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溺愛恋鎖~強引な副社長に甘やかされてます~

きたみまゆ

1 不愛想な秘書 突然のキスに混乱する (2)

「はい。なにも問題はないので大丈夫です。では、失礼いたします」

 激しく首を振ったせいでずり落ちた眼鏡を押し上げながら、なんとか平静を装い社長室を出る。

 そして乱れまくったメンタルを立て直すために化粧室へと向かった。

 鏡の前で、はぁーっと大きく息を吐き出す。

 肺の中の空気を空っぽにして顔を上げると、そこに映っているのは眼鏡をかけたかわいげのない女。すっかり見慣れた自分の姿だ。

 この唇に、副社長がキスをした。そう思いながら、そっと手の甲で口もとを隠す。

 唇に、自分以外の体温を押しつけられたのは初めてだった。

 膝の上に抱き上げられ、私を見上げる彼から戯れるようにキスをされた。

 触れては離れる短いキス。三回までは数えて、その後深くなっていくキスをどう数えればいいのかわからなくなった。

 角度を変えて唇を食まれる。舌がやわらかな粘膜をなぞる。真っ黒な瞳がじっと私を見つめる。

 それだけで背筋がとろけそうになった。

 キスが、あんなにも気持ちがよくて秘密めいた行為だなんて知らなかった。

 思い出すだけで、首筋の辺りがくすぐったくて落ち着かない気分になる。

 それにしても、なんで副社長は私にキスなんかしたんだろう?

 キスをされる前に、なにか言われたような気もするけど……。

 昨夜のことを思い出そうとしたけれど、酔っていたせいか記憶が曖昧で副社長とどんな会話をしたのか覚えていない。

 副社長のただの気まぐれだったのか、それとも相当なキス魔なのか。

 どちらにしてもモテる副社長にとっては、あのキスに深い意味はないに決まっている。

 昨夜、キスをしながらするりと腰をなでられて、正気に戻った私は慌ててバッグをひっつかみ、逃げるように店を後にした。

 そして本日、副社長とはまだ顔を合わせていない。

 勝手に帰って怒っているかな。いや、怒る権利があるのは、キスをされた私の方だし。

 ぐるぐる考えて、ため息を吐き出す。

「気まずすぎる……」

 そうつぶやきながら秘書室へと戻ると、同じく秘書室勤務の同僚たちが目に入った。

 その中で、副社長付きの秘書、秘書室の中で一番年下のともながさんに目が留まる。彼女は秘書室長となにかを話していた。

 私より身長が二十センチ近く低い小柄な体に、上品な栗色に染められた髪。フェミニンなスーツを着た華奢な肩。つやつや光る桜貝のような爪。まばたきするたびに綺麗にカールされたまつ毛が揺れ、ナチュラルなピンクのチークがのった頬がかわいらしい。

 友永さんはいつも華やかで、見ているだけで癒される……。

 私は、自分とは正反対の華奢でかわいらしい女の子が大好きだ。

 小柄な彼女がきびきびと働いたり笑い合ったりしているのを見ると、私の心はとても安らぐ。

 小さな頃、おとぎ話の中で幸せに笑うプリンセスを眺めていた気分に近いのかも。

 こうやってひっそりとかわいらしい女の子を眺めて癒されるのは、私のひそかな楽しみだった。

 あー、頬が緩んで勝手に口もとがにやける。だめだ、働け表情筋。女の子をじっと見ながらにやにやしていたら、気持ち悪がられてしまう。

 そう思い、きゅっと口もとに力を入れて、だらけそうになる表情筋を引きしめる。

 すると、私に気づいた友永さんが秘書室長との談笑をやめ、慌てて背筋を伸ばした。

 ぺこりとこちらに頭を下げて、そそくさと歩いていく。

 あぁ……。もっとあの可憐な姿を見ていたかったのに……。

 なごり惜しくて彼女の華奢な背中をじっと見ていると、四十代のくわ室長に渋い顔をされた。

「南、あんまり無差別に周りを怖がらせないように」

 少し神経質そうな細身の室長が、私を見上げながら言う。

「怖がらせているつもりはまったくないんですが」

 私はただ、憧れと親愛を込めた視線で友永さんを見つめていただけなんですけど。

 言っている意味がわからなくて真顔で首をかしげる私の肩を、室長があきれた表情でぽんと叩いた。

「え? え?」

 なになに。私なにかあきれられるようなこと、した?

