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婚約恋愛~次期社長の独占ジェラシー~

若菜モモ

第一章 女はデリケートな生き物 (1)




第一章 女はデリケートな生き物



 お見合いの日から約一週間前の金曜日――。終業時間後、まだ残業している同僚のむらともの隣で、わたしは帰り支度をしていた。

「金曜日のデート、いいな~。明日のことを気にしないで会えるって幸せよね~。お泊まりもできるし」

 デスクの一番下の引き出しから白いレザーバッグを出したわたしを、知世が冷やかす。彼女は笑いながら、椅子の背もたれにぐぐっと体重をかけて伸びをしている。

「付き合ってもうすぐ一年でしょ? そろそろ結婚の話も出てくるんじゃない?」

 ホテルマンと半年前に出会い、付き合っていた知世だが、一ヵ月前に別れたばかり。

「そんな話、まったくないよ」

 それどころか、まだわたしたちは深い仲にもなっていない。

「花菜は仕事もできるけれど、良妻賢母って感じだからね~。早く結婚したほうが幸せになれそう」

「良妻賢母って……結婚なんて、まだまだだからね。じゃ、お先にっ!」

 見えない未来の話をするのは好きじゃない。わたしは曖昧に笑って、十三階の広報室を出た。

 上からやってきたエレベーターに乗り込むと、幼なじみであるたかみや京平がいた。退勤時間なのに、一分の隙もないパリッとした明るめのグレーのスーツ姿。そのスーツは上質な高級品だとひと目でわかる。

 京平はわたしが勤める大手化粧品会社、パルフェ・ミューズ・ジャパンの専務取締役。父親は社長で、彼はいわゆる御曹司。

 都内の難関国立大学を卒業後、MBAを取得するため、京平は二年間日本を離れていた。わが社の跡継ぎだから、彼にかかる重圧はかなりのものだろう。

 そして帰国後、会社の中枢であるブランドプロモーション部を経て、今年四月、専務取締役になった。

 百八十センチを超えるスラリとした長身に、せいかんな顔つき。運動神経は抜群で、幼い頃からテニスを習い、高校まで全国大会出場の常連だった。優勝したこともある。

 わたしより誕生日が半年ほど早い、二十七歳の同い年。来年の一月に二十七歳になるわたしとはほんの少しの差なのに、いつも上から目線の男。

「お疲れ」

 エレベーターに乗っていたのは京平だけ。腕を組んでいた彼は、わたしを見て口元に笑みを浮かべた。

「お疲れさまです」

 いつものように素敵な京平に、わたしは堅苦しく頭をペコッと下げる。

「お前、なに他人行儀になってるんだよ」

「た、他人行儀って。専務取締役が相手ですから」

 最近のわたしは、京平と昔みたいにじゃれ合うような会話ができなくなっていた。もちろん会社では立場が違うせいでもある。

 わたしの言葉に京平はつまらなさそうに、フンと鼻を鳴らす。

「おしゃれして、デートか?」

 彼はわたしのお気に入りのレモンイエローのAラインワンピース姿を、上から下まで切れ長の目で眺める。

「そんなにおしゃれなんてしてないよ。京平こそ、もう退勤? 早いね。デートなんじゃないの?」

 彼に四ヵ月前から恋人がいるのは知っている。それを教えてくれたのは、第一営業部にいる京平の弟、りょうへい

 わいい系のイケメンの遼平は、高校、大学とメンズ雑誌のモデルをしていた。去年わが社に入社し、営業部に配属されている。あいきょうのある彼は、会社のアイドル的存在にもなっている。兄の京平には手が届かないと思っている女性社員は、気さくに誰とでも話す遼平のほうを恋人にしたいと思っているよう。

 わたしにとって遼平は弟みたいなもので、彼も姉のように思ってくれているはず。SNSで頻繁にやり取りしている遼平は、わたしの情報源だった。

 京平と彼女が一緒にいるところを想像すると、胸が痛くなる。でもわたしにも彼はいる。京平に彼女ができるたび、わたしはショックを乗り越えてきた。

 そう……わたしは京平にずっと恋していた。

「この近くにしいダイニングバーができたらしい」

「そうなんだ……」

 わが社はぎんに本社をかまえている。ということは銀座界隈でデートなのね。

「デートじゃないけどな。花菜は? どこでデート?」

 京平からそう聞いて、内心ホッとしているわたし。わたしはデートなのに……。

しぶ

「渋谷か、ずいぶん行ってない。若いな」

 少しバカにしたような京平の言い方にムッとする。

 そこでエレベーターは一階に到着した。


 わたしは一年間付き合っている同い年のしゅういちと、渋谷駅から徒歩十分くらいのところにある居酒屋にいた。修一は高校の同級生。一年前の同窓会で会い、食事に誘われてから、『高校のとき、好きだった』と言われて付き合い始めた。

