「蒼真さん、桜さんに飲み物を差し上げて」

 美沙子は、戸惑っている桜に口角を上げて含み笑いをすると、ソファに戻っていく。

「桜、なにを飲む?」

 聞きながら蒼真は、部屋の隅にあるバーカウンターへ向かう。

「お水をお願いします」

 足を止めて振り向いた彼は、なにか言いたそうな表情をしたが、黙って冷えたミネラルウォーターをグラスに注いで桜に渡した。

「ありがとうございます」

 桜は水を口にして初めて、ひどく喉が渇いていたことに気がついた。

 喉がうるおい、美沙子との対面を済ませて気持ちが少しだけ軽くなって、応接室を見渡す。

(懐かしい部屋……)

 この屋敷は、桜の両親が交通事故で亡くなってから、桜が五年間を過ごした場所だ。

 蒼真はバーカウンターに戻り、自分用に炭酸水をグラスに注ぐ。

 彼の姿を目で追っていた桜の耳に、カチッという音が聞こえ、なにげなくその音の方向に視線を向けた。次の瞬間、桜の瞳が大きく見開く。

 美沙子がタバコに火をけるところを目にしてしまい、急に呼吸が苦しくなる。身体が震え、持っていたグラスが手から滑り落ちた。

 ――パリーン!!

「桜!?

 グラスが割れる音で蒼真は振り返り、両手を身体に回して小刻みに震えている桜に驚く。

「ご、ごめん……なさい……」

 桜の声が震える。

(倒れちゃダメ……)

 あえぐように呼吸を繰り返す。三年前のあの事故から、桜は火を見ただけで意識を保つのが難しくなっているのだった。

「怪我は?」

 近づいてきた蒼真に聞かれ、小さく何度も首を横に振る。

 桜が落としてしまったグラスの破片は、すぐさまメイドが片づけた。

「桜さんはご気分が悪いようね? 南条、部屋に案内して差し上げて」

 美沙子はいらったような口調で、ドアの前に控えていた南条に指示をした。

「かしこまりました。桜さま、こちらへ」

 震えが止まらない桜だが、南条に促されて、なんとか歩きだす。

 応接室を出て、背後のドアが閉まる音に肩の力が抜ける。

(ここの人たちに弱みは見せたくない。見せちゃいけない)

 そのとき、南条の手がそっと桜の腕に添えられた。

「顔色がよくありませんね。大丈夫でございますか?」

「……はい。大丈夫です」

 優しい南条に心配をかけたくなくて、笑みを浮かべようとするが、弱々しい微笑になってしまう。彼はさらに心配げなまなしを向ける。

 南条に身体を支えられているおかげで、桜は気を失わずに部屋に行くことができた。

 昔使っていた自分の部屋だ。殺風景だが、ベッドメイキングが丁寧にされている。

 ベッドの端に腰かけると、ホッとひと息ついた。

「長旅でございましたから、お疲れのようですね」

「久々の日本で緊張しちゃったみたいです」

 そこへ静かにドアがノックされ、南条の妻、芳乃が姿を見せた。

「桜さま! お久しぶりでございます。まあ、髪を切られたのですね」

 芳乃は目に涙を浮かべて桜を見ている。

 十八歳の頃、緩くウェーブのかかった桜の明るい茶色の髪は、腰まで長かったが、現在は肩甲骨の位置ぐらいまで短くなっていた。

「芳乃さんも変わりなく、お元気そうですね」

 自分に会って喜んでくれている芳乃に、先ほどの火を見たショックが薄らいでいく。

「ええ、お会いしたかったですよ」

 芳乃は氷水の入ったグラスを桜に手渡す。

「ありがとうございます」

 受け取った桜は、ゴクゴクと水を飲んでいく。ああいう状態になったあとは、ものすごく喉が渇くのだ。

「お夕食まで、ごゆっくりお休みください」

「南条さん、お腹は空いていなくて……時差ボケみたいです。このまま休んでいいですか?」

 南条は瞳を曇らせたが、「皆さまにお伝えしておきます」と言い、一礼すると妻と共に部屋から出ていった。

 ひとりになった桜は、ぐったりとベッドの上に身体を横たえた。

(愛理さん、大人の女性って感じだったな……蒼真兄さまにぴったりな人……)

 桜は小さい頃から、いとこである蒼真が好きだった。三年前のあの事故が起きるまで、彼に大事にされていた。しかし事故後、冷たい目で蒼真は桜を見た。

(今でも思い出すのは、あのときの蒼真兄さま……)


 ――コトッ……。

 物音で桜は目を覚ました。

 覚醒していないせいで、自分がどこにいるのかわからない。

「もうすぐ夕食だが?」

 真っ暗な部屋で、蒼真の少し低めの声がした。二十時を回り、彼が桜の様子を確かめに来たのだ。

 部屋に明かりが点き、まぶしさで桜は目をしばたたかせる。

「あ……」

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