妹さえいればいい。
天才で変態 (1)
天才で変態
羽島伊月の部屋は3階建てマンションの2階で、築10年、鉄筋構造、間取りは1K、床はフローリング、洗濯機は室内、バス・トイレは一緒。
室内には仕事用の机、折り畳みベッド、テレビ、大きめの炬燵、スチール製の多目的棚が隙間なく配置されており、棚には本、CD、ゲームソフト、DVD、ボードゲーム、フィギュアなどが整然と並んでいる。
物が多いため手狭な感はどうしても否めないが、1人暮らしの男性の部屋にしては片付いているほうだろう。部屋の主本人ではなく100%弟の功績だが。
そんな伊月の部屋は、彼の小説を出版している出版社から徒歩で5分、最寄りの駅からは徒歩10分というアクセスのよい場所にあるため、同じ出版社で仕事をしている作家たちにとって格好のたまり場になっていた。
引っ越したばかりのときに勢いで大きめの炬燵を注文して、届いたときには「邪魔になるんじゃないか……」と後悔したものだが、今では来客用に大活躍している。
まさに今も、伊月の部屋を訪れた1人の作家が、炬燵でくつろいでいる。
無表情で黙々と小説を読んでいるのは可児那由多。
年は18歳。
銀髪碧眼のまるで妖精のように現実離れした美しい顔立ちの少女で、細身でやや小柄ながら胸はかなり大きい。
可児那由多というのはペンネームで、本名は伊月も知らない。
1年前に伊月と同じ新人賞からデビューした、いわゆる後輩にあたる。
デビュー作である『銀色景色』がいきなり大好評を博して以後、世界観を同じくする『景色』シリーズは発表されるたびに絶賛され売り上げも伸び続け、現在では4冊目にして伊月の全作品の累計部数を軽く上回るほどの大ヒットとなっている。後輩が先輩をサクッと追い抜いてしまうのは、この業界ではよくあることだ。
那由多と伊月が出逢ったのは彼女がデビューする少し前──新人賞の授賞パーティーでのことだった。
他の作家たちと喋っていた伊月のところに、その日の主役の1人である那由多(当時17歳)が担当に案内されてやってきて、可憐な顔を紅潮させ潤んだ瞳で伊月を見つめ、いきなり、
「──好きです」
伊月を含めその場にいた全員が噴いた。それから続けて、
「──羽島先生の作品が」
「「「まぎらわしい!」」」
全員がツッコむも、那由多は急に微動だにしなくなった。
怪訝に思いながら伊月が彼女の顔を見ていると、その白い肌が次第に色白を通り越して真っ青になっていき、
「げええええええええ」
リバース。
初対面の少女にゲロをぶっかけられたのは伊月の人生で初めてだった。というか、他人にゲロをぶっかけられたのが生まれて初めてだった。
あとで聞いた話では、憧れの作家に会って緊張のあまり戻してしまったらしい。
2日後に那由多は改めて担当編集と一緒にクリーニング代と菓子折を持って伊月の部屋に謝罪に訪れ、伊月は快く許した。
──この俺の作品を好きだとは、なかなかよくわかっているじゃないか。先輩として特別に目をかけてやろう。本の帯に推薦文を書いてやってもいいし、なんなら小説の書き方を直々に伝授してやってもいいかなフハハハハハ!!
そのときは超上から目線でそんなことを思ったのだが──。
「先輩、お腹がすきました」
仕事机でパソコンに向かっていた伊月に、那由多が淡々と声をかけてきた。
時計は午後7時を示している。
「そうだな……そろそろ飯にするか。何か食いたいものはあるか?」
「先輩のおちんちんがいいです」
「そういえば昨日千尋が作り置きしておいてくれたエビチリと炒飯があるな。それにしよう」
「……スルーするなら最初からかないでください」
むくれる那由多を尻目に、伊月は冷凍庫からタッパーに入れられたエビチリと炒飯を取り出してレンジで温めた。
炬燵の上に料理を並べ、2人で食べ始める。
熱い炒飯に一生懸命息を吹きかけ、小さな口でモソモソと咀嚼する那由多の様子はどことなく猫っぽい。
「はふはふ……先輩の部屋に来ると炬燵で美味しい手料理が食べられる……結婚してください」

「黙れカニ公。つーか俺の手料理じゃない。そもそもお前は実家住まいだろう。手料理食べ放題じゃないのか?」
「最近お母さん出かけることが多くてあまりご飯作ってくれないんです」
「ふん、料理くらい自分で作れるようになれ」
上から目線の伊月に、那由多はジト目を向ける。
「……先輩だって料理なんてまったくできないじゃないですか」
「……う」
一応伊月にも、いつまでも弟に頼りっぱなしというのもアレだし、料理を作れるようになりたいという気持ちはあるのだが、気持ちだけだった。
「お、俺だって、『はがない』の小鳩神とか『俺ガイル』の小町神のような妹がいれば、妹のために本気で料理を習得している!」
「……先輩の妹好きは相変わらずですね。だったら『俺妹』の桐乃ちゃんみたいなちょっとキツめの子はどうですか?」
「もちろん手料理を作って差し上げたいのは山々だが桐乃神にはどちらかというと喜んでもらうよりは『ハァ? 料理もできないなんてアンタってホント使えないわね!』と罵られたいのであえて習得しない」
流れるように即答する伊月に那由多はジト目を向け、
「……病気ですね」
「妹で病むなら本望だッ! ……とにかく、俺が料理とか家事とかできないのはどう考えても俺に妹がいないのが悪い。妹さえいれば人生は常に最高なのに、なぜ俺には妹がいないのか……」
「……だったらご両親に頑張ってもらうしかないですね」
那由多の現実的な意見に対し、伊月はさっきまでの饒舌ぶりとはうって変わって、ばつが悪そうに口ごもる。
「…………そういう生々しいのはちょっと、なんか……まじでやめろ」
伊月の父親と千尋の母親が再婚して3年。
夫婦仲は良好な様子で、しかも母はまだ30代で若々しく、新しく弟か妹が誕生するというのは十分に現実味のある話なのだった。
そして実際にそういう事態になったとき、自分がどう反応すればいいのか、伊月にはわからない。
「めんどくさい人ですね」
那由多は呆れ混じりの優しい微笑をこぼし、
「そういえば新シリーズの原稿はどうですか? 初めてヒロインが妹じゃないあれ」
那由多には以前、『鮮紅の魔狩人(仮)』の第1章を読んでもらっていた。
とても好評で「続きもぜひ読ませてください」と言ってくれたのだが──、
「ふん……あれはボツにした」
不機嫌そうに言う伊月に、那由多は驚きの色を浮かべる。
「ボツ……? どうしてですか?」