 今日は駅で待ち合わせしたときから彼の表情が硬かった。その理由は一時間くらい食べたり飲んだりしてからわかった。

「花菜、俺ずっと思っていたんだけどさ、お前の心には他の男が住み着いているだろ。俺はその男と比較されたくないんだ。別れよう」

 修一は口元をアンバランスにゆがませて自虐的に笑う。

「突然どうしたの? 心変わりしたの? わたしのせい? 他の男と比較されたくないって、意味がわからないよ」

 居酒屋の片隅。目の前に座る修一の言葉に腹が立った。

「俺の言ってる意味がわからない? 俺はお前の口から頻繁に出てくる京平ってやつとは、出来が違うんだ。育ちも違うし、学歴だってな。やつは国立大卒、俺は誰でも入れる私立大卒。やつは大手化粧品会社の御曹司で専務取締役、俺は中小の流通業の営業。比較にならないほどで、笑っちゃうね」

 修一は中ジョッキに半分くらい入ったビールを、一気にあおるように飲み干す。

「そんなふうに比較するなんておかしいよ」

 そう言いながらも、修一が京平のことをこんなにスラスラ語れるほど、わたしは彼の話をしていたのかとがくぜんとする。

「なら、一年も経つのにキス止まりの言い訳は? 身体を許さないのはそいつが好きだからだろ?」

「……ま、まだ早いって思ったから……」

「じゃあ、今日いいよな? お前が俺に抱かれるんなら、今の話はなかったことにしよう」

 彼はテーブルの横を通った店員に手を上げて、ビールのお代わりをオーダーする。

 修一とは、もしかしたら結婚もあるかもと考えていた。

 彼と寝れば、別れないでいいの……?

「修一……」

「いいんだな? ここを出たらホテルへ行くからな?」

 修一はビールをすでに五杯飲んでいて、いつもより顔が赤い。

 彼が言うような、幼なじみの京平との恋はあり得ない。京平はわたしをなんとも思っていないから。関係を壊したくなくて、告白したことはないけれど。

 わたしは京平のことを考えずに、修一のことだけを考えるべき。そう思ったら、コクッとうなずいていた。

 二十六歳にもなって、わたしはまだバージンだ。これまでに数人と付き合ったけれど、キスまでしか許せなかった。それは隣に住む高宮京平に、小学生の頃から恋心を抱いていたから。

 頭を左右に振って京平のことを頭から追い出し、目の前の修一に視線を向ける。

 修一がそんなふうに思っていたなんて……今日、これから彼とホテル……花菜、できるの……?

 今、そんな勇気は出ない。

 修一は店員が持ってきたキンキンに冷えているビールを、美味しそうに喉に通している。

 酔っぱらったら、修一とできる……?

 わたしは手元の、ほとんど飲んでいないカシスオレンジを一気に飲んだ。そんなわたしを、修一はなにを考えているのかわからない茶色い瞳で見ていた。


 冷房の効いた居酒屋から出た途端、汗が噴き出してくる。七月の第五週の金曜日。

 渋谷の繁華街は、若者でごった返すといった表現が合っている。会社で京平が『若いな』と嫌味を言ったのも頷ける。

 手をつながないと、はぐれてしまいそうなほどで、夜の二十一時を回ったところだというのに人が多い。渋谷では、二十一時はまだこれからといった時間なのだろう。

 修一はわたしの手をしっかり握って歩いている。その手が外れ、はぐれてしまってもかまわないと、半歩先を歩く修一のワイシャツの背中を見ながら思っていた。

 どうしよう……わたし、お酒に弱いはずなのに、カシスオレンジ三杯でも酔えなかった。修一と繋ぐ手に汗が……。

 そうこうしているうちに人混みはなくなり、いつの間にかラブホテル街に入っていた。ここを歩いているのは数組のカップル。

 わたしがしり込みしているのがわかったのか、修一はおもむろに肩を組んできた。

「花菜、あそこのホテルにしようか。清潔そうだ」

 彼は五メートルほど先にある、外壁が白いラブホテルを顎で示す。

「う、うん……」

 ここまで来たら覚悟を決めなきゃ……えっ? 覚悟……? 愛し合っていたら当たり前の行為なのに、わたしは覚悟をしなければならないの?

 目的のラブホテルの前に立ち、ガラスの自動ドアが開く。初めてラブホテルに足を踏み入れたわたしは、ビジネスホテルのようなシンプルな雰囲気になんだかあんした。

「どの部屋にしようか……って言っても、二部屋しか空いてないか」

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