冷酷皇帝と偽りの花嫁~政略からはじまる恋の行方~

みなと蒼

ふたりの間にあるもの (3)

 その運河の交易路を開くということは、運河を国の管轄とし、もっと自由に出入りできるようにするということ。となれば、両国の領主から恨まれること、間違いない。

 今まで両国の公主と皇帝が考え、だが実行できなかったことをこの男はやると言っている。

「そんな運河を治める領主との関係に亀裂が入るようなことを、お父様がお許しにはなりません」

「父上とやらからは、了承の答えをもらっている。それがお前だ。もっとも妾腹の娘をよこすなど、消極的な了承というところだろうがな」

 はげしく抵抗するリューリの両手をぎりっとアシュレが掴む。

「私が気に入らないのなら、送り返せばすみます。オニギスにはまだ王女がふたりいるのですから」

「王女を簡単に取りかえるとは思えない。もし、交易路が開かれれば激怒するやつがいくらでもいる。そいつらが、俺やお前の命を狙ってくるだろう。そこのところも読んで、お前を送りつけてきたんだろう。かわいそうに、お前はあいつらの楯にされたんだ」

 リューリは目の前が真っ暗になるような気がした。

 そういうことなのだ。

 生まれてすぐ、母とふたり、王宮から遠い北の離宮へ追いやられた。病気で母が亡くなった後も、そのまま。こうして呼び戻されたのも、命の危険があるようなところへなど正妃の娘たちを行かせるわけにはいかないから……。

 リューリは、アシュレの肩を押していた手を離し、自分の顔を覆った。

 急におとなしくなったリューリの上から体をおこしたアシュレは、ため息を落とした。

「悪いが、おまえを国に返すわけにはいかない。俺と一緒に、交易路を開くために働いてもらう」

「……ればいい」

「なんだ?」

「好きにすればいい、と言いました」

 そういって、リューリは顔から手を離した。

 涙は流れていなかった。あきらめきったような、感情のぬけ落ちてしまったような顔で、リューリは天井を見ている。

 その顔をしばらく見ていたアシュレは立ち上がると、リューリをいちべつし、吐き捨てるように言った。

「そんなに嫌がるならやめといてやる。別に世継ぎはお前との子でなければならないというわけではないからな。そのかわり、人目のあるところでは仲のいい振りをするんだ。俺を拒むことは許さない」

 バタンと扉が閉まるのを、リューリは天井に顔を向けたままで聞いた。

「リューリ様!」

 すぐにエルダが駆け込んでくる。

 のろのろと体をおこすと、リューリは言った。

「大丈夫よ、エルダ。なにもされなかったし」

 夜会でやさしくされ愛情が持てるのではと期待した、皇帝アシュレとの関係は最悪のものになった。おまけに国に帰ることも許されない。それどころか、命の危険すらあるのだ。

 リューリは歯をくいしばった。

 ……私はそれでも生きていかねばならない。私自身が和平の証なのだから。


婚姻の儀


 鏡に映るのは、純白のドレスを着て頭に花飾りとベールをつけた、表情をなくした娘。

 リューリは、鏡に映る自分の姿を見ていた。いや、実際は目に映っていなかったのかもしれない。本当に見えていたのは、絶望の淵を覗き込む、自分の姿だ。

 一ヶ月は瞬く間に過ぎ、リューリはアシュレとの婚姻の日を迎えていた。

「本当に、なんておきれいなんでしょう。亡くなったリューリ様のお母様にも見せてさし上げたいですねぇ」

 リューリのうしろに立って、エルダがほぉーとため息とともに言う。

 コンコンというノックの音とともに、イーノックが現われ、リューリは王宮の中にある礼拝所に向かった。

 いつかのように扉を開けた向こうには、神の像の前に本当に天から降臨した神のような凛々しさで、皇帝アシュレが立っているのが見えた。

 アシュレのもとまでリューリは歩く。一足ごとに、アシュレの姿がしっかりと見えてくる。

 青みがかった黒髪の下の切れ長な目は細められ、口もとには笑みが浮かんでいるが、それが偽りの姿だということをリューリはもう知っている。

 夜会の日から一ヶ月。

 昼食を一緒にとる以外は、ほとんど捨て置かれたようなものだった。昼食のときも、人の目があるときは笑みを浮かべているアシュレの口もとも、誰もいなくなれば、ぎゅっと引き下げられむっつりと黙ってしまう。

 笑っている顔がにこやかであればあるほど、その落差ははげしく、リューリも一緒に押し黙った。

 交わす言葉はもちろん、交わす視線すらない。それがふたりの本当の姿であり、こっけいなことに、これから生涯をともにすると誓う相手なのだ。

 婚礼の儀式の後は、皇妃としてのたいかんの儀式。そしてそれらに引き続き、夜会が開かれて、すべての行事が終わったのは、もうあと一時間もすれば日付が変わるという頃だった。

 やっと寝台に潜り込めると思ったリューリは、女官たちの手で入念に体を洗われ、そして体や髪の手入れを施されている。

 そのときになってやっとリューリは、今日からはいつもの寝台では休めないこと、そして、すべての儀式が終わったわけではないということに気がついた。

 体と髪の手入れが終わると、レースをあしらった美しい夜着を着せられ女官たちに手を引かれて、大人がゆうに三人は眠れそうな、寝台だけが置かれた部屋へ導かれる。

 寝台の脇に立ったリューリを残し、女官たちは腰をおって礼をすると部屋を出ていった。

 さっきから、熱でもあるみたいに頭がぼーっとする。これからおこることを考えると、頭のもやもやがひどくなるような気がした。

 皇帝陛下はここに来るのかしら。でも、別に世継ぎは私との子でなくてもいいとおっしゃられた……。

 先に横になって休みたかったが、そんなわけにはいくまい。

 仕方なく、壁にそって置かれた椅子のひとつに座りリューリはうつむいた。眠ってはいけないと思うが、瞼が重く下がってくる。夢とうつつの間を行ったり来たりしながら、リューリは子守唄を聞いていた。

 懐かしい……声……。

 歌っているのは母で、自分はまだ幼い子供だ。暖かく、お日様の匂いのする掛け布団にくるまって、背中をとんとんと叩いてもらっている。母の手の温もりにつつまれて、心地よく眠りについていたあの頃。

 あの頃のように、すべてを委ねて、このまま心地よい眠りの中に落ちていきたい、そう思ったとき――。

 扉の閉まる音と部屋の灯りが落とされる気配を感じとったリューリは、はっと目を覚ました。知らぬ間に、椅子に腰掛けたまま眠っていたらしい。

 がたっと椅子をならして立ち上がると、寝台に潜り込もうとしているアシュレの姿が目に入った。

「なんだ、おきたのか」

「皇帝陛下……」

「そのまま寝ていてかまわない」

 そう言い置くと、アシュレはさっさと寝台に潜り込んだ。

 そのままって……この椅子で眠れってこと? 疲れているのだ、できれば寝台で手足を伸ばして休みたい。だけど、寝台にはアシュレがいて……。

 どうすることもできなくて、リューリは椅子の前に立ちつくした。

 しばらくして、眠ったかと思ったアシュレが、かけ布をめくるとおき上がった。

「そんなところで突っ立っていられたら、こっちが眠れん」

 そう不機嫌な声でつぶやき寝台から降りると、リューリに近づいてくる。

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