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ヒロインな妹、悪役令嬢な私

佐藤真登

プロローグ / 七歳編 (1)

 私は、覚えている。

 かつて、そこには無条件の愛があった。小さかった私には絶対の庇護ひ ごしゃがいた。

 その人が、言ったのだ。

「すごい! もう歩けるなんて、クリスティーナは天才ね!」

 そう言ってくれたのだ。

 いまは空白になってしまったあの場所。そこからあふれた無条件の愛の言葉を。

 私は生涯忘れない。

 七歳編 


 木の上はよい。

 屋敷の庭にある立派な木によじ登った私は、しっかりとした枝に腰かけながらそう思った。

 私はクリスティーナ・ノワール。天才だ。

 一歳で歩き始め、三歳で言葉を自在に操り、五歳で書斎の書物をことごとく読み尽くした。七歳になったいまでも潤沢に湧き上がる才気は衰えることなく私の中に満ちている。

 そんな私が生まれたが家は三百年の歴史を誇るこうしゃくだ。我が家の庭は優秀な庭師によって代々管理されている。私がよじ登って腰かけているこの木なんて、もう百年も前から植えられているものらしい。

 百年たってもこの樹木には老いなんて微塵み じんもない。私の体重を支える枝はしっかりしており、寄りかかっている幹からは背中越しに静かで巨大な生命力が伝わってくる。

 そしてなにより素晴らしい利点が一つある。

「お嬢様? クリスティーナお嬢様ー?」

 青々と茂る枝葉は、下で私を捜している女性の目をさえぎってくれるのだ。

 枝葉の陰からこっそり声のぬしのぞき見る。私の名前を連呼しているのは三十代半ばほどの女性だ。そうしんで身長が高く、すらりと伸びた背筋せ すじは彼女のかっちりとした性格を表している。鷹を連想させるほど鋭い目つきで私のことを捜しているようだが、木の上に隠れているとは思っていないようだ。

 マリーワ・トワネット。私の教育係として我が家に雇われた家庭教師だ。

「クリスティーナお嬢様。どこにいらっしゃいますか、クリスティーナお嬢様。大丈夫です。いまなら怒りません。いまだけなら行儀作法の授業から逃げ出したことに関してなにもとがめないと誓いましょう。逆にいますぐでなければ、お嬢様は地獄の底で後悔することになります」

「……ふん。たかが雇われの身分で安いうそおどしをほざく」

 聞こえてきた嘘に鼻を鳴らしてせせら笑い、はるか高みから無駄な捜索を見下ろしマリーワの虚偽きょ ぎを断定する。

 なにせ私はこの世にまれなる天才児だ。一歳で歩き始め、三歳で言葉を自在に操り、五歳で書斎の本をことごとく読み尽くした。七歳になった今日この頃、父親を論破して涙目にさせてやったのは痛快な思い出だ。

 その天才たる私がマリーワの真意を読みきれないはずがない。

「どうせいま、私が降りてごめんなさいをしてもムチでたたくくせに」

 こっそり膝を抱えて、地上には決して届かない声量でつぶやく。

 ムチはダメだ。あれ、痛い。

 行儀作法の教師として我が家に召されているマリーワはムチを常備している。本人いわく矯正用に欠かせないものらしく、実際に遠慮なくビシバシとムチを入れてくる。特にマリーワは私の口調が気に入らないらしく、初日なんて一言口を開こうものならそのたびにムチが飛んだものだ。

 仮にも公爵家の一子たる私にムチを入れるってどういうことだと目に涙をためて権力を振りかざしてみたら、マリーワは冷たい目で「教育です」と言いきった。

 超怖かった。

 それはもう天才たる私を心胆寒からしめるものだった。あれは尊厳そん げんある人間を見る目ではない。まるで出来の悪い調教馬でも見下すような目つきはれいこくじょうと表現するほかなく、あまりの冷たさにふるえてなんの反論もできなかった。

