冷酷皇帝と偽りの花嫁~政略からはじまる恋の行方~

みなと蒼

ふたりの間にあるもの (1)

クルセルトへ


 ガラガラと車輪の音が響く中、向かいの席に座っていた侍女のエルダが、そっと声をかけてきた。

「リューリ様」

 そう言って、彼女の目は窓の外に向く。

 言おうとすることがわかって、リューリはうなずいた。

 馬車の窓からは、小高い丘にそびえるけんろうな城壁を持った城とそのひざもとに広がる街が見えた。

 クルセルト城と、帝都セルトだ。


 オニギス公国第三王女リューリイム=フォン=オニギスは、和平条約に基づく婚姻のためクルセルト国皇帝アシュレ=デュ=クルセルトのもとに輿こしれする。

 戦争がはじまったのは、五年前。まだ、リューリが十四歳のときだった。

 オニギス公国とクルセルトはパズラーンと呼ばれる運河で東西を接するかたちになっており、その運河の通行を巡っての小さな争いが火種だった。

 オニギス公国は小さいとはいえ、古く歴史のある国。それに対して、クルセルト国は何度も支配者が変わり、今のクルセルト国として成り立ったのは、ほんの八十年ほど前だ。そういった若い国にたてつかれ、オニギスが威信をかけてこれをねじ伏せようとし、大きな争いに発展した。

 戦いはオニギス公国に利があり、苦もなく決着がつくかに思われた。

 しかし、思いのほかクルセルト国は粘り強く、決着がつかぬまま泥沼化し、戦いは長引いた。そんな中、クルセルト国の皇帝が、その息子である王子に討ち取られたといううわさが広まり、これを好機と見たオニギスが国をあげ戦いにのぞんだのが、一年前。

 だが、神はオニギスに味方しなかった。戦いは、クルセルトが優位に立ったまま続き、オニギスの民は疲弊した。

 そして二ヶ月前、クルセルト側から戦争の終結を申し込まれ、オニギスは悔恨を残しながらも、これに同意。両国間に和平条約が結ばれた。

 そしてその証に、オニギスより姫がクルセルトに輿入れする。

 輿入れとは名ばかりで体のいい人質だ。もっとも、自分に人質の価値があるかどうかわからないけれど……、リューリは胸の内でつぶやく。

 馬車は帝都をぬけ、間近に城門が迫ってきていた。

 石積みの門はなんの装飾もなく素っ気なく、外と中を隔絶するように大きくそびえ立っている。華麗なレリーフを掲げる、祖国の城門とは大違いだ。

 そのことが、これから向かう先のすべてのことを表しているような気がしてリューリは身震いをした。


「リューリ様、大丈夫でございますか?」

「ええ、まさか、着いた翌日に夜会だとは思わなかったけれど」

 数人の女官がリューリの身支度を終え、去っていったのを見て、エルダがそっとリューリの手をにぎった。

 大丈夫だと答えたものの、三日に渡る長い馬車の旅の後だ。体の節々が、まだ痛くてしょうがない。それなのにギュウギュウにコルセットを引きしぼられ、髪もきっちりと結い上げられて。その上、これから衆人の目にさらされに行くのかと思うとため息が出る。

 おまけに、昨日の夕方に城についてから今に至るまで、皇帝アシュレ=デュ=クルセルトにはお目にかかっていない。

 今晩、会うことになるのだろうけど、どう振る舞えばよいか見当もつかないだけに、大勢の目がある中での初めての謁見は、気が重かった。

 何度目になるかわからないため息をそっと吐いたところで、コンコンと部屋の扉がノックされた。

 どうぞと声をかけると、扉が開き、見事な金髪の柔和な顔立ちの青年が、穏やかな笑みを浮かべ、リューリに向かって丁寧におじぎをした。

「リューリ様、初めてお目にかかります。皇帝陛下の執務補佐官を務めております、イーノック=バルバリーと申します。リューリ様を夜会の間におつれするようにという命を受けてまいりました」

 そう言って、イーノックと名乗った青年は、リューリの近くまで来るとそっと手をさし出した。

 その手に自分の手を重ねながら、リューリはきゅっと唇を引き結ぶ。

 右も左もわからない中で、ここから先は自分ただひとり。心細くないわけではないが、嘆いてみたところで、なにも変わらない。

 覚悟を決めるしかないわ……。

 リューリは、から立ち上がった。

 イーノックにエスコートされながら長い回廊をぬける。

「リューリ様、旅の疲れはまだお残りでしょうね」

 イーノックがやわらかい微笑みを浮かべたまま話しかけてきた。

「いえ、大丈夫です」

「皇帝陛下も気にかけておいででした。政務が忙しく、まだリューリ様のもとに足を向けていないことも」

「ご心配にはおよびませんわ」

 ようは、人質なんだもの。丸一日捨て置いてもかまわないと思っているに違いないわ、とリューリは思う。

 話しているうちに大広間の扉の前につき、イーノックは「では、のちほど」と言うと、リューリから離れていった。

 この扉の向こうにどんな世界が待ち受けているのか。期待など少しも湧いてこない。市場に売られに引きずり出された山羊のような気持ちだ。いっそ、このままずっと扉が開かれなければいいのに。でも、そんなわけにはいかない。

 きしむ音を立てながら、わずかずつ扉は開いていき、リューリが伏せていた顔をおこす頃には扉は完全に開ききった。

 リューリは、しゃんと顔を上げ、広間の中を見た。

 真ん中にしかれた長く紅いじゅうたんの先に玉座があり男がひとり座っているのが見える。

 絨毯の左右には、着飾った人々であふれていた。

 リューリは、もう一度背筋をしゃんと伸ばし、ひと息、息を吸うと一歩をふみ出した。

 しつけな視線がささる。ひそひそとささやかれる声が耳の中へ入り込む。

 回れ右をして、広間から走り去りたい……そう思う気持ちを押し殺しながら、リューリは一歩一歩足を進める。玉座までが果てしない長さのように感じた。やっと玉座の下までたどり着き、顔を上げると、見下ろす皇帝の視線とぶつかった。

 青みがかった黒髪、そしてその瞳も、夜の空を思わせるような色だ。切れ長の目には、なんの感情も浮かばず、ただリューリを見下ろしている。玉座の下のリューリを見ているのに、皇帝の引き結ばれた唇は、なにもリューリに語りかけてこない。

 とても整った顔立ちなのに、冷たく感じるわ……。なぜ、なにも言わないのかしら? 自分がここにいることを、暗に非難されているようなそんな気持ちになり、沈黙に堪えきれなくなったリューリが、なにか言おうと口を開きかけたとき、すっと皇帝アシュレが立ち上がった。

 立ち上がると、ずいぶん背が高いことがわかる。

 リューリから目を離さず、射すくめるように見つめたまま玉座の階段をおりたアシュレは、リューリのそばまで来ると、そっとリューリの手を持ちあげ、指先に口づけをした。

 えっ?

 リューリの口から言葉にならない、驚きの声が漏れた。ただぜんと、自分の指先に口づけているアシュレを見る。だが、口づけられているのだとあらためて思い至ったったとき、リューリの頬が赤くそまり、預けたままの指先が震えた。

 こんな、こんなことって……。

 そして、伏せられていたアシュレのまぶたがゆっくりと持ち上がり、切れ長の目を細めると、アシュレはリューリに笑いかけた。

 その笑顔にリューリは見惚れた。なんて、魅力的な顔をされるんだろう。

「冷酷皇帝と偽りの花嫁~政略からはじまる恋の行方~」を読んでいる人はこの作品も読んでいます