冷酷皇帝と偽りの花嫁~政略からはじまる恋の行方~

みなと蒼

ふたりの間にあるもの (2)

 リューリの心臓は早鐘のように打ちはじめ、頬の熱さはさらに強くなる。心は、水面に立つさざなみのように震えた。とてもアシュレの視線を受け止めてはいられなくて、そっと目を伏せた。

 だめだわ、たくさんの人に見られているのだもの、しっかりしなくては。

 さざめき立つ心をなんとか鎮めようと、ほっと短く息を吐き、ふたたび瞼を持ち上げる。

 それでも、アシュレの顔をまともに見ることはできなくて、リューリはアシュレの襟もと辺りに視線を彷徨さまよわせた。

 アシュレはそんなリューリをくるりと振り向かせ、自分の隣に立たせると、りんとした声で告げた。

「ここに、オニギス公国より姫をお迎えした。今宵は歓迎の宴であるゆえ、皆もくつろぎ、多いに楽しまれよ」

 それから、リューリはアシュレのそばから離れず、たくさんの人たちの挨拶を受けた。

 その間もずっと指先は繋がれたままで、アシュレは切れ長の目を細め、口もとには笑みを浮かべながら、臣下より言葉を受けている。

 そして臣下の言葉がリューリに向けられると、アシュレは笑みをくずさず、リューリの顔を覗き込んだ。

 繋がれたままの指先が熱くて、リューリは顔の火照りが冷めない。でも、指を振りほどきたいとは思わなかった。こうして触れ合っていることが、恥ずかしくもうれしい。

 噂では、アシュレは父を殺し、その配下の者にも容赦なく処罰を与えたとして、冷血無情な皇帝と言われていたはずだ。それが、こんなふうににこやかに笑って、自分の隣に立っているなんて。どんな冷たい言葉を浴びせられるか、どんな理不尽な扱いを受けるかと思って来たのに。

 丸一日、放っておかれたことも、痛む体のことも忘れ、リューリは幸せな笑みを浮かべた。胸の内にたまっていた不安が、きれいに洗い流されていく。

 アシュレの笑顔は、すべての者を惹きつける。

 見惚れていたリューリは、唐突にアシュレに声をかけられてはっと、我に返った。

「まだ長旅の後で、疲れているだろう。ここはもういい。部屋に帰って休まれよ」

 アシュレはリューリの顔を見ないで言う。そしてリューリの返事を聞かぬまま、その旨を会場にいる者たちに告げると近寄ってきた側付きの者に、繋いでいたリューリの手を渡した。

 指先が離れていくとともに、温かな熱が逃げていくようで、リューリは離れていったアシュレの手を目で追いかける。

「こちらでございます」

 そう言われ、リューリは大広間を後にした。


「本当にようございました。皇帝陛下がそのように、おやさしい方で」

 リューリの髪をきながら、エルダは目を潤ませながら微笑んだ。

 その顔を見て、リューリも微笑む。

 広間から部屋に戻り、リューリはもう夜着に着替えていた。

 アシュレの言うように、旅の疲れがとれないままの夜会で思ったよりも疲れているようだ。しかし、体は疲れているが心は満たされていた。

 アシュレ様があのようなお方だったなんて……。噂は、やっぱり噂でしかなかったのだわ。父親を殺し、皇帝の座についた男。冷たい心の持ち主だと聞いていた。

 でも本当は違う……。

 繋いだ指先の震えまでも思い出し、リューリの胸は甘やかな気持ちで満たされる。思わず口もとをほころばせ、そしてそのまま、小さなあくびをひとつしたとき、扉の向こうが騒がしくなり、突然、扉が開いた。

 何事かと振り向いたそこには、皇帝アシュレが立っていて、そのうしろに衛兵が戸惑ったような顔で、アシュレとリューリを見ている。

「このような時間に、姫様のもとになんの先触れもなくお渡りとは、如何いかがな用件でございましょうか」

 唖然と突っ立ったままのリューリの隣で、エルダがきちんと礼をすると、顔を伏せたままアシュレに問いかけた。

「失礼は承知だ。姫に話がある。人払いを命じる。下がっておれ」

 皇帝の命令に戸惑って、エルダはリューリを見る。なにしろリューリは薄い夜着一枚を着ているだけだ。

 リューリは、はっと胸もとをき合わせると、

「しばらく隣の間にてお待ちいただけませんか。身支度を整えてからまいります」

 と言って、腰をおった。

「そのままで、かまわぬ」

「しかし……」

 そう言いかけて、リューリは口をつぐんだ。

 アシュレの自分を見る目が冷たいと感じるのは気のせいだろうか。先ほどまで、あんなに魅力的な顔で自分に微笑んでくれた人とは別人のよう。

 湧き上がる不安を打ち消しながらリューリは、「わかりました」と答えた。

 エルダを下がらせ、リューリは夜着の上にガウンをはおるともう一度、アシュレに向かって礼をした。

 大丈夫、きっと気のせいよ。顔をおこしたら、今度は私から微笑みかけよう。

 そう思って顔を上げると、いつの間に近づいたのか、アシュレが目の前にいた。

 間近で見るアシュレの目は、やはり冷たく、夜色の瞳の奥には怒りが感じ取れた。

 リューリはとても微笑むことができず、顔を強ばらせた。

 すっと伸ばされた、アシュレの手が近づいてくる。

 冷めた目でリューリを見下ろし、アシュレは今度は指先ではなく、リューリのやわらかい髪を一房つまみ上げると、ぎゅっと力を込めて握りつぶした。

「ふん、見くびられたものだ。皇妃にしょうふくの娘を差し出してくるとはな」

 握りつぶされた髪を唖然と見つめるリューリに、今度は低く冷たい声が落とされる。

「……っ!」

「和平の条件をのんだのは、仕方なくだということをわからせるためだろうが、あのプライドの高いオニギスの王族がこうやってクルセルトに来ただけでも、よしとするべきか」

 冷たい目で見据えられ、すべきもののように言われてリューリはすくみ上がった。

 いったいこれは、どういうこと……? 疑問が胸の中に湧き上がる。

 ぐいっと髪の毛を引っぱられ、よろけたところをドンと押されて、リューリはソファに倒れ込んだ。その上にアシュレが覆いかぶさる。

「おやめください、皇帝陛下! まだ婚姻前でございます」

 必死でリューリは押しとどめようとするが、アシュレは聞く耳を持たない。

 首筋に顔をうめられ、口づけられる。アシュレの骨張った大きな手が胸の上に置かれ、乳房をぎゅうと握りつぶした。

 驚きとしゅうと痛みで、リューリの顔がゆがむ。

「このようなことをして、和平条約をなしにするおつもりですか!」

 リューリの顔の両脇に手をついたアシュレはリューリを見下ろしながら、ゆがんだ笑みを漏らした。

「お前が黙っていれば、問題にはならない。それに和平条約が反故ほごになろうが、俺はどんなことがあってもパズラーン運河の交易を開き、国交を広げるぞ」

「そんなこと、できるはずがありません!」

 リューリは叫んだ。

 オニギスとクルセルトはカラムコン山脈とパズラーン運河を境として、領土を接しているが、クルセルト国の北方に位置するカラムコン山脈は、高俊な山々が連なり、国交となる道は狭く細い。

 だから、オニギスの西方とクルセルトの東方の間にあるパズラーン運河が国交の要だ。

 運河の通行料は両国に入るが、多くが運河のある土地を治めている領主のもとに入る。国に入るものは微々たるものだ。

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