 とはいえ、そんな恐怖で屈してしまってはノワール公爵家の天才児として生まれたクリスティーナ・ノワールの名前が泣く。だから今日も今日とて私はマリーワの授業をボイコットしているのだ。

「クリスティーナお嬢様? これが最終勧告です。この声が聞こえていてもなお出てこない場合……今日の授業はいつもよりはるかに厳しいものになります」

「……っ」

 しょ、しょせんは脅しだ。

 五分に一回はムチが飛ぶいつもより、はるかに厳しいと聞いて思わず肩がびくついてしまったが、その授業自体を行わせなければ私の勝ちなのだ。

 マリーワは当家の使用人とは違い、住み込みで働いているわけではない。馬車の送迎の時間は決まっており、それをのがすことはできないのだ。つまりその時間まで私が隠れひそんでいれば、マリーワは私に手出しはできない。よって私は時間がくるまでここで隠れていればいい。

 完璧かん ぺきだ。欠けているところなど一片もない、珠玉のごとく完璧な計画だ。

「クリスティーナお嬢様? ………………ちっ」

 息をひそめていると、やがて諦めたのかマリーワの姿は見えなくなった。最後に行儀作法の教師にあるまじき無作法が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。

「勝った……!」

 会心の勝利にガッツポーズを作る。

「はっはっは! マリーワめ! 所詮は雇われただけの身分だな! そのような身でこのノワール公爵家長女にして一子、クリスティーナ・ノワールに勝てるはずもないのにな! くっくっく、ふわぁーっはっはっはっはっは!」

 枝の上に仁王立に おう だちになって、高らかに笑う。木の上からの眺めはよく、そこで高笑いをするのはとても気分がよい。高貴な身分に生まれついたからか、私は高いところが好きなのだ。

 もちろん、視界のどこにもマリーワがいないのは確認済みだ。木の上で仁王立ちをして高笑いしているところなど見られたら、ムチで打たれるどころか枝から逆さで吊るされかねない。大げさなと思うことなかれ。あの家庭教師はしつけ拷問ごう もんの境がいまいちはっきりしていない節がある。たぶんやらないとは思うのだが、絶対にやらないとは言いきれないのだ。

「──ぇさまぁ」

 勝利の余韻に浸っていると、かすかに誰かの呼び声が聞こえた。

 とっさにしゃがみ込んで枝葉に姿をまぎらわす。マリーワではないようだが、彼女が発した尖兵せん ぺいの可能性は十分にある。もしこれがご飯の時間を知らせる呼び声だったとしても、空腹はぐっと我慢して隠れていよう。ここは誰であっても隠れ続けるのが賢い選択だ。それこそお父様が自ら私の捜索に乗り出してこようと隠れ続けよう。

 ムチに打たれる痛みを知っている私は固く決心しながら、そっと地上を覗き見た。

 そこには七歳の私よりさらに幼い少女の形をした、光り輝く大天使がいた。

「おねーさまぁ……どこにいるのぉ……」

「とうっ!」

 わずかに震えたか細い声。まだ幼いのに、それでも自分の足で私を捜す健気けな げな姿。その二つに、さっきの決意など放り出して枝から飛び降りた。七歳の私にとって少し危ない高さだったが、愛しの妹が呼んでいるのだ。無事に着地した私は立ち上がり不敵に笑う。

「ふっふっふ! 呼ばれて飛び出るお姉ちゃんだぞ、ミシュリー!」

「お、おねえさま……?」

 上から登場した私にびっくりしているのは、世界が認める美少女である妹だ。黒髪黒目というつまんない色合いの私と違い、妹の柔らかい金色の髪は陽光を受けて輝いている。空の青と地上の緑を混ぜ合わせたようにあおく澄んだ瞳は、突如として降ってきた私に驚いたのかまん丸になっていた。

 我が最愛の妹にして大天使、やがては世界に輝くその名をミシュリー・ノワールという。

「なんだミシュリー! 私のことを探してたんだろう? ミシュリーが呼べばお姉ちゃんはいつだってミシュリーのそばに駆けつけるから──」

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