御曹司と偽装結婚はじめます!

佐倉伊織

子猫と一緒に拾われました (2)

 渡りに船というのはこういうことを言うのかもしれない。子猫をひっくるめて、なんとかしてくれようとしている彼を信じてついていくことにした。

 だって、猫を見つめる彼の目がとても優しかったから。

「この子、大丈夫でしょうか……」

 プルプルと震えが止まらない子猫が心配で彼に尋ねると、「猫のことまでわからない」と返されて納得する。お医者さまとはいえ動物のことまでわからないのは当然だ。

「ただ、この雨で体温が下がっているだろうから、とにかく温めてやらないと」

 私はそう言われて、タオルでできるだけ子猫の体を拭いてやった。

「名前は?」

「この子、さっき会ったばっかりなんで、まだつけてません」

 私がそう言うと、彼は吹き出す。

「違うよ、君の」

 恥ずかしい。子猫のことで頭がいっぱいで、自分のことを聞かれているなんて少しも思わなかった。

「あっ、あまみやひなです」

「雨宮って、今日の天気にぴったりの名前だね」

 彼はすごい勢いで動くワイパーを見てクスッと笑う。

「たまたまです」

 私は少し口を尖らせながら言う。雨女なわけじゃない。今日はたまたまだ。

「あぁ、悪い。俺はがわすぐる。今日は結婚式だったの?」

 ハンドルを握る彼は、まっすぐ前を向いたままそう口にした。

「はい。友達の……」

 この服装に引き出物の大きな紙袋。結婚式帰りだということはすぐにわかっただろうけど、今の私はびしょ濡れの残念な姿だ。

「歳は……二十三、四くらい?」

「いえ、二十六歳です」

 わりと童顔に見られるからそう言われるのも不思議ではないけれど、こんなにみっともない姿を見られて恥ずかしい。年相応の女の色気もなにもない。

「そうなんだ」

「はい。香川さんは?」

「俺は三十になる」

『なる』ということは……。

「あの、もしかしてもうすぐお誕生日なんですか?」

「あぁ、明日なんだ」

「明日!」

 予想外の返答に、思わず大きな声が出た。

「猫がびっくりしてるぞ」

「ごめんなさい……」

 慌てて子猫を見つめると、「ミャーン」と小さな声で鳴いたので、思わず頬が緩んだ。


 彼の車は海沿いにある大きなタワーマンションの地下駐車場に入っていく。

「あっ、あの……もしかして、ここですか?」

「そうだけど」

 香川さんは平然とした顔をしているけれど、私は顎が外れそうだった。三階建ての私のマンションとはまるで違い、そのマンションは雲に届きそうなほど高く、もはや何階建てなのかすらわからない。さらに駐車場には高級外車がずらりと並んでいるので、圧倒されてしまう。

 映画の中の世界みたい。お医者さまって、やっぱりお金持ちなんだ……。

「歩ける?」

「はい。大丈夫だと……」

 彼と話していたら、動転していた気持ちも少し落ち着いた。もう歩けるはずだとドアを開け、降りようとすると、片方のヒールが折れていることに気づかず、足を着いてよろけてしまった。

「危ない!」

 助手席のほうに回り込んでいた香川さんは、とっさに私の腕を支えてくれた。

「まったく、ハラハラさせる」

「すみません……」

 迷惑をかけてばかりで申し訳ない。

「もう面倒だ」

 彼の言葉と同時に体がフワッと浮いた。また、抱き上げられたのだ。

「あっ、あの……パンプスを脱げば歩けます」

 慌ててそう言ったけれど、下ろしてくれない。

「いいから。雨宮さんは猫だけ守ってな」

「猫……」

 香川さんが私と同じように子猫を気遣ってくれるのがうれしくて、私は彼に甘えた。

 地下駐車場から乗ったエレベーターは、すごい速さで上へと上がっていく。そして四十三という表示で止まると、ドアが開いた。

 四十三階なんて高さの部屋に足を踏み入れるのは、初めての経験だった。

 彼は私を抱いたまま奥まで進み、ドアの前でやっと私を下ろした。

「ここ」

 彼は鍵を開け私を玄関に入れると、「ちょっと待って」と言って奥に行き、タオルを持ってきてくれた。

「体が冷えてる。ケガの治療の前に熱いシャワーを浴びておいで」

「でも……」

 初めて会った男の人の部屋で、いきなりシャワーを借りるなんて。

「そんなベタベタな服で上がられても困るだろ。なにか着替えを出しておくから」

 そう言った彼は、私から子猫をサッと奪うと、「こっち」と浴室に案内してくれた。

 たしかに、彼の車も汚してしまったし、これ以上迷惑をかけられない。それに、さっきから寒くてたまらない。

 彼も濡れているのに……と思ったけれど、ありがたくシャワーを借りることにした。

 香川さんに指摘された膝を見てみると、両脚とも子供みたいに擦りむいている。

 ストッキングもビリビリに破れたとんでもない姿を見られてしまったと、今さらながらに恥ずかしくなった。

 私の家の寝室くらいの広さはあろうかという浴室で、いつもより熱めのお湯で体を洗い流すと、ホッと気が抜ける。

 あのときとっさに道路に飛び出したものの、無事でよかった。

 浴室を出ると、いつ持ってきてくれたのか、彼のジャージが置かれていた。それを借りて着たけれど、あまりにブカブカで自分でも笑ってしまうほどだ。

「あの……ありがとうございました」

 そのままリビングに行くと、あまりの広さに驚いた。恐らく二十畳はあると思う。その片隅の床に座っていた彼は子猫を抱き、優しい目で見つめていた。

「俺も浴びてくる。コイツよろしく」

 彼から子猫を受け取ると、さっきとは別のタオルでくるまれている。

 香川さんも猫が好きみたい。あの優しい眼差しはそれを物語っていた。

「お前、かわいい顔してるね」

 助けたときは暗くてわからなかったけれど、茶色と白のいわゆる〝茶トラ〟柄の子猫は、濡れていた毛が乾くと、さっきよりも大きく見える。

 大きな目がジッと私を見つめるので、思わず目尻が下がった。

「お腹、空いてる?」

 なにをあげたらいいんだろう。牛乳? 猫を飼った経験のない私には、さっぱりわからない。しばらく猫と会話していると、香川さんが戻ってきた。

「あの、この子なにか食べさせたほうがいいですよね。牛乳かなにかありませんか?」

 ずうずうしいとは思ったけれど、今は香川さんに頼るしかない。

「牛乳はダメ。恐らく消化できなくて下痢をするからね。近くにペットショップがあるから、聞いて買ってくるよ」

「あっ、それなら私が……」

「それで行くつもり?」

 私が立ち上がると、香川さんは私の姿を見てニッと笑う。

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