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ヒロインな妹、悪役令嬢な私

佐藤真登

七歳編 (2)

「それはなんともよいことを聞きました。今後もクリスティーナ様が礼儀作法の授業から逃げるようなことがあれば、ミシュリー様に呼んでいただくことにいたしましょう」

「──ん?」

 いま大天使の声に交じって獄卒ごく そつ化生け しょうたぐいの声が聞こえた気がする。

 おそるおそる声のしたほうを振り返ってみたら、そこには長身痩躯そう くのオールドミス、マリーワ・トワネットが立っていた。

「……なんでここにいるんだ、マリーワ」

「私が叩き込んだ言葉遣いが少しでも使いこなせるようになっていると証明できたのならば、お教えしましょう」

「……どうしてここにいますの、ミス・トワネット」

 情報収集のためだ。ちょっと誇りを売り渡して、マリーワに習ったお嬢様言葉を使う。言葉遣い自体は合格点だったらしく、悪鬼羅刹あっ き ら せつなマリーワはあっさりと答えを話し始めた。

「木の上に隠れるというアホなことをしたお転婆てん ば様を探し当てるために、ミシュリーお嬢様のお力を借りたのです」

「なっ!? バカなことを言うな!」

 あり得ない説明に声を荒らげた私に対し、マリーワは器用に片まゆだけ上げて反応した。

「バカなこと、とは?」

「言うまでもない! 清廉せい れんが人の形となったミシュリーが、お前みたいな地獄の使いがたくらんだ計画に手を貸すわけないだろう!?

 ミシュリーはこの世で一番清らかな存在だ。児童虐待をとする悪魔にくみするはずがない。

「素晴らしい物言いですね、お嬢様。宣言どおり今日の授業は厳しくいきます。地獄をごろうじる覚悟はよろしいですか?」

「黙れ獄卒め! ミシュリーの行いを偽るような罪を犯したお前はさっさと地獄にかえ──」

「あ、あの、マリーワからおねえさまがまいごになったってきいて、ごはんのじかんにもこないからしんぱいで……」

「ごめんミシュリー! ミシュリーを心配させるなんて、お姉ちゃんバカだった!」

 世界一かわいい心配をしてくれている妹に抱きついて謝り倒す。

 マリーワとの言い争いなんて一瞬でどうでもいいことに成り下がった。地獄の鬼から逃げるのにかまけて妹を不安にさせてしまうなど、姉としてあるまじき失態だ。

 マリーワと私が言い争っているのになにか責任を感じてしまったのか、不安に揺れていた表情はぎゅうっと抱きしめているうちにだんだんと笑顔へ変化していった。

「え、えへへ」

 やはり私の妹は笑顔が似合う。腕の中に天使の体温を感じながらも改めて確信する。

「やっぱりミシュリーは世界で一番かわいいなぁ」

「も、もう、おねえさまったら……えへへ」

 ミシュリーの声にはもう不安もなく、にじむ照れと隠しきれない嬉しさにあふれている。妹の不安を取り除いたのならば、もはや万事が解決したも同然だ。

 残るはごくごく些細さ さいな問題が一つ。

「さて、お嬢様。姉妹の仲がよろしいのは幸いですが……もう、よろしいですね」

 獄卒による、行儀作法の授業という名の地獄めぐりツアーだ。

 しかし腕の中に最愛の天使がいる以上、私がここでおびえを見せるわけにはいかない。

「ふ」

 ミシュリーにつゆほどの不安も与えないよう、私は堂々と仁王立ちでマリーワに立ち向かう。

「ふ、ふふふ、ふわぁーっはっはっは! 当然だ! かかって来い、マリーワ・トワネット! 返り討ちにしてくれぐぎゃふん!」

「まずはその言葉遣いからです。なにを間違って覚えたか知りませんが、野卑な男言葉はたっぷりと矯正して差し上げますので、お覚悟を」

「お、おねえさま!? そ、それいたくないの?」

 それはもう痛い。最愛の妹の声援が、いまだけはちょっぴりと遠い。叩かれた頭を押さえ、涙目でうずくまりながら、私はすぐにやってくるだろう苦難に備え、鬼に立ち向かう勇気を固める。