 意味が分からず困惑していると、背後から「ぶふぁっ」と噴き出すような笑い声が聞こえた。

 振り向くと、そこにいたのは口もとに手をあてて笑いをこらえる緒方副社長。

 肩書は副社長だけど彼はどちらかというと最高技術責任者、CTOに近く、社外の取引先との会合や渉外はすべて都倉社長が引き受けているので、普段からスーツではなくカジュアルな服装だ。

 黒いニットに細身のデニムというラフな格好で、腹を抱えて笑いをかみ殺している。

「副社長。おはようございます」

 桑田室長の声に、ようやく笑いが収まってきた副社長がうなずきながら「おはよう」と挨拶を返す。

 そして視線がこちらに流れてきた。

 少しウェーブのかかった黒髪に、彫りの深い顔が男らしい。粗暴な仕草やそっけない口調から近寄りがたく野性的な印象の副社長だけど、よく見るとものすごく整った顔をしている。

 身長はモデル体型の都倉社長よりもさらに高く、一八五センチ近くはある。

 私のことを余裕で見下ろせる、希少な日本人男性のひとりだ。

 ――この人と、昨日、キスした。

 改めて自覚して、一気に頬が熱くなる。

 すると、長い腕がこちらに伸びてきた。

「南。お前、ほんとかわいいな」

 そう言って、くしゃりと髪をかきまぜられた。

「か……っ!?

 かわいいって!

 私は驚きで、目を見開いて凍りつく。

 まるで小さな女の子をかわいがるような副社長の態度に、混乱と動揺で一気に血流が早くなる。

 あれ、私は寝ぼけているのかな。

 眉間のしわと舌打ちが標準装備の副社長が、私に向かって笑顔で『かわいい』と言うなんて。

 しかも、髪の毛を優しくくしゃって……。

 たった今起きた出来事がとても理解できなくて放心していると、副社長が出社したのに気づいたのか、社長室の扉が開いた。

「緒方。ちょっといいか」

「んー」

 社長に声をかけられた副社長が気楽な様子でうなずいて、いまだに凍りつく私の前を涼しい顔で横切っていく。

 呆然とする私を置き去りにして社長室のドアが閉まると、その場にいた人間の視線が一気に私に集まった。

「南さん、なに今の!」

 ものすごい剣幕で尋ねられたけど、そんなの、聞きたいのはこっちの方だ。


 緒方たく、三十一歳。TKクリエイション副社長。

 ひとつ年上の都倉社長とは、大学時代から交流があったらしい。

 その頃はまだ今ほど一般的ではなかったプロジェクションマッピングを、お遊び感覚で手のひらサイズで再現してみせたという緒方副社長。その発想とセンスに惚れ込んだ社長が、父親の経営する建設会社に誘ったそうだ。

 そして彼らがいた部署を子会社として独立させる話が出たとき、社長は緒方が一緒なら絶対に成功させてみせると言い切ったという。

 社長が全幅の信頼を寄せるほど、緒方副社長はできる男だ。

 冷静な経営判断と社交性で社外との信頼を築き会社を発展させる社長と、厳しさとカリスマ性で現場を引っ張る副社長。とてもいいコンビだと思う。

 長身で男らしく、黙っていれば思わず見入ってしまう色気をまとう副社長。だが一度口を開けば、見惚れた時間を返してと思いたくなるほど口が悪く横柄だ。

 そんな副社長が、『かわいいな』って微笑んだ……?

「副社長があんなに機嫌よく笑うなんて、今日は嵐が来るかもしれない」

 深刻な口調でそうつぶやいた桑田室長の言葉を聞いて、みんなが慌てて天気予報をチェックし始めた。

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