 私はクリスティーナ・ノワール。天才だ。

 一歳で歩き始め、三歳で言葉を自在に操り、五歳で書斎の書物をことごとく読み尽くし、我が最愛の天使と出会うことで前世の知識を思い出した七歳児だ。


 私が思い出した前世の知識というものは、日常生活にあまり役立たない。思い出した知識は断片的なものばかり。知識と記憶は別物なので前世の人生のこともまるで思い出せないが、ミシュリーのいない人生の記憶なんて気になったこともない。

 だが、そんなガラクタのような知識の中で一つだけいまの私の人生に直結するものがあった。

 それが『迷宮デスティニー』とめい打たれた物語の知識である。

「はい、そうです。お嬢様、アゴはもう少し引いて……はい、そのままあと五分静止しましょう」

「むう……」

 マリーワによる行儀作法の授業中に、あまり自然でない体勢を強要され、うなりつつも言われたとおりにする。見栄えのよさと楽で自然な体勢というのは反比例するのだ。

 行儀作法というのは立ち方から始まる。

 足を揃え背筋せ すじをぴんと伸ばし手は前に合わせる。普段は使わない筋肉を酷使しつつも無理をしていると悟られないよう堂々と、それでいて楚々そ そとした立ち姿を作るのはなかなか難しい。

「マリーワ。なにかこう、膝の後ろがぴくぴくしてきたんだけど大丈夫か?」

「大丈夫です。死にはしません」

 大丈夫の基準に、私とマリーワとの間で大きな溝があると判明する発言が飛び出してきた。

「いや、おい。死ぬ寸前まで礼儀作法に身を捧げるつもりはこれっぽっちもないんだが」

「ですから大丈夫です。すぐに体も作り替えられて、つらいことも辛いと感じなくなります。第一いまは外面を繕っている最中ですので、お嬢様の心の動きなど知ったことではありません」

 あくまで職務に忠実で、軽口に乗ってこないマリーワの堅物さに唇をとがらせる。

「お嬢様。姿勢を保とうとするのに意識がいって、全身に力が入りすぎです。少し力を抜いて……それでも肩は下げずに、気は抜かずに、力みだけをなくしてください」

「イエス、マム!」

「意味はわかりかねますが、そのふざけた返答をもう一度繰り返してみなさい。今日のムチは一味違うと思い知るでしょう」

「はい、ミス・トワネット」

 ひゅんっ、と音を鳴らすムチを見て、慌てておしとやかなお嬢様の外面をかぶる。さっきの言葉は封印だ。やっぱり前世の知識なんて使いどころがないと改めて確信した。

 私が思い出した前世の知識は創作物の割合が多い。その記憶の中の一つに『迷宮デスティニー』はあった。前世では乙女おとめゲーと呼ばれていた娯楽の一種だ。デフォルメが駆使された人物が色鮮やかに描かれ、選択肢せん たく しのある物語がつむがれていく。それだけなら物珍しくもただの娯楽の知識として終わるのだが、その内容が自分の未来に関わるものなのだから驚愕きょう がくである。

『迷宮デスティニー』は、いまよりあと十年ほど未来の出来事が、ミシュリーを主役とした物語として描かれているのだ。

 私はミシュリーと出会い、そのかわいさに直撃された衝撃で『迷宮デスティニー』の物語をはじめとした前世の知識を思い出した。だがその知識はあくまで知識であって、記憶ではない。特異な知識ではあったけれども、その情報は天才として生まれ育ち形成された私の自意識をいささかも揺るがすものではなかった。

 つまり、私は生まれたときから私、クリスティーナ・ノワールである。

 そしていま現在に直結するとても重要なことになるのだが、思い出した知識によって私は未来の一部を先取りできるという圧倒的利点を得ているが、残念ながらその利点は礼儀作法という身体技法を伴う項目に一切貢献することはない。

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